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新生活の電気工事@牛乳ビルその1

文:守屋佑一

3月31日に退職した僕は落ち着く暇もなく、(そもそも31日の最終日もなぜか残業していたせいもあって)4月1日の新生活初日に牛乳ビルの電気工事へと突入した。

サラリーマンをあがったばかりの僕にとってまだまだ早いとは言えない朝9時に集合する。水野さんのことは直也からざっと聞いただけであんまりよく理解していなかった。とりあえず電気工事をする人が来るんだと。

僕が牛乳ビルにつくとすでに見慣れないワゴン車があり、見知らぬおじさんが荷物を降ろしていた。なんだか不思議な雰囲気の浮世離れしたような人だった。

最初、その人が電気工事をしてくれる人だといきなり結びつかず、まずは階段を上がろうとして話しかけられた。

「荷物、もってってくれよ」

と。ああ、この人が水野さんか。

そうして工具やらコードやらを見慣れた錆だらけのオンボロ階段を使ってビルの3階へと運んだ。

水野さんはテキパキと工具やらを使える状態へと変化させてく。折りたたみの工具や資材はなんだかトランスフォーマーとか、スーパーロボットみたいなロマンがあって格好良かった。

直也は水野さんと旧知の仲らしく言われるままにテキパキと動いていた。少し人見知りの激しい僕はどうやって働けばいいのか戸惑っていたが、水野さんがテキパキと指示してくれてとりあえず動きまくった。

壁に穴を開ける水野さん。なんだかとても工事っぽい。けれどもやることは派手ではなくひとつひとつのコードを正確に結びつけていくイメージ。てきぱきこつこつ。

それの繰り返し。水野さんは工事をしながらもいろんな電気についての豆知識を話してくれる。こういう人が教師をやればいいのに、と僕は常々思う。教えるのが上手い人ほどだいたい教師とは違うことをやっている。

なによりこの日してくれた話で嬉しかったのは銅線の話だ。牛乳ビルの電気工事のなかで、大量の廃棄する銅線が出た。水野さん曰く、これは綺麗に剥いて金属屋にもっていけば高く売れるとのことだった。とても嬉しい。その話を聞いてモチベーションがあがった。だから、銅線泥棒なんてものがこの世にはいるのか。そういえば、農家の先輩にも金属が売れるという話を聞いたことがある。

僕はそもそもこういうものを売るのが大好きなのだった。

自己紹介でも少し書いたが、小学生の時は野球カードを販売していた。近所にあったアンティーク駄菓子屋「懐かし横丁」には木で出来た牛乳箱やジュース関係のアメニティを転売してお小遣いを稼いでいた。お金にならなそうなものがお金にかわるその瞬間が果てしなく好きだ。実は7月現在この銅線はまだ牛乳ビルに転がっているんだけれど、そろそろカバーをひん剥いて金属屋さんにでも売り飛ばそうか。

そんなこんなしているうちにお昼を過ぎた。僕はわりあいちゃんと3食とる人間なのだが、水野さんはそんなもの食べなくて当然といわんばかりに作業に没頭している。

お腹がへった。とてもへった。

午後になっても続く作業。作業を続けているうちに僕は少しの頼まれ仕事の予定があったので、一時牛乳ビルから離脱した。

※この記事は全文無料の投げ銭コンテンツです。投げ銭はまだまだ完成しない牛乳ビルのリノベーション費用となります。

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