2022年夏アニメ感想 あまりにも出来が悪いシャフト作品2本
今季はシャフト制作作品が2本公開されたが……。どちらも出来が悪い。シナリオ、演出、作画、キャラクターどれを見てもいいところが何もない。この2作の何が問題なのか、詳しく掘り下げていこう。
ルミナスウィッチーズ
こちらは手短に。
ストライクウィッチーズシリーズ最新作、『ルミナスウィッチーズ』。「連盟空軍航空魔法音楽隊」とタイトルにあるように、戦闘などは行わず、戦地を巡って慰問のための歌と踊りを披露する少女達の物語である。お話としては『ストライクウィッチーズ』本家第1期くらいの頃となっている。
そういう背景もあって、集まってくる少女達は戦闘部隊としてはほぼなんの役に立たないあぶれ者。そんな少女達が自分の存在意義を欠けて、「ルミナスウィッチーズ」になろうと奮闘する物語である。
これまでのシリーズではドラマパートがあって、それを昇華するための戦闘シーンがあったのだが今作にはそれがない。これまでのシリーズではドラマパート→戦闘シーンという展開が何度も繰り返され「マンネリ的」になりがちだったが、戦闘シーンを外したためによりキャラクター達のドラマを掘り下げるような物語になっていった。 またこれまでのシリーズでは戦闘をあまりにも象徴化しすぎ、戦争の過酷さの表現としてはいかがなものか……という引っ掛かりもあったが、いっそ「戦争とは無関係」という開き直りを押し通せるため、むしろこのシリーズの良さを活かせるような設定になっている。
ただ、それで「面白いか」というと別問題だ。
まず少女達の表現。おそらく“可愛らしさ”を重視したのだと思うが、行動の一つ一つがわざとらしい。第1話、ジニー、リュドミラ、渋谷いのりが出会い、いきおいあまって頭をぶつけるのだが……あんなふうにはなるわけがない。行動、所作に納得感がない、世界観やストーリー上の進行を無視して表現されているから、表現が浮いてしまっている。そこでわざとらしさが出てしまい、かえってキャラクターが本来もっている可愛らしさを台無しにしている。
『ルミナスウィッチーズ』は全体がこんな調子で、物語や世界観の作劇上のラインを越えて、キャラクターをアピールするだけの場面が頻発するので、物語への没入がしづらい感情移入がしづらい作品になっている。キャラクターが世界観に対して(絵としても作劇としても)接地している感覚を出していないから、全体を通して落ち着きがない、わざとらしいキャラアピールをしていますという印象がつきまとい、それが物語全体のノイズになっている。
動物キャラクターたちも良くない。動物キャラクターではなく“使い魔”であるのだが、まず動物としての生理や動きが重視されておらず、ただの“アニメキャラクター”になっている。現実感を無視した動きがあまりにも多く、これも世界観とキャラクターを乖離させる原因を作っている。
それでいて、使い魔達はキャラクター達が対話しているシーンの“間”を埋めるために描写されることが多いのだが、そのせいで対話と物語への集中させることへの妨げになっている。これからドラマを組み立てようとしているのに、使い魔達が現実感を無視したアクションばかりさせるので、この段階でドラマが軽くなってしまっている。
この動物たちは一応“使い魔”という設定であるが、普通の動物との区別がなされていない。せめて壁抜けができるとか、半透明処理されているとか……いろいろあったはずだ。
物語中、常に登場してくるのだが、特に物語に絡むことのない、マスコット的な描かれ方をしている。描写されるなら物語のなかで存在感を発揮してもらわなければならないが、そういう役目を果たすことなく、しかも可愛らしくもない。むしろ作品の中にあってノイズにしかなっていない。いっそ出てこない方がいいようなキャラクター達になっている。
次に作劇上の問題だが、第3話、アイラの元でマリアとリュドミラが指導を受けるのだが、アイラの不適切な指導のため、マリアが訓練中に失神してしまう……。
