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「最近の若者」と読解力低下の問題

アベプラの動画を観たよ。予備校で国語を教えている、有名な講師の出口汪先生が出ていたよ。
最近の若者への危機感を持っている出口先生と、若者と、若者じゃないのに若者の味方感を出している芸人が議論をしていたよ。

(最近の若者、といっても二極化していて、全てを一括りにしているわけではない、というのが前提の話なので、そこは忘れちゃいけない)

出口先生は自身の講師としての経験から、若者の読解力が落ちている、と言っていた。
それは本当にそうだろうと思う。
漫画さえ読めない子が増えているというのだから、それはもう本当に活字離れが進むところまで進んだということだろうと思うよ。
自分の頭で考えないというのも言っていた。
本を読む前、映画を見る前、あらすじ解説動画やネタバレ動画を観るのが普通になっているとか、どういう感情を持つかということさえも人任せにしてるようだと、わらわは感じる。

(一応、もう一回。全ての若者が、と言っているわけではないよ)

その出口先生に対して、明らかに反対という立場を取っていたのが1人の芸人さんなんだけど、その人は最初に
「最近の若者はっていう人は、新しい文化を怖がって否定しているだけ。自分は大人になってから大学院に行って、若者たちからたくさん学んだ」
と言っていた。
一瞬、良いことを言っているようだけど、彼が若い時に何も学んだことがない状態で大学院に行き、周りの若者は今までちゃんと勉強してきて知識と教養を持っている状態でその大学院に行って出会ったのだから、その若者たちから学ぶことが多いのは当たり前であって。新しい文化とかは関係ないでしょ、それは。
積み重ねが違うのだから。自分が学がないから、ということと、最近の若者問題をごっちゃにしてはいけないと思ったよ。

出口先生の言っていたことは、とても頷けることだったよ。
その芸人が若者側に立って先生の意見に反対するのはきっと、彼の学のなさレベルと、今の読解力がない若者のレベルがピッタリ合うからじゃないかと思う。
そりゃあ、若者じゃなくても、中年でもお年寄りでも、読解力のない人はいるし活字が苦手な人もいるし論理的思考ができない人もいるからね。
その芸人さんがそっち側の中年っていうだけなんだと思うよ。

学生運動が盛んだった時代の大学生は、マルクスを読んでいないなんて話にならない、という感じだったそうだよ。
三島由紀夫と大学生の激論の様子を映像で観たけど、当時の大学生は本当にすごいよね。あんな議論をすることができる大学生が、今どれくらい存在するのかな?
夫の大学時代でも、右翼の人が左翼の人に反論するためにマルクスを読む、みたいなのが当たり前だったと。

昔は、「最近の若者は小説しか読まない。もっとちゃんとした本を読め」と言ったそうだ。
その次の世代は「最近の若者は漫画ばっかり読んでいる。せめて小説でも読みなさい」。
今は「最近の若者は動画ばっかり観ている。せめて漫画くらい読んだらどうだ」……

読解力が落ちているに決まっているよね。

紀元前何百年、という頃から「最近の若者は」という嘆きがあったという記録が残っているらしい。
いつの時代も、若者の劣化は大人たちにとって気になる問題だったのだろう。
なぜちょっとずつ劣化するのかというと、ちょっとずつ便利な世の中になるからなんだろうなと思う。
便利な世の中にしてくれるのは、ほんの一握り、一粒、くらいの少数の「非常に賢い人間」だ。
そのすごい賢さを持つ何人かの人間の発明に頼って、社会はどんどん便利になっていく。
考えなくても快適な生活ができるようになっていく。

わらわ(若者とはいえない年齢だけど)は、誰かが開発してくれた洗濯機によって頭も労力も使わずに衣類を綺麗にし、「始めチョロチョロなかパッパ」の意味など知らなくても美味しいご飯を炊いてくれる炊飯器がなければ毎日のご飯も作れず、わからないことは自分で考える前にスマホ先生に聞く。
スマホで言葉を打つと、正しい漢字を出してくれるし、予測変換で次に繋ぐ言葉も提案してくれるし、考えることはすごく少なくて済む。

