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『ひきこもり探偵』第一章「ひとり娘の失踪」(7)

 いくら英語ができるからって、ロシアに旅行しようと思うだろうか。そもそもロシアって英語、通じるのかな? Instagramの写真を睨みながら腕を組む。街並みの写真は市井の人々が暮らす場所で撮られたものであって、観光地のものではない。一体何をしにロシアに? どのような仮説が立つだろうか。メモ帳を立ち上げ、思いつくままにキーを叩く。
 
(一)ロシアに住む知り合い(たとえば彼氏?)に会いに行った。
(二)ロシアの街に興味があった
(三)知り合いの渡航についていっただけ
(四)ただ何となく(あまり人が行かない場所に行ってみたかった)
 
 (二)(四)の線はなさそうだ。(一)か(三)あたりが怪しい。
再びOutlookを立ち上げる。
 
  件名:Re,Re,Re,【渡瀬まさみ】さんについて
  To:母
  From:息子
  【まさみ】さんのお母さんに次のことを聞いてくれない?
  ・ロシアに行ったことはあるか?
  ・ロシアに知り合いがいるか?
  ・ロシア人の知り合いはいるか?
 
 母の返信はいつも早い。電光石火のごとく。
 
  件名:Re,Re,Re,Re,【渡瀬まさみ】さんについて
  To:みつる
  From:母
  自分で聞きなさい!
 
 あゝ、何と無慈悲なお言葉。抗議をしても無駄なので、頑張る、とだけ返信した。
 買ったばかりのiPhone3を手に取る。そうだ――。
 Instagramにはユーザー同士でメッセージ交換ができる機能があるようだ。母親がInstagramのアカウントを設定すれば、【まさみ】と連絡を取り合うことができるじゃないか。母子が直接コミュニケーションをとってくれれば、僕がこんな苦労をする必要などないのだ。
 母親がPCを常用する人であってほしい。携帯がスマトフォンであればベストだけどね。
 iPhoneの履歴から母親の番号を探し、リダイヤル。
 母親はすぐに出た。
「もしもし、【みつる】くん」
「はい、【満】です」
「ちょっと待ってね」
電話の向こうはざわざわしている。どこにいるのだろう?
「ごめんね」
 少し息が上がっている。
「晩ごはんの買い出しにスーパーにいるの。売り場にいたから、人気のない場所に移動してきたわ」
 そういうことか。時刻は午後五時。市井の人々の生活とはこういうものなのか。と同時にそんなときに電話してしまい、申し訳ないという気持ちになった。
「えーと、いくつか聞きたいことがあるんですけど……いいですか?」
 僕はInstagramの投稿写真から、【まさみ】がロシアに渡航している事実を掴んだと伝えた上で先に立てた仮説を確かめるべく、用意していた質問をぶつけた。
「えっとー、彼女はこれまでにモスクワを訪れたことがありますか?」
「ないわね」
「えっとー、彼女がモスクワを訪れた目的に心あたりはありますか? 観光とか、知り合いがいるとか」
「モスクワねー。それ本当なのかしら? あの子、音楽が好きだからウィーンには行ってみたいってよく言ってたけど、モスクワなんて名前は一度も聞いたことがないわねえ。正直、目的は見当もつかないわ」
「えっとー、ロシア人の知り合いがいるとか?」
「留学してたから、オーストラリア人の友だちは結構いるけど、ロシア人の知り合いはいないと思う」
「ありがとうございました。よく分かりました」
「えっ? こんな答えで役に立ったのかしら?」
「はい、役に立ちました。仮説の選択肢が一つ消えましたから」
「はあー」
「ではまた。失礼しまーす」
 僕は親しくない相手との会話を終えるといつも不安になる。相手に不快な思いをさせなかったか。相手を怒らせてしまったのではないか。特に電話は難しい。
 先ほど、メモ帳に入力した記録をもう一度眺める。
 
(一)ロシアに住む知り合い(たとえば彼氏?)に会いに行った。
(二)ロシアの街に興味があった
(三)知り合いの渡航についていっただけ
(四)ただ何となく(あまり人が行かない場所に行ってみたかった)
 
 (二)と(四)の選択肢は鼻から捨てていた。今の母親の言葉を是とするならば。(一)の選択肢もない。黙っていなくなってしまうような娘だ。そんな親子関係のなかで、親がどれだけ子どもの交友関係を把握しているか、甚だ疑問ではあるが、他に考えるヒントはないので、ここは割り切ることにした。(一)も一旦、捨てる。
 残る可能性は一つ。
『(三)知り合いの渡航についていっただけ』
 ここで失敗に気づく。母親にInstagramのアカウント設定を案内するのを忘れていた。やっぱり僕は駄目だ。同時にいくつものことを覚えていられない。
 自己嫌悪。

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