という展開だが、どうにもわざとらしい。そういう展開にするために、無理矢理そういう行動を取らせました……という感じが出てしまっている。その後アイラ、マリア、リュドミラとの間に葛藤が生まれるのだが、そういうシチュエーションを作るためにやりました……というわざとらしさが全体に出てしまっている。そういう展開になっていくためのドラマ的な必然が感じられない。そういうお話にしていくなら、その手前に助走が必要なのだが、そういうものなく結果だけが描かれる。だから不自然という感じしかない。
第6話ではマリアとマナとの間に対立が生まれるのだが、まずいって、マリアはそれまでそういうキャラクターじゃなかったはず。マリアはずっと「のんびり屋」という描き方だったはずだ。そういう対立構図を作るために、いきなりマリアというキャライメージを変えてしまっている。
キャラクターとしての前提を崩してしまっているから、これは作劇が完全に失敗している。そういう展開にするなら、まずマリアに心的動機を作らねばならないが、その助走をまたしても怠っている。
ある場面で窓を開けると、書き損じの紙が窓の外に吸い込まれていくが……窓からは室内に風が吹き込んでくるはずなのに、吸い込まれるのはおかしい。
さらにそれをたまたまマナが見付けて拾ってくる……という展開になるが、これもわざとらしい。偶然という感じがしない。そういう展開を作るための段取り芝居……という感じがしてしまう。
こんなふうに、全体を通してお話がわざとらしい。そういう展開を作るために行動をさせました……という感じが出てしまっている。キャラクターによる心情的必然や、偶然性がまったく表現されていない。さらにキャラクター達の可愛らしさをアピールするだけの描写がノイズのようにちらちらと混じるのだから、作品に集中できない。とにかくも全ての作劇が破綻している。こんなお話に感動できるわけがない。
作画の話はあまりしたくないが、こちらも出来が悪かった。どのシーンも空間がまったく表現されておらず、書き割りっぽくなっている。キャラクター達のデッサンも崩れがちで、動きが表現されても表面的な動きにしか見えず、ペラペラした印象になっている。
とにかくもデッサン、パースともに欠落している。絵としての完成度が低い。
『ルミナスウィッチーズ』にはいいところが何もない。どうしてこんな状態でアニメ化したんだ……と疑問にすら思うレベル。明らかに事前準備不足。やっつけ仕事でアニメを作っている。せっかく描き起こされた島田フミカネの可愛いキャラクター達を台無しにしている。原画はどれもみんな可愛いのに、作品を見るとまったく可愛く見えない。キャラクター達がその世界の中で生きている感じがしない。アニメがストーリー、オリジナルイメージどれもダメにしてしまっている。存在自体がマイナスでしかない作品。
最大の問題は、とうとうパンツを見せなくなったことだ! これは絶対に許さない。パンツが見えない『ウィッチーズ』なんて、牛肉の乗っていない牛丼や、炭酸の入っていないコーラみたいなものだ。カメラワークが股間から外れていったから、どこのアニメでもあるような構図作りになってしまっている。それでいてパースが破綻しているから、絵をじっくり見ていると眩暈がしそうになる。コンプライアンスなんて蹴り壊せばいいんだ。ウィッチーズシリーズはウィッチーズシリーズであって欲しい。アイデンティティを見失った作品に、ソウルはない。
ウィッチーズシリーズの徒花『ルミナスウィッチーズ』。KADOKAWAがコンテンツをいかに雑に扱っているのか……がわかる1本になってしまった。
RWBY ~ルビー~ 氷雪帝国
続いて『RWBY』。
