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『ひきこもり探偵』第一章「ひとり娘の失踪」(13)

 僕は【まさみ】の父親を前に、居住まいを正した。
 母は仕事があると言って、早々に自室に引き上げた。
「うちの妻が妙な相談をしてしまったそうだね。迷惑をかけて申し訳なかった」
 父親は深々と首を垂れた。
「あのー、調べたこと報告してもいいですか?」と僕は尋ねた。
「もちろん。聞かせてほしい」
 ということで、僕はここまでの調査結果について順を追って説明した。【まさみ】が黒沢龍吉なる中小企業の経営者の自宅に住んでいる可能性があり、そこは六本木であること、そして、Instagramのアカウントを設定すれば、本人と直接連絡が取れることを、調査の詳細な経緯とともに伝えた。父親はときおりうなずきながら、ときに要領を得なくなる僕の稚拙な報告を黙って聞いてくれた。
「よくそこまで調べたね。たいしたもんだ。僕も相手の男性の名前までは知らなかったよ」
 えっ? どういうこと?
 父親は僕の心の声を聴いたかのごとく話し始めた。
「実は、【まさみ】とは連絡を取りあっていてね、どこに住んでいるかも知ってたし、学校を辞めることも、世田谷のアパートを引き払うことも事前に聞いていた。【まさみ】から母親には内緒にしておいてくれ、と言われていたので、妻には何も言わなかった」
 なんだって!
 全身から力が抜ける。母親が相談したときに、この父親は「【まさみ】なら大丈夫」と言った。すべてを知っていたからってわけか。
「あの子と母親は、昔から、どうもしっくり行ってなくてね。妻は古い考えの人で、女の子は高等教育なんて短大で十分、二、三年腰かけで会社に務めて、あとは専業主婦になればいいと娘に言い聞かせていた。娘も実家で暮らしている間は、人生そんなものかと思ってたようだった。純粋培養だったんだね。東京の短大に通うようになって、彼女は自分の知らない世界が広がっていることに気づいてしまった。そして、自分の人生を模索するようになった。分かる?」
 僕は大きくうなずいた。
「はい、よく分かります。僕も模索中だから」
「そうか。
 彼女ね、キャバクラで働き始めた。もちろん母親には内緒でね。そこで知り合ったのが、黒沢何さんだっけ?」
「龍吉さん」
「龍吉さんね。その人、貿易会社を立ち上げて大成功した人らしい」
 大成功? そんなわけはない!
【まさみ】は、きっと会社の詳しい状況を知らされてないのだ。
 さらに父親の話は続く。僕はポンコツな記憶回路を必死に動かし、父親の話を聞き続けた。
「一応、僕も普通の父親だからね。キャバクラで働くことも、男と同棲することも反対したよ。でも【まさみ】の決意は固かった。あんな娘を見るのは初めてだった。困惑もしたけど、その一方で自分の人生に責任を負う覚悟も感じて、頼もしいとも思った。親としては子どもが自律していく姿を見るのは嬉しいことだからね。定期的に連絡することを条件に、自分の好きなようにしていいと言った。反抗期かな」
「反抗期?」
「もう二十歳だけどね。だいぶ遅れてやって来た反抗期。多少の怪我はするかもしれないけど、それも彼女の人生。失敗をしても、そこから何かを学んでくれればいいと思ってる」
 こんなとき、普通なら何と返せばいいのだろうか? 
 僕はそのことを正直に言うことにした。
「あのー、僕は自閉症です。他人の気持ちを察することが苦手なので、こういう深刻な話を聞いたとき、どう反応すればいいか分かりません。でも話の内容はよく理解できました。ということは、これ以上の調査は不要ということですね?」
「その通り。今日はそれを伝えに来たんだよ」
「分かりました」
 あっけなく調査は終わってしまった。これでいいのだろうか? いや駄目だ。
「あのー、伝えておきたいことがあります!」
「何?」
「黒沢龍吉さんのことです」
 緊張と乾燥で喉が渇いていた。
「黒沢龍吉さんの会社のことを調べました。黒沢さんの会社は、名前を株式会社ユーズドワンと言いますが、たぶん経営はうまく行っていません。三年前の決算では債務超過になっていました。ウェブサイトの更新も止まっていて、会社に電話をしても誰も出ません。でも会社は存続しています」
 饒舌に話せている自分に驚きつつ、更に説明を続ける。
「どうしてなのか、理由までは調べられませんでした。でもきっと何か裏があります。たぶん特殊なところから借入をしています。通常の金融機関であれば、とっくに倒産しているはずですから」
「裏というと?」
「これもはっきりとしたことは分かりません。僕が思いついた可能性は二つ。一つは反社会的勢力とのつながり、もう一つはロシア政府とのつながりです」
「一つ目は分かるけど、二つ目のロシアとのつながりってどういうこと?」
「どんな国も例外なく、インテリジェンス活動を行っています。分かりやすくいえば、スパイ活動です。自国民を他国に潜入させることもありますが、他国民を自国のために利用することもあります。ユーズドワンは表向き、ロシアへの中古自動車の輸出を生業としていますので、ロシア政府としては都合がいいわけです。どのみち……」
 これ以上のことを言うのは差し出がましいのではないかと思い、言葉が詰まってしまった。
「言いたいことがあるなら、全部言ってほしい」
「はい、分かりました。二つのうちどちらの可能性であったとしても、【まさみ】さんにとって好ましい状況ではないと思います」
 父親は視線を落とし、腕を組んだ。
 沈黙。僕は父親の言葉を待つ。
「【みつる】くん、ありがとう。決めたよ。娘を家に呼び戻す」
 父親は再び、ありがとうと言いながら僕の手を握った。その手は大きくて、とても温かかった。

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