『化物語』を本気で語り尽くす(前編)
全地球100億人の皆さん、蕩です。
最近は批評がどうのこうのって呟きをTLでちらほら見かけることもありますが、自分は変わらず"好きな作品"を余すことなく褒めて素敵な部分を伝えていくだけの記事を書こうと思っています。お願いします。
さてさて、今回は『化物語』です。
「蕩の好きなアニメは?」って聞かれたら、まず三本指に入るのは確定と言っていいくらい大好きな作品。
「私は〇物語が好き」という方もたくさんいるのではないでしょうか、でも結局のところ始まりの『化物語』を外すことは難しい気がするんですよね。
今回は"2部構成チック"にする予定です。
なので、「するがモンキー」までの記事になってます。
前編/後編にするか、完成したモノは最終的に1つの記事として掲載するかどうかは後で決めますね。
とりあえず、これを最後まで読んで頂けると幸いです。
コンバトラー!よろしくちゃん!
「ひたぎクラブ」
"重さ"を失った女の子、戦場ヶ原ひたぎ。
彼女は母親が悪い宗教にハマってしまった出来事をきっかけに家庭が崩壊、その辛い思い出を"重し蟹"という怪異に預けて、現実から目を背けていた。
ただ阿良々木暦という特殊な人間に出会うことで、辛い過去にもう一度向き合う決意をする物語。
〇其ノ壹(1話)
最初はここのシーンですね。
阿良々木視点と言っても過言ではありません、過剰に積まれた螺旋階段に神秘的な光が射す中心に存在するのはメインヒロインである"戦場ヶ原ひたぎ"。
体重という存在をほぼ失っている彼女は紙同然で、その状態を表現するように"紙"が輝きながらヒラヒラしている様子は"幻想的"かつ"運命的"な出会いを象徴。
個人的に好きなフィルム、また阿良々木視点。
手が寂しくてシャーペンで遊んでしまう感覚、ついでに目の前にいる相手に重ねて隠したり、どこか高校生の時にやったような記憶が蘇るのではないでしょうか。
放課後の夕焼けも、センチメンタルになりますね。
加えて、カメラはほぼ固定(視線の揺れ程度)で会話,芝居のみで成り立たせてるため、視聴者が実際に体験しているようなリアルに近い感覚を覚える効果を持たせ、物語に没入しやすい作りになっていると思います。
ここで羽川に、戦場ヶ原のことを尋ねます。
阿良々木は吸血鬼関連で"怪異"という存在に出会っているので、戦場ヶ原の"重さ"にも違和感を覚えたことから適当な理由をつけて、教室から出るとそこには…。
さて、「阿良々木視点が多い」とここまで一貫して書いていることを思い出してほしいです。
そう。ついに"阿良々木の顔"を正面から全部映す。
この瞬間まで、阿良々木の顔は寄りで"目"や"口"などを切り取るように見せていたんですよね。
私たちにとって"阿良々木暦"という人間は紛れもなく主人公であり、登場回数~会話頻度を最も多く担うキャラクターであるため、若干の偉そうな口調に最初から"表情"まで完璧に付けてしまったら鬱陶しくなる。
第一印象は大事という話です。
この作品で、私たちが抱く"阿良々木暦の第一印象"は画像からアホっぽい雰囲気になっていて、だからこの先も「物語シリーズ」という全体を通して、何となく掴みやすい印象を持つことができているんじゃないかなって。
実際に、私は"阿良々木暦"が好きです。
視聴済みの方に丁寧な内容の説明は不要だと思うので、忍野メメに会うまで場面を飛ばしました。本題です。
忍野は"重し蟹"の説明から、戦場ヶ原に「被害者ヅラが気に食わない」と言うが、その後にやや撤回する。
難しいラインではありますが、"自分のせい"とは言い切れないものの否定もできない状況に陥った人間が重し蟹に"思い(=重み)を預けるため、預けた者は被害者ヅラをしてる場合が多いイメージだったのでしょう。
でも戦場ヶ原は、阿良々木に頼らずに「自分で出来るから」と言い出した時点で現実から逃げている自覚はあったと思うんですよね、「ズルをした」とも言ってます。
この時点で結末は決まっていたと思いますね。
