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私、失敗しないので|娘に贈るラブレター3通目

最近、一つ困ったというか、どうしたもんかな~ということがある。

それは6歳の娘が「失敗するのを嫌がる」ことだ。

たとえば、算数のドリルをやっていて、簡単な問題は鼻歌まじりで自信満々に解いているのに、少し不安な問題にさしかかると答えを書く前に「ねっ、これって答えは5?合ってる?」などと私にやたらと確認してくる。

「思った答えを書けばいいんじゃない?間違ってもいいんだから。」と、私が言うと「ヤダ!」と娘。正解の答えしか、書きたくないようだ。

また週1回通っているスイミングスクールで、最近クロールの泳ぎ方を習っているのだが、娘は息継ぎがなかなかうまくできずに苦戦を強いられている。娘曰く、腕を回しながら顔を横に向け、息を吸うという3つの動作をリズミカルに行なうが難しいとのこと。

で、あるとき「みんな小学生になったらスイミング辞めちゃったし(←新型コロナの影響か、かなりの子がスクールを辞めた)、私も辞めたいな~」と言い出した。あくまで、クロールがうまくできないので辞めたいとは言わないところがミソである。そこに彼女なりのプライドが見え隠れする。


私、失敗しないので。

とあるドラマの名ゼリフが頭をよぎる。君は、大門美知子かね…?

いや、娘の場合は「私、失敗することはやらないので。」という感じか…。

う~ん、どうしたもんか…。


***

多くの人は、幼いころ「自分はなんでもできる!」「なんにでもなれる!」という感覚を持っている。だから、小さな子は真顔で「大きくなったらプリンセスになるの!」とか、野球なんてやったこともないのに「プロ野球選手になる!」とか言ってみたりする。これを【幼児期万能感】というらしい。

でも、いつしかそんなことは、みんな自然と口にしなくなる。成長するにつれて、自分以外の周りの状況が少しずつ見えるようになって、自分より才能や能力が優れた人はたくさんいるのだと気づき、自分の力量や立ち位置のようなものを知るからだろう。

今、娘の心の中でもこの幼児期万能感ってやつが揺らぎ始めているのだろうか。

***

「失敗は恥ずかしいことじゃないんだから、失敗したっていいのよ。」
「失敗は成功の元よ。」

娘に伝えたいことを平たく言葉にすれば、こんな感じだろうか?
でも、どうもしっくり来ない…。なぜだろう?

大人同士の会話なら、すんなり「そうだよね。」となりそうなものだが、6歳の娘の心にはなんだかあまり届いていないような感じがする。
きっと、それは彼女が本当にかけられたい言葉ではないからだろう…とぼんやり思う。

***

子育てをしていると、大人の世界ではあたり前とされているような常識や概念がしばしば揺らぐような場面にぶち当たる。幼ければ幼いほど、子どもはまだ何色にも染まっていない頭と心で、大人が予想だにもしないストレートな反応をぶつけてくることがある。

そんな時、なんにでも「これはこういうことね。」と、自分の経験や知識の引き出しにストックされた価値観を基に選別し、白黒をはっきりつけたがる大人ほど、たじろぎ、言葉に詰まる。

そう、それは私のことだ。

***

私の心の中で、モヤモヤとした霧が晴れないまま、しばらくの時間が経過した。娘が同じような反応を見せるたび、口では「失敗したって大丈夫。」と、用意された言葉のように反射的に応答してしまう自分だが、彼女の表情は晴れない。

う~ん、どうしたもんか…。

そんな娘とのやりとりを何度か交わしながら、彼女の様子をじっと観察している内にふと、娘は失敗することが怖いのかな…。と感じることがあった。

そっか、そうだったのか…。

***

嬉しい・楽しい・悲しい・怖い・苦しい・寂しい…。これらの感情は事象に直面したときに、心の中から自然と湧いてくるものであり、感じている本人だけのものだ。

だから周りから何を言われたところで、その感情を無かったことにしたり、違う感情に書き替えたりできるものではない。自分が己に対して、嘘をつかない限りは…。

心が「失敗することが怖い」と感じていたとしたら、「失敗なんて大したことじゃない。大丈夫。」というのは、乱暴に言い換えてしまえば「怖いと感じるな」というメッセージにもとれる。

私も無自覚なままに、娘に対して「怖いと感じるな、思うな。」というメッセージを送っていたのかもしれない。

娘が欲しかった言葉は、成功の秘訣でも心を強く持て!という精神論でもない。
ただ自分が感じている「怖い」という感情を、「あなたはそう感じているんだね。」と否定せずに受け止めて欲しかっただけなのではないか…、そう思った。

***

それからは、娘が【失敗することはやらない】アピールをしてきたときに、まずは一歩引いて「ふ~ん、そうなの。」と彼女の反応を否定も肯定もせずに受け止めてみることにした。

時にはじれったくなって「それはね…」と、娘にアドバイスめいたことを言いたくなってしまう自分がいるが、そこは我慢だ。

「ふ~ん、そうなんだ。」と受け止めることで、そこで会話が終了するときもあるし、娘の方から「あのね…」とその先を話し始めることもある。


娘のスイミング辞めたい発言から、2カ月ほど経った。
ちなみに、最近の彼女からは「辞めたい」という言葉は聞かれない。
かといって、クロールの息継ぎはまだマスターできた訳ではなさそうだ。苦笑

でも、「先週1回しかできなかったのが、今日は2回続けてできたの。」などと嬉しそうに報告してくれることもある。

まぁ、誰かと競争しているワケではない。ゆっくり行こうではないか。

娘へ

君がスイミングを辞めたいって言いだした時、
母は正直「困ったな」と思った。

それは君がこの先、何か困難に直面した時に
すぐに諦めたり、逃げたりする癖がついたら
君にとって厄介だと思ったから…。

でも、母は間違っていたかも知れない。
君は別に、逃げようとしていたワケじゃなかったんだね。


君の心の中にあったのかもしれない恐怖や不安を
なるべく否定しないように受け止めようとしたら、
君は再び、自分の足で歩き出した。
それは、すごいことだ。

恐怖や不安、悲しみや怒りといった感情は
喜びや楽しさ、幸福感と違って
つい「不都合」「マイナス」だと捉えがちだけど
本当はどんな感情にも良し悪しや優劣なんてないんだ、きっと。


これから先も、おせっかいな母は
君についつい口出ししてしまうこともあると思う。
 
「そ、そんな料理頼んでないんですけど…」という君に、
「まぁまぁ、美味しいんで食べて行ってくださいよ!」って、
無理やりおすすめ料理(自分の考えや価値観)を押し付ける
マスターにならないように気を付けます。

君が感じている感情は、君だけのものだから。 

ただ、
君がちょっと困った時、心がくたびれた時には
「そうだ、あの店へ行こう」って立ち寄ってもらえる
喫茶店のマスター的な存在になれるよう母も精進します。

おいしいコーヒー牛乳を作って、いつでもお待ちしております。



母より


それにしても「喫茶店のマスター」って、昭和感が漂ってるな…。











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