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ZABADAK の話 - 2024.6.4

 今日は,ZABADAKの話をする。私自身,ZABADAKに出会ってまだ一年と少し,詳しくもなくただ好きである,そんなレベルであることを初めにことわっておく。

ZABADAK(ザバダック)は、日本のロックユニット

1985年吉良知彦上野洋子松田克志の3人で結成し、翌1986年東芝EMIよりLPレコード『ZABADAK-I』でデビューした。1993年の上野の脱退後は、吉良によるソロユニットとして活動し、2011年3月、小峰公子が正式メンバーとして加入して2人組ユニットとなった。2016年7月に吉良が死去してからは、小峰とサポートメンバーにより活動を続けている。

ZABADAK - Wikipedia

 私がZABADAKを初めて聴いたのは2023年の2月。このとき私はコロナに罹患していた。熱は引いたが隔離期間はまだ残る,かといって(高2の2月で受験勉強もあったが)机に向かう気力はない。そんなとき,余りの暇に耐えかねて私はアニメを見始めた。私はそう社交的な人間でもない癖に,そのときまでドラえもんのような国民的なものを除きアニメに触れてこない人生だった。意識して避けていたのではなく,ただきっかけがなかっただけ,「アニメを見る」という行動の選択肢が解放されていなかった感じである。それゆえ,コロナ感染をきっかけに私は,多くの作品を見ることになった。アニメの話はまた今度詳しくするとして,その中で私は「魔法使いの嫁」に出会った。数か月のうちに十数のアニメを見たが私はこれが特に好きだった。幻想的な世界観に私は惹かれ,のちに漫画も最新刊まで揃えることになる。音楽に話を戻して,アニメ一期,第一クールのエンディング曲は「環-cycle-」だった。使われている楽器や曲調,曲の要素どれもがアニメの魅力を増していた。感動した。米津玄師ばかりが並んでいたプレイリストに直ちに加わった。「環-cycle」は糸奇はな 氏のデビュー曲だが,同時に吉良知彦の未発表曲でもあった。音楽配信サービスのアルゴリズムは優秀だ。この曲を聴いているうちにZABADAKの存在を知ることになった。初めに聴いたのは確か「かえりみち」だったと思う。

 私は音楽の趣味が狭く,同じ人の楽曲ばかり聞いてしまう習性がある。前述の通りアニメを見てこなかったことに加え,ドラマを見てこなかったことその他諸々が作用して,音楽成長期(造語)に「音楽を幅広く聴く」ことを経験できなかったためだろう。そのため,初めのうちはZABADAKに熱中することはなく,以前と同様,米津玄師ばかり聞く日々が続いていた。

 しかし先程触れたように,私はその後間もなく受験生になった。私は勉強成長期(造語)である中学の頃から音楽を聴きながら勉強をしてきたので,音楽なしに勉強は有り得ない,そんな人間になっていた。つまり勉強をする時間の増加は,私にとって取りも直さず,音楽を聴く時間の増加を意味した。そうなると,数少ないアーティストの曲を一日何度も聞くことになり,食傷気味になってしまった。ここで「音楽なしで勉強する」という選択肢は当然なく,新たにアーティストを探すことになった。星野源やRADWIMPS,illionやNEEを経由して,初めて出会ってから五か月,夏休みが始まる頃にZABADAKを本格的に聞くようになった。上に列挙した他のミュージシャンとは雰囲気の全く違うZABADAKの曲が,食傷気味だった私の脳に響いたのだ。
それからは(Spotifyで)配信されている曲を片っ端から聴いた。

 こうしてZABADAKは私の音楽趣味の一つの柱になった。私が特に好きな曲は「harvest rain」だが,他にも優しさや繊細さ,時に自然の雄大さを感じさせる様々な楽曲を私は愛している。


 また,アニメを見ていく中でアイドルマスターにも夢中になり,私は如月千早を好きになった。しばらくは彼女とZABADAKを全く無関係だと思っていたが,(というより結び付けようともしなかったが,)あるとき千早がZABADAKの楽曲「遠い音楽」をカバーしていることを知った。別の経路で好きになったものたちがどこか繋がっていたことがこの上なく嬉しかった。


 結成メンバーは今や誰も残っていないが,ZABADAKは今も残っている。ZABADAKの現在を,今のうちに見ておきたいと思う。

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