便利な世の中になるのは大歓迎なので、昔の世界が素敵だと思っているわけではない。
日本では昔に比べて犯罪は減っているし、体罰が禁止されたのも本当に良いことだし、若者は昔に比べて優しい雰囲気というか、ぶつかるのを嫌うというか、なんか柔らかい気がして、それも良いんじゃないかと思っているよ。

ただ、便利な発明によって読解力が落ちていることに関しては本当に良くないし危機感を持って何か対策が必要なんじゃないかと思う。
人は文章によって伝える必要があるし、文章によって正確なやり取りができない人が多い世の中になってしまったら、民主主義が危ういというのも決して大袈裟ではない気がするよ。

もちろん、最近の若者だけが問題ではないよね。X(旧Twitter)を見ていたら、年齢に関係なく読解力が崩壊していると感じる。
どの世代にも読解力がない人はいるけど、きっとそこではないんだよね、問題は。

夫が教えてくれたんだけど、最近は、司法試験を受ける人たちに人気の、「学者が書いた予備校本」みたいな本があるんだって。
昔は学者の先生方の難しい本を読み解いて勉強するしかなかったけど、ちょっと前からは伊藤塾という司法試験合格のために効率的に勉強する方法を教えてくれるところもあるし、どんどんマニュアル化されて勉強がしやすくなっているみたいなんだよね。
それで、その「学者が書いた予備校本」といわれている本も、効率よく学ぶためにまとめられているらしいのだけど、内容が間違っていると他の学者から指摘を受けているらしい。
その本で勉強している人たちの反応は「間違っていても、これを使って勉強した先輩が司法試験に受かってるんだからいいじゃない」という感じで、売れ続けているみたいなんだよね。

これは、司法試験を受けるような、学力が日本の底辺とは決して思えない、むしろ上のほうの人たちの劣化だよね。
わらわは怖くなったよ。
正しいことを学んで良い法律家になるより、効率的にできるだけ少ない勉強量で司法試験に合格することを目指すのはどうしてだろう?
頑張って勉強をする…もっとたくさん本を読む、ということが、今の若者にはしんどすぎるからだったりしないかな?
字を読み慣れていない人が、少し前の時代より多いんじゃないかな。

本を読むのがそんなに良いことか?価値のあることか?それは古い価値観の押し付けではないか?という問いを向けてくる人に対して、わらわは曖昧な笑顔で「そう…ですねぇ、まぁ、人それぞれの価値観がありますから、ねぇ」としか返せないかもしれない。
わらわは好きだから本を読むだけで、幼少期から勉強をしているという意識で本を手に取ったことはない。
趣味は人それぞれだから、本を読むのが好きな人は読めばいいし、他のことにその時間をあてたい人はそうすればいいと、最近まで思っていた。
でもやっぱり、ある程度は読まないといけないのではないかという気がしている。
どの程度かは、ちょっとわからないのだけど。

読んで、考える。
考えたことをアウトプットしてみる。

やってみて、損なことはないし悪いことは起こらないから、みんなでやればいいよね。

って、すでにそれをやっている人たちが集まっているnoteでこれを言っても、伝えたい層に届かないんだよね。
難しいものだね。

最後に、アベプラ動画のことに戻るけど、出口先生の話はもう少しなんとかならなかったのかなと思うくらい分かりにくくはあったよ。
話が上手なタイプの人ではないのかもしれない。

コメント欄で、国語力がないのを証明しているみたいな人が何人もいて、驚いたよ。
(重箱の隅をつつく、という言葉を良い意味だと思って使っている人とか。自分で書いた一文と、矛盾する内容の文をすぐ下に書くとか)
出口先生に反論しているのに、証明することになるって悲しいよね。本を読んだほうがいいなって思ったよ。

ききょう

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