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おせっかいおばけ

私は生まれた頃からおせっかいだ。
さらに、色々あって人目をより気にするようになって、それが転じて周りの変化に気づくようになった。
この2つによって、おせっかいなうえに、より自分から「頼って欲しい」「何かしたい」というのを押し出して周りを変えようとするところまで来てしまった。

断られても、「〇〇しようか?」の連発。もはや「〇〇します!」と勝手にやった方がいいのかもしれないが、「しようか?」→「して!」の流れが欲しいのでそうはならない。
暑苦しい「おせっかいおばけ」の誕生だ。


側から見れば、
「気にしすぎ」「やりすぎ」だと思われるかもしれないが、
私は自己犠牲によって幸せを感じるので、
なんとも思わない。
申し訳なさを感じて断られるのも嫌だ。
むしろ喜びが減ってしまうので、「〇〇しようか?」を止めることはない。

自分の中の労力の9割を自己犠牲にして、
残りの1割で自分から能動的に動いて幸せを感じていると言っても過言ではない。


自分から能動的に動くのはあまり好きではない。
かと言って、人からあれこれ指図されるのも嫌。
でも、「〇〇やって(くれると嬉しい!)」
(→〇〇すると、〇〇(さんの)ためになる!)
というニュアンスなら大歓迎で、同じ作業をずっとやり続けることだってできる。

この時の「〇〇のため」というのは、
「世の中のためになる!」というのではなく、
「すぐに相手の喜ぶ顔が見える」「目に見えて役立ってます感がある」くらいの規模感を指す。


だからヲタ活もあまりうまく行かなくなったのだろう。
最初は「(アイドル)ヲタク」というものに憧れを感じていたため、席に関係なく楽しむことができた。(→周りからの見られ方)
しかし、掛け持ちなどを始め、周囲に「ヲタク」と認識されるようになると、同じ楽しみ方はできなくなった。
今度は、いい席でファンサされてもっと上のヲタクを目指すようになった。
でもお金がないため、なかなか達成できない。
だが、それと同時期に「リア友との連番」を経験して、「リア友の楽しむ姿」を見て少しだけ満足できるようになった。
(→自分抜きの見方、自分はリア友ほど楽しめていないため自己犠牲に近い)
リア友が私と同じような価値観でヲタ活を楽しんでいることが大きかったと思う。
(度を超えて積んだり、派手にたくさん入ったりしない。)


色々あって爆発して書きたくなった。


みなさんと私の人生に幸あれ🍀


追記(2024/5/22)
だからと言って何から何までやるわけではない。また、多くの人から押し付けられるということもない。

例えば、授業の出席はやらない。
自分は休むと落単するタイプであるため、休めない。
かたや頼んできた相手はその時間遊んでいるというのが少し気に食わないからだ。
だからこれはめちゃくちゃ親しい人でもやらない。

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