原作であるモンティ・オウムによる『RWBY』は2014年に制作・発表されたアニメシリーズである。その以前から『デッド・オア・アライブ』と『ファイナルファンタジー』のキャラクターがぶつかりあう二次創作作品『デッド・ファンタジー』などで尖ったセンスを発揮していたモンティ・オウムが、完全オリジナルストーリーに挑んだ。それが『RWBY』だ。少人数低予算制作であるため、クオリティ自体は低いが、ただしアクションの切れ味は凄まじく、アクションシーンに入った途端、それまでちょっと気が抜けるような映像だったのもがギラギラと輝き出す。一瞬でも目が離せないというか、見終えた後、スロー再生でもう一度見たくなるくらい見事なものだった。モンティ・オウムの描くアクションは最高だ。彼以外にしか描き出すことができないものだ。少人数低予算作品であっても、個性の打ち出し方でどんな作品でも輝く……というお手本を見せたような作品だ。
私がこの作品を視聴したのは、日本語吹き替えテレビ放送版。ボリューム1からボリューム3までの内容を視聴した。アクション以外はやはり難ありだが、その問題を吹き飛ばすくらいの魅力の溢れた作品で、最後までしっかり楽しめるいい作品だった。
しかしメインクリエイターであるモンティ・オウムは2015年、重度のアレルギー症状を起こして他界(享年33歳)。一時はシリーズ存続も危ぶまれたが、残されたチームのみで継続。現在も新シリーズが発表され続けているアニメシリーズである。
今回制作・発表された『RWBY』は日本のアニメーション制作会社・シャフトによるリメイク版に近いもの。もともとはCGアニメで、少人数低予算であまりいいツールも使われてなかったから映像自体は決してクオリティが高いとはいえないようなものだったが、それが日本のアニメーション会社の制作で、しかも充分な予算をかけたうえで刷新される。
オリジナル版『RWBY』は日本のアニメに影響を受け、日本への憧れを目一杯に載せて作られたラブレターのような作品だったから、この作品が日本からの返礼ということになる。
もともとのストーリーがしっかり練られていたし、特にアクションシーンはオリジナル版が最高のお手本になっているから、間違いなく良いものになるはず。今季一番の期待作だった。
が、できあがったのはまったくの別モノ。もはやまがい物というしかない駄作だった。
まず作劇だが、全体的なトーンは抑え気味になっている。オリジナル版はカートゥンアニメふうで全員が常にハイテンション。主人公ルビー・ローズもいつもハイテンションでまくし立てるように喋っていた。印象的なのは笑い方で、日本人がしないような大きな口を開けて快活に笑う。ああいったところが日本人の感性にないところで、可愛らしく感じたところだった。
が、日本版『RWBY』でのルビーは別人のように落ち着いている。オリジナル版はビーコン・アカデミーにやってきて大はしゃぎになっていたのだけど、日本版では少し気分を高揚させる程度で落ち着いている。大声を出したり暴れたりもしない。
これはキャラクター達が“日本人になっている”せいだ。キャラクターは欧米生まれで現実世界との関連もないのだが、しかし日本人が描いているから日本人的な意識がどうしても反映されてしまう。
(異世界を舞台にしても、日本人が描くとどうしても出てくるキャラクターが日本人的な振る舞い方になる)
描き手というのは、自分の体内にない感性は描くことができない。描いてもどうしても嘘っぽくなってしまう。これは漫画でも小説でも映画でも同じで、作中に描かれるキャラクターはどうしても作者の意識が反映されてしまう。現実世界で冷静な人が描いたら登場人物はみんな冷静なキャラクターになるし、現実世界で熱血な人が描いたら登場人物はみんな熱血キャラクターになる。
というわけで、日本版『RWBY』は登場人物が全員日本人になっている。これがオリジナル版『RWBY』と違うところで、オリジナル版ルビー・ローズは(精神が)アメリカ人だが、日本版ルビー・ローズは(精神が)日本人だ。
(キャラクターの中で一番影響を受けたのはノーラ・ヴァルキリーだ。オリジナル版はもっとハイテンションなキャラクターだったが、日本版は落ち着いている。というか、ほぼ「普通のキャラ」。日本化したがゆえにノーラの元々持っていたアイデンティティをなくしてしまった。残念なキャラクターだ。オリジナル版はもっと愉快なキャラクターだったのに)
