願いが叶うなら

以前はこれをよく考えていた。

僕の場合、少し前までは、例えば「高校生に戻れたら」など”戻れたら系”が多い。いわゆる”やり直し系”とも言えるか。「もっと勉強に頑張っていたら」「●●を目指していたら」など当時そのように実行出来たら現在がもっと豊かになっていたのではないか?とついつい思ってしまうからだ。ということは「現在の自分に満足していなかった」ということなのだろうか?

現在、僕は55歳だが、結構、今のポジションに関しては「悪くない」と思っている。「悪くない」とは「良い」ということは少し意味合いがちがう。つまり、「良い」と「悪い」に二等分するのではなくて、「良い」部分と「悪い」部分の間に存在する部分になる。

この「悪くない」を維持するにはいくつかの注意点がある。

  • 人と争わない

  • 真面目に働く

  • 健康面に気をつける

などに気をつけることが大事になってくる。僕も50代に入ってからそう考えるようになった。もちろん、20代30代の人が考えるようなことではないし、むしろ考えるべきではない。これは「先の見通しがついた」ということで、ある意味寂しいこととも言える。

「悪くない」と思っている自分を分析すると、

  • 今後、仕事にそこまで頑張らなくてもよい

  • 頑張らなくても良いことを周りも認識している

  • 仕事よりもプライベートや健康面に重きをおき始めている

  • 老後に関してもささやかながら目処が立っている

  • 目処が立っている故の気持ちの安定

なのかなと思っている。

若い頃抱いていた「願いが叶うなら」と今のそれは変化してきている。どちらかと言えば、「現状維持」を主な願いとしている。僕は昔から初詣に行ったときに「2つのの感謝」と「2つのお願い」を毎年している。これはほとんど毎年同じだ。ご利益的な理由で何をお願いしたかは控えるが、内容については、ほぼ無事を祈る的なものだ。ちなみに「2つの感謝」とは災いがなくありがとうございましたということ。そんな願いに変化した。

先日、嫁さんに「僕に何をしてもらいたい?」と唐突に尋ねたことがあった。帰ってきた言葉は「普通にしてて」とのこと。つまり、良くもなく悪くもなく「悪くない」という今の僕の心境ではないのか?初めて気が合ったように感じた。

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