〇其ノ貮(2話)
"重さ"を失ってしまったことを忍野に相談、また身体を清めた後に廃墟ビルへもう一度来るよう言われます。
精神を落ち着けた後、忍野は様々な質問を投げかける中で「一番辛かった思い出は?」という問いに戦場ヶ原の様子が急に変わりますが、その様子を心拍数と当てはめるように"寄り"で映して緊張感と追い詰められてる感覚を表現しているように見えますね。
耐えるように戦場ヶ原は"辛い過去"を赤裸々に語る。
そして、「蟹」で構成された"重し蟹"の登場です。
忍野の狙いとしては会話の中でお願いをして、預けてしまった"重さ"を返してもらう予定でしたが、乱暴な神様に戦場ヶ原が壊される展開から考慮して"背負い投げ"で物理的に倒す作戦に切り替えようとします。
ただ前述の通り、「自分で出来るから」と言った戦場ヶ原は諦めずに頭を下げてお願いをするんですよね。
やはり結末は決まっていました。
戦場ヶ原の病気が治った理由を"宗教"と信じる母親。
それをきっかけに男性から乱暴をされたり、反抗したせいで母親がペナルティを与えられたり、全部含めて家庭崩壊した現実なんて誰でも"背負いたくない"。
だから忍野が代わりに"背負い投げ(=背負う)"で解決してくれたと解釈できると思うんですよね。
でも、戦場ヶ原は"背負う"ことをお願いする。
わざわざ返してもらう必要はなかったかもしれない。
だけれども、母親と過ごした大切な時間を忘れずに前へ進むためにはどうしても必要なお願いだったんじゃないかなって私は思います。さて、一件落着です。
これで「ひたぎクラブ」は完結。
大雑把と言われてた神様が、戦場ヶ原じゃなくて阿良々木に"重さ(=体重)"を返してしまう微笑ましいオチ。
単純にそう受け取るのも面白いですが、戦場ヶ原が今まで預けてしまっていた"思い(=重み)"を返してもらうことによって様々な感情等も取り戻すことができ、手を差し伸べてくれた阿良々木に抱いた"想い(=重み)"が彼自身に込められたと考えたら、何か素敵ですよね。
「まよいマイマイ」
阿良々木は"母の日"に妹達と喧嘩、公園へ逃亡。
「家に帰りたくない」気持ちを強く抱えた状態で目にしたのは小学生の女の子、"八九寺真宵"。
彼女を"迷子"であると判断した阿良々木は、たまたま出会ったであろう戦場ヶ原を頼りながら、八九寺真宵を目的地まで送り届けようとしてあげる物語。
〇其ノ壹(3話)
さて、"八九寺真宵"がいない。
物語シリーズでは定番の"前のヒロイン"が活躍して、タイトルを称したヒロインは出番が遅くなる仕組み。
やはり現れたのは、戦場ヶ原ひたぎ。
真上からの構図で映すのは単純に物語シリーズでよく目にしますよね、というかシャフト全般でしょうか。
ただ丸型の設計的に"公園(=地球,世界)"のように受け取ると、「世界に僕一人しかいないみたいじゃないか」という台詞から、阿良々木だけだった世界に"戦場ヶ原ひたぎが侵入した"ように見えますよね。
ということで、戦場ヶ原の圧迫面接です。
「ひたぎクラブ」の件から御礼をしたい(=距離を縮めていきたい)という気持ち、そして彼女が持つ"圧"をジワジワ寄る映し方で表現していますね。
一方で、そんな戦場ヶ原ひたぎという存在に勝つ術もなく圧倒されてしまう阿良々木の気持ちは、極端にカメラが寄ることで察しがつくのではないでしょうか。
2人の着地点は皆さん知ってる通りです。
(左上)の画像から、不思議な物体が戦場ヶ原を基軸にして阿良々木を取り込むような"影"の使い方をしてどちらが優位な存在か証明しているように見えますね。
そして他3枚の画像に注目。
全てにおいて阿良々木は画面の端っこ、戦場ヶ原は中心に存在している状態で押し倒しているのも証拠の1つ。
前述の圧迫面接も加えると、この時点で戦場ヶ原が想う気持ちの強さに"阿良々木は負けている(=参っている)"ように感じられるんじゃないかなって。
(おっと、戦場ヶ原の話しかしていない)
ついに八九寺真宵が登場、私の最推しです!