私の個人の心象をいうと、オリジナル版ルビー・ローズのほうが可愛かったなぁ……。日本版ルビー・ローズどうしても「どこかで見た」という雰囲気が先だって、あまり独創的なキャラクターに思えなかった。変に可愛らしさをアピールしようとしているところも鼻につく。オリジナル版はもっとキャラクターとして自然だったのにな。
キャラクターが日本人になっている。これは許容できるもので、ある種作品を日本化した結果として必然的に起きる現象だ。むしろ「日本化している」というだけでもリメイクされている意義は出ているといってもいい。なぜなら「文化の差」がそこで表現されたわけだから。
問題はいくつもあるのだが……まずアクションから入ろう。
オリジナル版『RWBY』の素晴らしいところはなんといってもアクションシーン。アクションの切れ味がただただひたすらに素晴らしい。そこだけで一点突破した作品だといってもいいくらいだ。
しかし日本版の『RWBY』はアクションがまったくダメ。オリジナル版の良さをすべて削ぎ落とされている。オリジナル版『RWBY』でのアクションは常に一歩引いた視点になり、キャラクターの立ち回りを中心に捕らえている。この立ち回りが非常に華麗で、ダンスのような美しさとキレがあった。
ところが日本版『RWBY』は全体を通して何が起きているかよくわからない。手描きアニメで再現されているのだけど、メリハリを付けようとしてカメラがキャラにクローズアップぎみになり、線画は力一杯動いている“雰囲気”は出ているのだけど、見ていても何をしている瞬間なのかよくわからない。攻撃を防いだ瞬間なのか、ダメージを与えた瞬間なのかすらよくわからない。画面の動きにメリハリを付けすぎて、肝心の瞬間がどこかわからない。これではアクションを描いている“つもり”になっているだけ。“気分だけ”で絵を描いただけでアクションになってない。
本当いうと、元になっているアニメのアクションシーンがひたすらに素晴らしいものなのだから、それをトレースしてプラスアルファすればいいだけだった。それくらいオリジナル版の出来が良かったのだから。でも日本版『RWBY』はダメなものをいろいろ足しすぎて、結果なにを表現しているのか、何が起きているのかよくわからないようなアクションになってしまった。
第2話『試験』では大ガラスの姿をしたグリムとの戦いが描かれる。正面には大ガラス、背後には巨大サソリという構図だった。オリジナル版ではいろんなキャラクターが入り乱れ、入り乱れつつ見る側が混乱しないように、それでいてパワフルなアクションが描かれていた。
しかし日本版『RWBY』はオリジナル版で描かれた立ち回りの大半がカットされ、省略され、クライマックスの「決め」のシーンだけが描かれたのだけど、それすら全体がクローズアップされ気味でなにが起きているのかよくわからない。なんとなくの雰囲気でどうやら大ガラスをやっつけたらしい……みたいな描写になっている。そこに至るまでの過程もカットされ、肝心のシーンも何が描かれているのかよくわからないので、見ていても何も心動かされないことはない。
第3話では港の倉庫街にやってきたローマン・トーチウィックとの戦いが描かれるはずだったが……まさかの全カット。ここでのローマンとブレイク・ベラドンナとの戦いが最高に格好よかったのだが、1カットも描かれず(そのせいでブレイクのバトルスタイルもわからないまま)。さらにここで謎のキャラクター・ペニーが参戦し、そのおそるべき戦闘力を発揮されるはずだったのだが、ここも全カット。
日本のアニメ版では主人公達がやってきたら倉庫街はすでに破壊されていて、周囲一帯が炎上している……という描写で、何が起きたかわからない。あの描き方じゃ、あそこで何があったかわからないし、ペニーの正体もわからないままじゃないか……(ここでペニーが戦闘ロボットであることが明かされたはずだったのだけど……)。どうして肝心のシーンをカットしてしまったのか、わからない。
次に映像についてだ。
