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0905:後悔先に立たず

日向坂のツアー『Happy Train Tour 2023』、最初の大阪公演に参戦してきました。
ライブ自体はとても良かったのですが、その前後がかなりバタバタしていたのと、今振り返れば色々と後悔や反省することが多いため、これまでの行動や、今の気持ちの雑多な記録として。
また、ツアーのセトリとかのネタバレに触れることはないですが、ポジティブな内容もほとんど前半しかありませんし5,000字を超えてます。

1.休みが取りにくい中でのツアー参戦計画

1ー1.夏季休暇を利用した計画

日向坂のツアー『Happy Train Tour 2023』が発表され最初のチケット先行である”FC先行”において、全5か所の公演のうち大阪・神奈川・愛知の前半3か所の会場の抽選結果が発表されたのが7月12日でした。
自身は神奈川公演の日程が出張と重複しており参戦できないことが確定していたため、残りの2か所である大阪と愛知について各々2日間、計4日間に対して抽選申し込みを行っていたところ、同日に8月31日の大阪公演Day2当選の通知がありました。

大阪公演の当選は、やはりツアー最初の公演ということでセトリや演出を真っ先に知ることができる、かつ最初ならではのメンバーやファンの興奮を直接味わうことのできる場であり、可能な限り行きたかった公演だったので当選はとてもうれしかったです。

さて、大阪公演は8/30(水)・8/31(木)の平日であり、自身も普通に関東で働く会社員ということもあり、"いつ年休または夏季休暇を取るか"、ならびに"いつどのように移動して宿泊をするか"という遠征計画をちゃんと立てていく必要がありました。

大阪遠征計画Ver1

最初に立てたのは、会社からの5日間の夏季休暇を分割し、8/11(金)から祝日とお盆期間を含む6連休と、当選した大阪公演Day2からの4連休とするパターン。
当日に飛行機か新幹線で向かい、翌日には少しだけ大阪観光をして帰ってくる、そんな1泊2日の移動が最初の遠征計画であり、
「せっかくなら京都とかも寄ろうか」
などと色々考えながら、夏季休暇らしく楽しく考えていました。

1ー2.夏季休暇が利用できなくなった計画

そんな夏季休暇も、当然会社ごとで推奨期間なり取り方も結構文化が異なるわけですが、自身は7月にグループ内で出向に近い形で会社を転籍したため(参考記事)、新しい会社での同文化が直前までよくわかりませんでした。

7月下旬頃に周囲の社員に聞いても
「年によるし、そのうち周知があるんじゃない?」
程度の反応であり、そして7月末に上長からグループ全体に周知されたのが
「夏季休暇は、"やむを得ない理由が無い場合"お盆期間にそろえる方針で」
という取得方針でした。

この"やむを得ない理由が無い場合"という文言、会社で聞いたことある人はまあまあな強制力があるのがわかると思うのですが、仕事としてこの週に勤務する理由が無く、うまく言い訳も見つからなかったため、この方針に従い参戦計画の立て直しが必要になりました。

大阪遠征計画Ver2

こうなると、1か月の間に休みすぎても今度は仕事が回らなくなってしまうため、基本的には大阪Day2の日だけ年休を取得し、日帰りプランへ変更する必要があります。
当日に移動してライブに参戦、後泊して翌朝には飛行機に乗り、急いで東京に戻りリモート勤務で仕事をする、そんなまあまあ忙しい計画を立てていました。

1ー3.夏季休暇が仕切り直しな計画

そんな忙しい計画に対して
「あんまりゆっくりできなさそうになったなぁ」
などと考えていたのですが、そんな計画もまた数日後、8月冒頭にはとあるやり取りにより再度変更が必要になってしまいました。

上長「今から送るメール、見てもらえる…?8/18に本部対応が必要らしい」
自分「…はい?え、これ夏季休暇どころじゃないですよね」
上長「申し訳ない、急ぎ関係者全員のスケジュール押さえて、計画を具体化してほしい」

本部による無茶ぶりかつまあまあ一方的な日時指定により自身の夏季休暇は吹き飛びつつ。
さらには複数のラインの計20人くらいの管理職・社員を巻き込みながら皆さんの夏季休暇もぐちゃぐちゃにしつつ、ひとまずお盆期間が大忙しになることが決定しました。
ただこれにより、"夏季休暇をなるべくそろえよう"なんて方針も勝手に一緒に吹き飛んだので、改めて夏季休暇を使った遠征計画を立て直すことができるようになりました。

