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『ひきこもり探偵』第一章「ひとり娘の失踪」(1)

 二〇一〇年一一月某日。
 いつものルーティンが崩れると僕の心は乱れる。Starbucksのコーヒー豆を丁寧に挽き、少し大きめのカップを用意する。Starbucksじゃないと駄目なのだ。そう、それが僕のこだわり。ケトルで湯を沸かし、温度が八〇度まで下がるのを待つ。香りがしっかりと立つように、お湯をゆっくり回しかける。それを自室のソファに座って、時間をかけて楽しむ。幸せな時間だ。
これが朝目覚めてから一時間のルーティンなのだが、今日は一連の行為を実行できなかった。なぜならコーヒー豆を切らしていたから。昨日の夕方に買いに出かけるのを失念していた。
 僕は、こんな些細なことで困惑し、心穏やかでいられなくなる。
僕の名前は【八雲満】。二十歳。神奈川県小田原市在住。独身。家族は母と二人。趣味は読書とネットサーフィン。愛読書は『リーダーのお作法』。運動神経ゼロ。ファッションセンスもゼロ。もてる要素がまるでなく、したがって彼女もいない。おまけに、ニートなのである。
 県内にある某有名私立高校を卒業、学校の進路指導の教諭から大学進学を強く勧められるものの、どうしてもその気になれず、かといって働く勇気もなく、そのままニート生活に突入した。ニート歴はもうすぐ二年になる。こんな生活をいつまでも続けるわけにはいかないとは分かっているが、定型発達の人々がつくる世界にどう関わっていけばよいものか、ずっと思案し続けている。
 社会に出ていく自信がない。そう、僕は自閉症だから。
 診断がついたのは、僕が小学校に上がる少し前、五歳のときのこと。といっても僕は結局、小学校には通わなかったのだけれど。その話はまた今度。
僕はたいそう、手のかからなかった子どもだった。両親が仕事で忙しいときにお願いしていたベビーシッターからよく言われたそうだ。こんなに面倒のない二歳児ははじめてよ、と。とくかく動かない、しゃべらない。やらなきゃいけないのは、ときどきオムツを替えることくらい。多くの時間は放っておいて大丈夫。普通の子は、二歳ともなると使える言葉も増え、簡単な会話くらいならできる。そして、活発に動く。その行動は、大人たちの想像を悠々と超える。ところが僕ときたら、一語の単語も発することなく、ひたすらじっとしていた。そんな状況でも父母はあまり切迫感がなく、ちょっと発育が遅いくらいにしか考えていなかった。
 幼稚園に通うことになっても状況は変わらず、いつも一人で絵を描いているような子どもだった。そんな作品の一枚を、今も母は保管している。僕もそれを見せてもらったことがある。いろいろな色の乱れた楕円がいくつも折り重なっている。何を描いたものなのか、当の本人でもさっぱり分からな い。
 それまで鷹揚な態度を取り続けていた両親も、自分の息子が他の家の子どもと少し違っていることに気づき始めた。園からの勧めもあり、近所にある大学病院の小児科発達外来を訪ねたのが、小学校入学の約一年前のこと。検査の結果。ついた診断名は自閉症スペクトラム障害をASDと言う。LD(学習障害)が併存しているかどうかは、その時点では判断できなかった。明らかに学力の遅れが見て取れたが、それが本来の障害によるものなのか、それともASDによって情報のインプット量が制限されてきた結果なのか、時間をおいてから調べましょうということになった。結局、LDの検査は受けなかったが。
 小学生になる前の僕の人生はだいたいこんな感じ。
 実は、この頃の記憶はほとんど残っていない。あるのはイメージの断片ばかり。文脈をもって語れる話は一つもない。ここまでの話は全部、母や祖母から聞き取ったものを再構成しているだけ。記憶は蓄積されず、感情の動きもない。僕の人生の始まりは長い時間、無に止まっていたのだ。
山間を撫でる風の音。冬の到来を告げるように冷たい風が樹々を揺らす。
僕が住んでいるのは小田原市根府川。東海道本線の小さな駅を降り、山を少しだけ登ったところに家がある。近くに世界的なホテルチェーンが運営する高級リゾートホテルがあるものの、これといった観光スポットがあるわけではなく、人の往来は少ない。とても静かな場所だ。僕はこの土地をいたく気に入っている。何といっても駅のホームから見える景色が最高だ。視界いっぱいに広がる水平線。広陵たる海の景色が僕を魅了するのだ。
 また風の音。
 なぜ普段、注意を向けることのない風のささやきが気になるのか。僕は分析する。そう、僕にとって感情はあくまでも分析の対象なのだ。人のものでも、自分のものでも。
 いつものルーティンを乱す予定がこの後に控えている。その予定のせいで緊張し、感覚が過敏になっていると僕は結論した。
今日、母の紹介で一人の訪問者を迎えることになっていた。約束の時間は十一時。お昼ご飯を十二時に食べられるだろうか。そんな心配をしてしまう。訪問者と僕は初対面ではないらしい。その人の記憶はないが、その人の娘のことなら、ほんの少しだけ覚えている。娘の名は【渡瀬まさみ】。いや、というらしいと言うべきか。僕は、その名は覚えてはおらず、昨日、母から聞き取ったのだった。近所に住んでいた彼女とは幼少の頃によく一緒にいたそうなのだが、先ほど述べたように子ども時代の僕の記憶は雲を掴むように漠としている。思い出せる記憶はごくわずか。公園のような場所。西の空、沈みゆく夕日を二人は手をつないで眺めている。彼女は泣いていたように思う。
 静止画のような記憶。
 時間の経過がいつもより長く感じる。大好きな本を開いていても、PCを立ち上げ、日課になっているニュースサイトをチェックしていても、心ここにあらずという感じ。そう、僕は何かに心を囚われてしまうと、何も手につかなくなってしまのだ。気を紛らわすなんてことは絶対にできない。
会話という行為によって僕の精神は著しく消耗する。脳のエネルギーを使い果たしてしまったときには、それ以上話す気力が湧かず、その場から逃げ出したくなる。慣れていない人と話すときには恐怖すら感じる。途中で燃料切れになってしまったらどうしよう、という不安と、人を不快な気持ちにはさせたらどうしよう、という心配とで、余計に心が重くなる。

>>>『ひきこもり探偵』第一章「ひとり娘の失踪」(2)

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