八九寺が迷子であると阿良々木は判断したため、戦場ヶ原に相談して送り届けようと決めた場面です。
「蝸牛の迷子です」と言って"影"に顔を染めていくのを映した直後に、阿良々木の瞳に映る"八九寺真宵"が渦を巻くようにして"蝸牛"に変わる演出が良いですね。
本当は"阿良々木が迷子だった"というミスリードが途中で明らかになりますが、怪異である八九寺を視認してしまい瞳から飲み込まれていく様子は、今後の展開を示唆していたようにも受け取れます。
〇其ノ貮(4話)
戦場ヶ原,阿良々木,八九寺は目的地に向かって歩いていくわけですが、今回は"会話劇"が主体を楽しませんコンテ,演出が多くて取り上げるの難しい。
とは言え、意味を含んだ信号の演出が1つ。
視聴した方はご存知の通り、八九寺が亡くなった理由には"信号"が関係していますよね。
この段階では何の情報も出ていませんが、"赤→青"に変わって歩き出す瞬間に気味悪い"明るさ"が加わり、いつも以上に無機質でボヤけた処理が行われています。
やはり"ボヤけ"というか"ブレ"に曖昧な光が加わると過去回想であったり、消えてしまいそうな儚い記憶などをイメージしやすいと思うのですが、これは"信号関係で何か良くない経験がある"という過去をこの時点から示していたんじゃないかなって、何となく思います。
当然ですが、3人は完全に迷ってしまいました。
住んでいただけあって土地勘はまだ健在の戦場ヶ原がここまで迷い続ける異常事態、そこでGPSを頼るために携帯を取り出すと"圏外"になっている。
"「GIF作りなさい」って視線を全身で浴びてます!!"
実は(左上以外の3枚)って再度視聴して頂ければ一目瞭然なんですけど、全てが円を描くように"回る"フィルムになっているんですよね。画像では伝わらない。
基本的に何かモチーフを"回す"というのは時間経過を示す意図が多い印象を持ちますが、今回は迷っている状況から"回る(=巡る)"ようなイメージを抱きます。
"巡り続けて抜け出せないループ(=渦,蝸牛)"と捉えたほうがわかりやすいかもしれません、そうです。
「まよいマイマイ」は巡り続ける物語。
でも阿良々木によって、ループを抜け出します。
其ノ参(5話)
使いどころをわかってる。イヌカレー登場。
やはり前述した"信号"の件は暗い過去を示唆していたと言えるのではないでしょうか、"赤→青"という明るい変換と思わせて"左向き(下手)"に歩いている違和感。
そして交通事故に遭った八九寺、イヌカレーの独特な雰囲気が加わって恐怖も跳ね上げていますよね。
さてさて、全てのミスリードを一気に回収します。
"蝸牛"から離れれば、何の問題もありません。
でも阿良々木暦は"誰でも救う"。
だから怪異だろうと、"八九寺真宵を救う"。
戦場ヶ原も阿良々木を理解してるんですよね、だから理屈ではなく"力技"で救う方法を忍野から聞いていたのが素敵です、やはり運命だったのでしょう。
区画整理などで怪異の穴を突いて、遠回りしてでも目的地まで辿り着く力技を2人は選択しました。
到着です、全員で「おかえり」と言いたいですね。
物語シリーズは"メディアミックス不可能"と謳うくらい"文字"が力を持っている作品なので、個人的にはドラマCDくらいで全然楽しめると思うんですよ。
でも、ここは"アニメ"にした意味がある。
文章なら"何もない場所"とわざわざ伝える必要がある場面なのですが、映像は野暮な言葉を取り除いて、八九寺が"心から帰りたいと願う(=輝く場所)"に「ただいま」と踏み出すだけで全てが成立してしまう。
素敵ですよね、本当によかった救われました。
"輝く場所"に消えていった八九寺真宵。
彼女の物語は終わったはずなのに、最後にまた現れたのはどうしてだろうって少し思いますよね。
「まよいマイマイ」は"巡り続ける物語"と書きました。
そう、関係を深めた阿良々木にまた会いたいと願う気持ちによって"再び巡ってきた"と考えたら、この言葉にも説得力が増すのかもしれないなって思います。
「あなたのことが嫌いです」で始まった物語は幕を閉じましたが、「話しかけてくださいね」で巡り始める物語がまた幕を開けたのかもしれませんね。
(触れても触れなくても、戦場ヶ原に怒られそう)
最高に好きなシーン、戦場ヶ原の告白。
『化物語』はあくまで"文字"なんですよね。
だから戦場ヶ原の顔を映して直接的な告白するのは作品のイメージ的にどうなのって思いませんか?