もともとが低予算少人数制作作品で、アクション以外はあまりうまいとはいえない作家による作品だったから、それ以外のほとんどのシーンはさほど良いものではなかった(アクションに全振りしているので、そのぶんのマイナスはカバーできているのだが)。
では日本版『RWBY』はどうだろうか。日本版『RWBY』は低予算制作でも少人数制作でもない。どのようにアップデートされたのだろうか。
結論をいうと、さほど変わらなかった。
というのも日本版『RWBY』はどのシーンも奥行き感がまったく感じられない。シャフトはある時期まで平面構図の構成にこだわってきた制作会社ということもあって、いざ空間描写が必要な作品となると、まるでダメ。どのシーンもパースがない。キャラクターが平面の書き割りの上に載せられているだけにしか見えない。これは『ルミナスウィッチーズ』でも同じことで、パースが描けていない。空間の広がりが描けていないから、キャラクター達がその世界観の中で活劇している雰囲気もまったく出てこない。なにもかもが嘘くさくなる。
『化物語』シリーズでは平面構成を徹底したからこその空気感が出たのだけど、その時の癖が抜けず、中途半端に平面的。立体的な絵を作ろうとしてもパースがぐちゃぐちゃ。プロの絵とは思えないような画ばかりで、絵を見て楽しみがいがない。
アクションも同じくで、空間描写がぐちゃぐちゃの中、表面に乗っているセル画の動きを頑張ってみたところで“アクションをしている雰囲気しか”出てこない。雰囲気だけのアニメーションだから力強さも出てこない。
むしろ日常描写のシーンもオリジナル版から劣化したんじゃないか……とすら思える出来の悪さだ。
アクションと空間描写の問題も実をいうと次の問題からすると大きな問題ではない。一番の問題はストーリーそのもの。オリジナル版のストーリーを徹底的にダメにしたのが日本版『RWBY』だった。
第2話、最初の試験の結果、ルビー・ローズをチームリーダーとする「RWBY」が結成されるのだが、チームメンバーであるワイスは納得していない。ワイスはプライドだけは高い少女で、年少のルビーと同じチームで、しかも彼女がリーダーということが受け入れられない。ワイスはすでに実力があって世間的な評判の高いピュラ・ニコスと同じチームになりたかったのだ。
しかし第3話、ワイスはチームJNPRの様子を見て、自分のチームを受け入れようと考える。「ダメなリーダーを支える最高のチームメイトなら、むしろリーダーでいるより得点は高い」……というモノローグで語られるのだが……。
なんとこのモノローグだけで心境の変化をすべて説明してしまった。これは素人の作品だ。物語は「エピソード」で語らねばならない。心境の変化をすべて台詞やモノローグで説明させるというのは素人の作品だ。『ルミナスウィッチーズ』がまだまともと思えるくらい平凡な作劇だ。
脚本は素人か? いやシリーズ構成・脚本ともに冲方丁だ。誰もが知るベテラン作家。私も冲方丁の過去作品を見ているが、こんな出来の悪い脚本を書く人ではなかった。クレジット上では冲方丁と書かれているが、別人ではないのか……と疑うほどに脚本の出来が悪い。
すでに書いたように、第3話はクライマックスとなるアクションシーンが省略され、ここからオリジナルストーリーが展開していく。
一度はチーム「RWBY」を受け入れたはずだったワイスだったが、心から納得したわけではなかった。本音に隠された暗部がグリムに囚われ、昏睡状態に陥る。そのワイスを救い出すために、ルビーたちがワイスの意識の中に潜り込んでいくが……。
この展開がつまらない。オリジナルでやるようなお話ではない。しかもこの展開がやたらと長い。いま8話までシリーズが公開されているが、いまだにワイスの夢の中。終わりそうな気配がない。
なぜこの展開がつまらないのか。
まず第4話、いきなりワイスの夢の中からお話がスタートする。インパクトを狙った演出で、まず夢の中から始めてそれから解説に移っていくのだが、意外性を狙いすぎたせいで何が起きたかわからない。1話飛ばしちゃったかと思った。