大阪遠征計画Ver3

夏季休暇が最大の5日間に戻ったので、せっかくなら最初の計画よりもさらにゆったりと、大阪Day1の日から5連休として残りは9月に回すことにしました。
大阪Day1のチケットは持っていませんでしたが、『あちこちオードリー』のオンラインライブ配信の日でもあったので、前泊して配信を視聴、当日はゆったりと日中にグッズを受け取り、ライブ後は後泊してからあとは自由に。
お盆期間を乗り切ればより自由度の高い遠征計画が待っていると考えると、結果的にはさらに楽しみが広がりました。

2.余裕がなくなっていくツアー参戦計画

そんな自由度が高くなった、せっかくの夏季休暇らしい遠征計画はとても楽しみなものだったのですが、そこから色々と別件が入り直前まで段々と余裕が無くなっていきました。

2ー1.病院の付き添い

車移動への変更&病院の付き添いを考慮した遠征計画

ある程度家族に予定を共有していると、
「余裕があるなら、8/30(水)に病院に一緒に連れて行ってもらえないか
と、愛知にいる認知症の家族、通院に関する車移動の要望がありました。
田舎なので通院だけならバスがあるのでまだしも、処方箋なども考えると車で無いと移動がかなり大変です。
自身以外誰も家族で車を持っていないこと、猛暑続きで徒歩やバス移動だと家族の熱中症などのリスクがある点などから、この要望は引き受けることにしました。

これにより遠征の移動手段が車に変更になったわけですが、東京・愛知間の車移動については、慣れているので若干疲れるくらいで済みます。
ただ、地元から名古屋駅までがとても近い場所というわけではないので、車を置いたまま新幹線や近鉄で愛知に移動すると時間がかかってしまいます。
また、ライブ後に感染面で高リスクである家族に会うわけにもいかないので、愛知・大阪間も含め、すべで車移動で頑張ることにしました。

重要なのは、病院への付き添いがあるということで
「東京からコロナウィルスを持ち込むリスクをなるべく最小限にする」
という点が追加されるため、直前数日間の人との関わり方に注意し、感染対策をできる限り徹底していく必要がありました。

この時点でたしかお盆直前、8/11-13くらいです。8/11と8/12に最推しの丹生さんとのオンラインミーグリがあったことで、毎日を頑張っていた頃ですね。

2ー2.家族のコロナ感染、無くなっていく気持ちの余裕

ここから、色々と計画が圧迫されていきます。

8/19には一般販売で大阪公演Day1のチケットを獲得し、同週末にはミュージカル『ヴィンチェンツォ』を配信と舞台で観覧して、テンションも上がっていたその約3日後。
職場でコロナの人が急に増えてきたらしい」
そんな報告が家族からありました。

家族の職場で複数人感染しているのであれば、どれだけ対策をしていても自身にとっては高リスクな状況と考えられます。
「大丈夫だとは思うけど…」とは言われつつも、前述のリスクを最小限にするためから、準備の都合上1日だけ家庭内で自主隔離し、翌日からホテル等に退避することにしました。
家庭内隔離も効果があると信じて自主隔離期間が計7日半、その間に発症しなければリスクはかなり軽減できると判断したためです。

自主隔離・Day1一般を考慮した遠征計画

そしてホテルに自主隔離し始めた翌日、2つの知らせが入ってきました。
1つ目は早朝、同居家族2人中1人のコロナ発症報告。
2つ目は正午頃、最推しの丹生さんの休養とライブ欠席のお知らせでした。

早朝の時点で家族から
「自主隔離は正しかった、こちらはこちらで頑張るので、あとは頼みます」
と連絡をもらいつつ、午前中にはかなり大きな仕事があったので、
「自分も頑張るぞ…!」
と奮い立たせながら乗り切った後、正午頃に見た一報は言葉を失うものでした。

Day1の一般チケットを取っていなければ、Day2のチケットはトレードに流し、愛知の家族のサポートに専念していた気がします。
ただ、東京の家族からも元々
「サポート予定だったのに申し訳ない、自分の予定も優先してほしい」
と言われていたので、なるべく楽しむつもりで大阪に行くことにしました。

ちなみに8/26(土)、病院の前に施設側などとのミーティングが入りました。
ホテル退避は最初様子見で2泊3日にしていたのですが色々な疲労もあり、8/26(土)には考えることの多さに対して思考力がいよいよ追い付かなくなっていました。
気づいたらその日の夜はすでに高額なビジネスホテルばかりが残り、鍵付個室のあるインターネットカフェも満席ばかりで最終的には車中泊、なんて日になってしまっていました。