だから、「I LOVE YOU」と白齣に"文字"で表現する。
これでキャラクターの表情から様子を伺うような意識の散漫を防ぐことになり、「あなたのことが好き」という意味を持った"言葉,文字,告白"のみに意識が向きますよね。
手抜きのように思えますが、作品に寄り添ったロマンチックな演出だったんじゃないかなって。
戦場ヶ原ひたぎ,物語シリーズ「蕩れ」です。
「するがモンキー」
"左手(=悪魔)"に憑かれた女の子、"神原駿河"。
昔から大きな嫉妬を抱えることが多く、その欲望を叶えるために悪魔に願ったことで彼女の人生は変わる。
大好きだった戦場ヶ原ひたぎに拒絶されたショックを追い詰めるように、彼氏が出来た事実に混乱を生じる。
その相手は阿良々木暦だった。
〇其ノ壱(6話)
「するがモンキー」にはシリーズディレクターの尾石達也が強く関わっているので、フィルムが濃い濃い。
物語シリーズのアバンは、(左上)の画像のように画面の上部,下部が黒くなっている"シネスコ"を起用。
今回は神原の"顔を隠して後ろから追いかけている"という躍動感を感じる始まり方になっているため、画面比から他の物語に比べても迫力と違和感を強く抱くような印象を与えているのではないでしょうか。
神原の"左手"も異物感が満載ですよね。
ただ単に寄りや会話の中で強調しそうな部分を、わざと気になって仕方ないレベルで"浮く"ように作っているのが印象的で、視覚的な気味悪さを効果的に表現しているのが伝わってくると思います。痺れます。
八九寺や戦場ヶ原との会話がほとんどの割合を占めている話数ですが、ついに"レイニーデビル"が登場。
これは"踏切"を舞台に設定したのが最高に好き。
私のTLでよく目にする『凪のあすから』で有名なシーンも挙げられるように、基本的には"踏切"ってキャラたちの関係性を壊してしまう場面だったり、願い続けた想いを断ったり、逆にそれでも関係は壊れないなど"心情"を託すアイテムになってるイメージが強い気がします。
でも、この場面はまるで"闘技場"のように扱う。
大体こうゆうのって"踏切の外"にキャラを配置すると思うんですけど、2人とも"踏切の内"に入れて、背後で踏切が降りた瞬間にバトルが始まる演出は頭悪いです。
加えて、"踏切音(=警告音)"でレイニーデビルの危険度と緊張感を大きく伝えることにつながっている気がするんですよね。舞台装置の使い方好き。
出ました、グロテスクに極振りしたフィルム。
「するがモンキー」の象徴と言ってもいいと思います。
阿良々木は"吸血鬼の力"で再生能力を備えてるとは言っても、ここまで派手に殴られ続けたら「間に合わない」と思っても仕方ないくらい過剰なアクション。
まだこの時点では、血の色が"赤"なんですよね。
この後はどんどんカラフルになっていきますが、それは物語が進むにつれて"戦場ヶ原への想い,嫉妬"が強くなっていくことに関係してそうな予感。さてさて。
〇其ノ貮(7話)
再び、イヌカレー登場です。
神原のモノローグ的な過去回想シーンですが、まず映像自体のインパクトが強烈なので会話劇を飽きさせないどころか、聴き逃すくらい前衛的な一品。
まだ"左手(=神原の左手)"は違和感を残しつつも通常の姿をしていますね、ただその中に戦場ヶ原が閉じ込められているのは"嫉妬,束縛"の意味でしょうか。
さらに、手のひら側に戦場ヶ原が存在するなら"意中の相手を掴める"ような印象を持ちますが、手の甲側に存在する人間を掴むことって不可能ですよね。
戦場ヶ原を掴んで離したくない"好意"を持っている一方で、気持ちだけが優先して"掴むことはできない(=願いは叶わない)"という解釈ができるかなって。
