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『ひきこもり探偵』第一章「ひとり娘の失踪」(2)

「【みつる】くん、立派な青年になったわね」
 いやいやそれは正しくないでしょ。ニートの僕が立派であるはずがない。この人は僕がどんな生活をしているか知っているのだろうか。
「最後に会ったのはいつかしら?」
 【まさみ】の母親のその声に、疲れが滲んでいるように感じた。
「【まさみ】ちゃんが小学校に上がった頃じゃない」と僕の母が答える。
 これも昨日の晩に母から聞いたことだが、現在の【渡瀬】家は父母、【まさみ】の三人家族で、その昔、この近所に住んでいたのだそうだ。母の「現在の」という一言が気になったが、追及することはしなかった。その一言の意味は。ずいぶん後になって知ることになる。
 【まさみ】ちゃん、心配ね、と母。そうなのよ、と【まさみ】の母親が肩を落とす。
 突然、母が席を立った。
「私、仕事があるからこれで失礼するわね。詳しい話は【みつる】が聞くから」
 えええ? この人の話を僕が一人で聞くの?
 とりあえずは笑顔。笑顔は人の緊張を解く、と『リーダーのお作法』に書いてあった。だから僕は、人と対峙するときには務めて笑顔をつくるようにしている。そんな様子に母は、自閉症のくせに外面がいい、と僕をからかう。
 気づくと、母親がこちらをじっと見ていた。
「本当に【まさみ】のこと、探してくれるの?」
 探す??? 僕が???
「あの~、どういうことでしょう?」
「あなたのお母さんが言ったの、息子が【まさみ】を見つけてくれるって」
聞けば、半月ほど前から【渡瀬まさみ】の行方が分からなくなっているという。
「えっと、僕が行方不明の【まさみ】さんを見つけるということですか?」
母親がうなずく。
「あの~、僕、ニートですけど」
「はい、お母さんから聞いて知っています」
「しかも自閉症ですよ」
「はい、それも知っています」
「人と話すのが苦手です。調査なんてできないと思いますけど」
「でもパソコンが得意だって」
 パソコン?
 僕は腕を組んだ。思案する。PCか。確かにネットを使えば調べられることはそれなりにあるかもしれない。それにしても愛する母よ、あなたはどういうつもりなのですか? 息子を困らせて楽しんでいるのですか?
 【まさみ】の母親が小鹿のような瞳で僕の顔を覗き込んでいた。出来ることはあるかもしれないが、やっぱり面倒なことには関わりたくない。でも、断るための言葉が見つからない。とりあえず、場をしのぐために、話しだけは聞くことにした。
「分かりました。何ができるか分かりませんが、とりあえず失踪までのことを聞かせてください」と、ちょっとカッコつけて言ってみる。
 ということでこの後、一時間ほど依頼者の話を聞き続けることになった。僕にとっては結構な苦行だ。なぜなら、僕の短期記憶回路は生まれたときからずっと破損したままだから。これが人と話すときの障壁になるのだ。相手が言っていたことが分からなくなってしまい、会話が続けられなくなる。以下は【まさみ】の母親が話し始めるのを制止し、PCを取りに行き、記録したものである。
 
 ひとり娘がいなくなった。
 連絡が取れなくなったのはおよそ半月ほど前。【まさみ】は都内の短大に通うため、世田谷区内でひとり暮らしをしている。いやしていた。母親がそこを訪ねると物件は解約されており、もぬけの殻だった。大学に連絡を取ってみると、二週間前に退学届が提出されていた。自身で事務局に提出しに来たという。
「あと半年で卒業なのに」
 母親はうな垂れた。
 【まさみ】は、卒業後、新宿に本社を構える商事会社で働くことになっていた。母親はその会社にも電話連絡を入れた。人事部の採用担当者に【渡瀬まさみ】の名を告げると声色が変わった。電話の相手は明らかに怒っていた。
「十月の内定式の際にちょっとしたトラブルがありまして、大変申し訳ありませんが、内定取り消しとさせていただきました」
 詳しいことを聞かせてほしいとお願いしてみたが、ご本人に聞いてください、と取りつく島もなく、通話を切られてしまった。
 混乱した母親は、夫に相談した。夫はまったく取り合ってくれなかった。夫が放った一言。
「【まさみ】は大丈夫だ」
 それだけだった。可愛いひとり娘の行方が知れないのに、なぜそんなに平然としていられるのか、【まさみ】に一生会えなくてあなたは平気なのか、なんて薄情な父親なの、この人でなし、と思いつく限りの悪態をついてみたが、夫は腕を組んで黙っているばかりだった。
  警察にも行った。一通りの話を聞いてもらい、捜索願を提出したものの、対応してくれた警察官の言葉は彼女の一縷の望みを打ち砕いた。
「娘さんの場合、自ら住居の解約手続きをし、家具などの生活用品も一式、綺麗に運び出しています。大学の退学届も本人が提出に行ったということですから、失踪は本人の意思と考えるのが順当です。事件性は感じられませんし、娘さんに身の危険もないでしょう。ご心配は分かりますが、警察は私的なことには立ち入れません」
 絶望。
 そんなとき現れた救世主がわが母だったのだ。
 【渡瀬】夫妻は今、小田原の中心部に住んでいる。引っ越して十年以上が経つが、母と【渡瀬】家との交流は続いていた。母は打ちひしがれた旧友にこう言った。
「今はネットでいろいろなことが調べられる時代よ。うちの息子が役に立つかも。ネットオタクだから。自閉症だけど頭は悪くないから大丈夫よ」
 一体、何が大丈夫なんだよ。

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