翌々日の8/28(月)には同居家族2人目も発症していましたが、自身は症状もなく、抗原検査キットも陰性だったのでこの時の自主隔離は間に合ったのでしょうね。

3.移動とライブ参戦、そして気のゆるみ

3-1.大阪公演2Days

大阪公演Day1前日の東京から愛知への車移動、大阪公演Day1当日の午前中の用事、そのあとの愛知から大阪への車移動、これらは無事に終わりました。
当日にはグッズ会場受け取りの予定時間より1時間も早く到着できましたが、さすがに少し疲れが出て車の中でぼーっとしていた気がします。

今思い出しても、ここから気がゆるみ始めました
「もう頑張ったよね」「もうはめ外して良いよね」と。

最推しのいないライブ、感情がジェットコースターのような感じでしたが、ライブ全体としては楽しかったですし、その思いについては気が向いたら後日述べるとして。
何人か知り合いに会ったり、コールしたり、年齢の近い方々と飲んだり、とても楽しんでいました。
そして、とても気がゆるんでいました

3-2.気のゆるみのツケ

大阪公演2Daysの翌日、ホテルのチェックアウト時は
「冷房の乾燥と、コールのし過ぎで喉が痛いなぁ…」
と思いつつ。
チェックアウトしてからもライブロスと移動疲れで、停車させた車の中で意味もなく昼過ぎまでぼーっとしていました。

大阪公演2Daysの後

というのも、前述のとおり同居している家族が8/28(月)に発症している時点で、感染を避けるには少なくとも9/2(土)か9/3(日)くらいまで帰宅が難しい状況にありました。
本来、10日間接触を避けるのであれば、もっと期間が必要です。
なので、この時点で9/1(金)・9/2(土)は観光などをして、9/3(日)には東京まで車移動しようと大枠では考えており、そのある程度の詳細な予定を決める必要があるのですが、思考力はあまり残っていなかったのでぼーっとしてしまっていたのでした。

結果的には9/1(金)中は、メンバーがケータリングで食べていたたこ焼き・たこせんなどのお店を回り、高瀬さんが日向坂ちゃんねるやブログで紹介していたお土産を買い、とりあえず少し進んで京都まで行こう、とだけ決めました。
のどの痛みもあったので念のためマスクもしつつ、たこ焼き・たこせんなどはとても美味しかったため、この観光自体はとても楽しかったです。

そして同日の京都のホテルでの夜。
少しFFさんとのスペース中、段々とぼーっとしてきて会話を抜けたのですが、終わった後には寒気を感じたため布団にくるまって眠りました。
そのあと深夜には悪寒もしてきて度々目が覚めつつ、4時頃には熱があることを確信しました。

3-3.今現在に至るまで

ぼんやりとは察しつつ、まったく頭が働かないので少しして5時頃、体温を測定すれば"39.5℃"もあり、この時点ではコロナかインフルエンザか夏風邪かはわからないですが、
「気のゆるみのツケだな…」
と感じていました。
そして、朝9時過ぎにはホテルのフロントに状況を伝えつつ、チェックアウトして病院に向かい、そこでコロナの陽性判定を受けました。

夏風邪であれば解熱剤である程度抑え込み、長い時間かけて車移動で東京に戻ろうと考えていましたが。
コロナ発症直後、感染力が極めて高い状態で途中のSAやPAを利用すれば、都度二次感染を生むだけなのでそんなわけにもいきません。

自身の詰めの甘さ、自己管理能力の低さに心底嫌気がさしながら処方箋を受け取り、そして事情を説明して別のビジネスホテルを押さえ、チェックインできる時間まで体温40℃超えの状態で車の中で待機。
チェックインまでは症状的にほぼ高熱だけだったのですが、チェックインしてから少しすると、高熱以外に鼻・のど・咳・頭痛などなどまあまあフルセットでした。
薬がだいぶ効いて、今に至ります。
食欲がゼロにならなかったのが特に救いでした。

今に至るまで、そして今後の自主隔離

結果的なスケジュールはこうなるわけですが、京都にはただ迷惑をかけにきただけの感じになってしまっています、大変申し訳ないです。
色々と周りに感染を拡大させないよう対策しながらコンビニに行き、大量に買いだめしてホテルにこもる、そんな生活があともう数日続くと思います。
そのあとは、対策しつつ一気に車で東京に帰る予定です。

4.最後に

改めて、後悔先に立たずですね。
結果的に極めて反省の多い遠征になってしまいました。
ひとまずは無事に帰りたいと思います。

とらん

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