そして最後は"フレーム"に閉じ込められた左腕が、フレームの奥で楽しそうな戦場ヶ原と阿良々木の2人のシルエットを壊してやりたい気持ちから"手を広げる"かつ"悪魔の左手のように毛が生える"ことで、神原の過去回想~現在の心情変化を端的に伝えていると思います。
神原は戦場ヶ原を心から支えようとした、自分ができる最高の形で助けようとしていた。
でも、戦場ヶ原はそれを冷たく拒絶した。
敷き詰められた本の配置が、2人の手を仕切るような役割を果たしているように見えますね。
左側にある戦場ヶ原の手は"赤齣"を挟んだ瞬間に画面から消えてしまいますが、右側にある神原の手は"線"を超えているかつ"握っている"部分から、神原の"執着"のようなものが感じられるかなって。妄想ですけど。
本当に戦場ヶ原にとって"一番の形"で支えようとしていたのでしょうか、想いの強さに引っ張られて"線"を超えてまで追いかけようとした執着が受け取れます。
神原の「想い」は、「重い」になってしまう。
その「重い想い」は加速を続けます。
(一体何だ?これは?)
生身の女性に"ホッチキス"が巻き付いている。
「モハヤ、自分ハ、完全ニ、人間デ無クナリマシタ」
これは、『人間失格』の一文でしょうか。
私は太宰治を好きどころか無知もいいところなので、全く理解していない的な言及は勘弁してください。
神原は人間関係に悩んだことが悪魔の左手を頼るきっかけになり、そして戦場ヶ原に対する重いに溺れて、戦場ヶ原に対する想いに縛られていきます(=ホッチキス)。
きっかけはまた別の理由ではあるものの、『人間失格』の中で精神状態が狂い使用したモルヒネは、"悪魔の左手を使用した"ことと重なるんじゃないかなって。
"ホッチキスに顔を覆われた"人間なんていません、でも神原は戦場ヶ原(=ホッチキス)に全身を飲み込まれてしまうほどに重い,想いを募らせていた。
なので、神原は"ホッチキスに覆われた"という視覚的な面からの「人間失格」と、閉塞感に溺れて"悪魔(=人外)の左手を使用した"という精神的かつ物理的な「人間失格」の烙印を押されたように受け取れると思います。
前述に重なる台詞ではないでしょうか。
言ってしまえば、神原は"満たされない気持ち"を悪魔の左手に願う決意をしたり、大好きで憧れて仕方ない戦場ヶ原の"代わり(=相互理解)"を目指していたということにもなると思うんですよね。
でも、それって無理な話じゃないですか。
親しい友人,恋人,家族に対して"完璧な理解"を示したり、完璧な"代わり"になったり、相手自身になるなんて。
なのに、神原はそういった人間においてただの1人も達成することができない境地に入ろうとしていた(=人間失格)のかもしれないなって考えたら、胸が苦しいです。
阿良々木は、それを言葉で伝えた。
全てではないものの、神原も言葉を受け入れた。
〇其ノ参(8話)
アバンの過去回想は阿良々木,戦場ヶ原,神原の3人が声を重ねるようにナレーションをしている。
ぜひ読了後に視聴して頂ければ実感すると思うが、暗い過去の真相,前衛的なフィルム,気味の悪い劇伴,が全て組み合わさっているだけでも魅力的なのに、"長い回想を3人が声を重ねて伝える"といった本能的な違和感。
これが、あまりにも効果的になっている。
ここで一旦、阿良々木側に立ってみましょう。
やはり"阿良々木暦"が人間にも怪異にも満足になれない中途半端な存在で狂っているからこその考え方のようにも受け取れますが、だからこそ手を差し伸べられる。
だって"真人間"に、「人間失格」の烙印を押された神原を助ける手伝いなんて到底無理なんです。
だから"中途半端な存在"の阿良々木が意味を持つ。