第2に夢の光景がありきたりでつまらない。夢の中ではその人の深層心理が映像化されて、無秩序にひしめき合っているのだが……似たようなイメージは別の作品で山ほど見た。この作品ならではの独自性がまったくない。
第3に何度も同じストーリーを繰り返す。最初ルビー・ローズ1人で乗り込むが、解決できず撤退。続いてルビー、ブレイク、ヤンの3人で乗り込むが失敗。さらにジョーン・アークを交えた4人で潜入……というのが現在公開されている8話までの展開だ。
夢の中に入り直すたびに、同じシーンからストーリーが始まる。見ていると「またかよ」となる。
しかもルビーにしてもヤンにしても、夢の中をたいした探索もせずに諦めて帰ってしまう。1回1回の潜入で間違いなく「進展した」というメルクマークがあれば許せるのだが、お話が進んでいるという感覚がなく、ただひたすらに繰り返しの映像を見せられているという印象になっている。まるで『涼宮ハルヒの憂鬱』の「エンドレスエイト」を見ているような感覚だ(あちらは映像が良かったからまだ見られたが、『RWBY』は映像もガタガタだから見ていてしんどい)。
これはオリジナル版の展開を省略してまでやるようなお話だったのか。本当ならお話はもっと前へ前へと展開していくはずだったのに、ずっと同じところで停滞し続けている。しかもこれが面白くない。どうしてこんなつまらないオリジナル展開を入れたのか……当事者に問い詰めたくなるような出来の悪さだ。
どんなアイデアもイメージも、「物語」という推進力がなければ充分に力を発揮しない。逆にどんなに平凡なアイデアやイメージであっても、物語が良ければ強力に魅力を発揮する。『RWBY』はオリジナル版が非常に魅力的な作品だった。そのもともと持っていたはずの魅力が、日本版は物語の不出来ですべて台無しにしてしまっている。ほとんど素人による二次創作レベル。こんなもん予算掛けて作るな、と言いたくなるような代物だ。
日本版リメイク『RWBY』は完全なる失敗作だ。映像は特にアップデートされず、オリジナル版では最高だったアクションがボロボロだし、キャラクター達は日本化したために平凡になり、なにより作劇がガタガタで面白くない。全ての要素をダメにしたのが日本版『RWBY』。
これはオリジナル版『RWBY』に対する侮辱でもある。日本の恥。日本のアニメがいかに制作力がないか……を示すような作品になった。日本が大好きでこの作品を作ったモンティ・オウムに謝ってほしいくらいだ。こんな作品を作っていたら、「日本のアニメはもうダメかも……」と言われても仕方ない。
……本当はこんなの書きたくなかった。つまらない作品に遭遇したら、まず「感想文は書かない」という対処法を取るのだけど……。『ルミナスウィッチーズ』と『RWBY』はつまらない以上に許せない。「なぜ作った」と尋ねたくなるくらいの出来の悪さ。『ルミナスウィッチーズ』はシリーズの汚点というべき駄作だし、『RWBY』は今は亡きモンティ・オウムへの侮辱だ。
まずいって、シャフトの制作力はこの程度ではないはず。シャフトの作品はずっと観てきているからポテンシャルの高さはよく知っている。いつもはもっと映像にこだわって、放送に間に合わない、DVD版で補完する……くらいのことをやるようなところだ。
しかし今季公開の『ルミナスウィッチーズ』と『RWBY』の両作はどちらもそういったこだわりは一切感じない。ただ単に出来が悪い。『RWBY』のほうはストーリー構造がド素人レベル。この脚本はプロを名乗っちゃダメなやつ。絵の作りも悪い。素人制作アニメかと思うくらい。
いったいどうした、シャフト。シャフトの力はこの程度じゃないはず。シャフトの本気を知っているから、今回だけは厳しく書くことにした。今回はたまたま悪かっただけ。明らかに本気を出して作品と向き合ってない。次はきっと業界がざわつく良い作品を作ってくれると信じている。それを信じて、今回は厳しめに書いておこう。
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