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『ひきこもり探偵』第一章「ひとり娘の失踪」(3)

 お昼ご飯がいつもより一時間遅くなった。【まさみ】の母親を玄関で見送ると、急いで近所のコンビニに走った。
 全力疾走。
 失った一時間を取り戻したい。そんな心境だ。コンビニでペペロンチーノとペットボトルのお茶を買い、再び走る。家に着くころには汗で背中がじっとりしていた。もう十一月だというのに。
 食事を終え、早々にモバイルPCを立ち上げる。
 あれ? 僕、この話、断るつもりじゃなかったっけ? この辺が僕の駄目なところなのだ。意思が弱いというか何というか。なんとなく状況に流されてしまう。母親の話を聞いているうちに、いつの間にか調査方法を考えていた。
 ネットを使って、人の居場所を調べる。
 どんな方法で?
 思いついたのはSNSだった。
「私、そういうのよく分からなくて。えっと、短い文を書く…、何でしたっけ?」
「Circleですね」
「そんな名前だったかしらね。あと、写真を投稿する何とかっていうのを始めたって言ってました」
 写真を公開するSNS――。なんだろう? あとで調べよう。
 まずは短文投稿サイトCircleからだ。
 ログイン。
 普段使うことはないが、アカウントは持っていた。早速、【渡瀬まさみ】で検索。こちらはほぼ収穫なし。Circleは、実名でなくてもアカウントをつくれるため、漢字氏名で登録するケースは少ないのだ。【わたせまさみ】でも、【ワタセマサミ】でも結果は変わらなかった。続いて【Watase Masami】で検索。こちらにはそれなりの件数がヒットした。一件一件、覗いていく。
《二歳の息子が外出先で大量うんち。ズボンも汚れて最悪》 違う。
《これから婦人会の飲み会。レッツゴー!》 これも違う。
《常磐線が人身事故でストップ。約束に間に合わないよー》 これはどうだろう? あれ? 二年前で更新が止まっている。このとき【まさみ】は小田原の実家に住んでいたはず。これも違いそうだ。
 こんなことをしているうちに、時間の感覚がなくなっていった。

 気づけば外が暗くなり始めていた。
 思案する。この作業を続けていて、いいのかな?
 一旦、調査を中断、二階にある自室を出て、一階に降りる。わが家は二階建ての一軒家だ。もともとは母の両親が住んでいた家を建て替えたものだ。建て替え当時はまだ祖母が存命だった。一階の和室を祖母が、二階の洋室二つを、僕と母がそれぞれ使っていた。二階にはもう一つ部屋がある。そこは交友関係の広い母がゲストルームとして使っていた。二世帯だったこともあり、水回りは一階、二階のそれぞれにある。現在、二階の水回りはゲスト専用で、僕ら親子は一階を使っている。
 一階に降りると、母がキッチンに立っていた。
「晩ごはん、ナポリタンね」
 しまった。被った。昼ごはんをペペロンチーノにしたことを激しく後悔。三色弁当にしておけばよかった、
 外出の予定がない限り、母は料理をつくる。健康のことを考えて、可能な限り調理をした食事を採りたいのだそうだ。料理をするのはあくまでも自分のため。あんたの分をつくるのはついでだから。と言う。
「で、【まさみ】ちゃんのこと、調べ始めたの?」と母。
「うん、始めた。SNSを見てる」と僕。
 僕は母に対するとき、言葉の抑揚が消える。定型発達の人々は、感情のこもらないしゃべり方を不快に思い、ときに怒りを覚える。僕はときどき、母を怒らせてしまうことがある。仕方がない。これが自閉症というものなのだから。
 定型発達の人がつくる社会は、僕らにとってとても窮屈な場所だ。表情をつくり、しゃべり方にも気をつけないといけない。僕は映画の名優たちから立ち振る舞いを学んでいる。お気に入りの俳優は、随分と昔に亡くなったスティーブ・マックイーンという男優さん。同年代の人に話しても誰も知らないから。悲しい。彼の笑顔には無限のバリエーションがあった。ニヒルな笑み、クールな笑み。人を惹きつける茶目っ気のある笑み。彼の表情を真似ようと必死になっていた時期があった。
「あんた、なにカッコつけてんの。似合わないよ」
 母のその一言で僕は、マックイーンになるのを止めた。母の言う通り。彼と僕とでは素材が違い過ぎる。何事も素材は大事だ。
 ナポリタンの皿が二つ、ダイニングテーブルの上に置かれた。さらにシーザーサラダが載った皿が追加される。
「で? 今何をしてるの?」
「Circleを見てる」
「何か見つかりそうなの?」
「あまり期待できそうもない」
「あっ、そう。他に手がかりはないの?」
「写真を投稿するSNSをやってるって言ってた」
「写真? そんなのあるの?」
「聞いたことない」
「調べてみたら。あんた得意でしょ、調べるの」
 親子の会話はこれで終了した。あとは黙々と食べる。
母は食べるのが早い。あっという間に皿は空っぽだ。ご馳走さま、と言って皿をキッチンに下げ、洗い物を始める。ここ数年、親子の会話は劇的に減った。大学に行ける学力があったのに、こんな怠惰な生活をしている息子を軽蔑しているに違いないのだ。ちなみに母はすこぶる勤勉だ。親不幸な息子でごめんよ。
「お皿、洗っといてよ」と母。
「うん」
 消え入るような声で返事をした。
 部屋に戻る。
 写真を投稿できるSNSか。調べてみるか。
 Googleの検索窓に『写真 投稿 SNS』と入力してみた。検索結果をざっとスクロールする。ある経済紙のWEBページが目に飛び込んできた。『SNSも写真投稿の時代』というタイトル。
 ページを開く。
『ケビン・シストロムとマイク・クリーガーによって創設されたInstagram社は十月六日、写真共有のためのソーシャル・ネットワーク・サービスInstagramをリリースした。App Storeに登場した同サービスは、ハイペースでユーザーを集めている。同社の発表によれば百万人突破が目前とのこと。現状は英語版のみのため、英語圏のユーザーが中心ではあるが、将来的には多言語対応が予定されており、全世界で利用者が急増する可能性がある。ソーシャル・ネットワーク・サービスの普及は企業のマーケティングを大きく変えていくとあると識者は言う。すでにCircleやFacebookを使った企業のマーケティング活動が広がりを見せている。Instagramはさらにその可能性を拡張するかもしれない』
 うん、きっと、これだ。

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