そして、今は阿良々木暦の他にも人間がいる。
優しすぎる考えを持つ阿良々木暦のことが好きな女の子がいる、踏切でボコボコに殺された時点できっと全てを察していたはずなのに受け入れてくれた女の子がいる。
全てを"掴む"ことができてしまう、あの"蟹"の女の子。
何か、最後にも現れてくれるような気がしますね。
さてさて、バトル開始。
これは"赤色の血"が、現実の血に比べてショッキングな印象を与えることができない理由から"カラフルな血"に染め上げている演出意図を持っています。
ただ、踏切では"赤色"のみ、でしたよね。
これは妄想全開ですが、踏切の時よりも"嫉妬"が重く激しくなっていることに加えて"左手の真相"が明らかになった、後腐れない憎悪を爆発させたバトルです。
そのため、神原の暴力が今までよりも憎しみを全開にして激しくなっているという意味も含めて、"赤"だけに留まらず、"カラフル"でグロテスクなフィルムにしたんじゃないかなって。間違いなくショッキング。
阿良々木は大ピンチ。勝てる気がしませんが…。
やっぱり現れてくれました、"蟹"の女の子。
メインヒロインこと戦場ヶ原ひたぎ、良い表情。
この展開の魅力は、圧倒的強者な"人質"という立場。
基本的には人質って地位が高くて弱い存在,噛ませ犬,として無理矢理置かれる立場であったり、立ち向かうタイプのキャラであっても"自分を救う"のが限界。
でも戦場ヶ原は"人質"という立場であるのに、2人を救っているのが面白いところなんですよね。
「阿良々木くんを殺したやつを殺す」なんて過激な考えを持ってる人間ですし、神原(=レイニーデビル)はそんなこと言われたら阿良々木を殺すなんて不可能です。
圧倒的強者な"人質"の戦場ヶ原ひたぎが幕を下ろす。
物語のオチと言ったら、そういうことでしょう。
ということで、全てが平和に解決したわけではないものの「するがモンキー」の物語はおしまい。
想いが"重い"に変わってしまったことで招いた事件、戦場ヶ原が神原の苦しみに些細な救いを作ってくれた理由としては、"重し蟹"で経験した"想い(=重い,重さ)が関係してるんじゃないかなって。
"重さ"を失くした少女がそれを取り戻して、"重い"に取り憑かれた後輩を"想う"ことで解決した物語だったと考えるなら、報われる気がしますね。
総評
やっぱり『化物語』って面白い。
本当は"読むアニメ,観る小説"みたいな方針で全体を構成しようと思っていたのですが、その魅力的な面を混ぜつつも大筋の面白さを伝える記事にしました。
"第一印象は大事"という話を最初にしましたが、この作品の第一印象である断片的な『傷物語』で構成されたアバンは100カット以上も積んでいるかつ、音楽に合わせるようにしているので衝撃が大きいですよね。
この時点で、私たちは見蕩れてたのかもしれません。
本当の第一印象って、羽川のパンツなんですけど。
次回は「なでこスネイク」から始めようと思います。
このまま後編として更新するか、この記事にドッキングして完全版のように取り扱うかどうかは気分で決めるつもりなので、よろしくお願いします。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
やや恥ずかしい気持ちはありつつもブログなので書いてしまいますが、皆さんと好きな作品について話したい面もあって記事を更新しているので、「リプください」とか言ってるの許してください。励みになります。
ぜひ、拡散の方もして頂けると嬉しいです。
では、「次回豫告」はファイヤーシスターズに!!
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