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【思索】マイノリティ差別の本質について

私は15年以上前から言っていることだが、目隠しされた1人の人間を100人の人間が1発づつ殴れば、殴られた人は「100発殴られた」と言い、殴った人たちは「1発しか殴ってない」と言う。どちらも嘘は言っておらず、ともに事実だが、罪の重さに対する認識が違う。これがマイノリティ差別の本質だろう。
マイノリティは「マジョリティから大変ひどい目にあった」と言い、マジョリティは「そんなこともあったかもしれないが、そこまで酷いことはしていない」と言う。

ただそのかわりそれぞれの見解を主張する人数比は100倍違うことになる。マイノリティ1人がどんなに声を張り上げて上のように主張したところで、その100倍に当たるマジョリティの人たちが「そんなはずはない」と口を揃えて言うわけだ。本当の意味での差別はその点にあるのかもしれない。

例えばこう考えてみよう。あるところにほぼ単一民族国家がある。そこにある人がいて彼はその民族の一員でありその国民だとしよう。
彼は分譲マンションを所有しており、あるときそれを賃貸マンションとして貸し出すことにした。しかし手続きなどが面倒だったため、専属の賃貸業者に一任することにしたところ、その業者からアンケート用紙が渡されて「各項目についてご希望に応じてチェックをしてください」と言われた。
そのアンケート用紙には以下の項目があった。
「あなたが所有するマンションを外国人に貸し出してもよいことに同意しますか。」
彼は特に外国人に強い嫌悪感があるわけではないが、他の多くの類似の項目とともに、”ただ何となく”すべて「いいえ」にチェックをつけた。
「触らぬ神に祟りなし」というわけだ。

ところでここにあるマイノリティの在日外国人がいて、家を借りる必要が生じて、何軒もの賃貸業者を回ったのにも関わらず、貸し出してくれる物件は極めて限られており、あっても賃貸料や交通の利便性などにおいてひどく条件が悪かった。
そこで業者に相談すると、交渉次第で借りられるかもしれないなかなかの物件があると言うので業者に問い合わせてみると、所有者は知人の知人だった。そこで両者共通の知人に所有者との仲介を頼んだところ、所有者は気軽にその家を貸してくれた。
その際、今ひとつ納得がいかなかった借り手が貸し手に改めて元々不可だった理由を尋ねたところ聞いたところ、「ただ何となく」チェックをつけただけで、その理由は「特にない」とのことだった。また「事情を説明してくれたら、知人の知人でなくても喜んで貸したのに」と言う。

その後、その話を聞いて興味を持った社会学者が賃貸希望の所有者に対して大規模なアンケートを行ったところ「何が何でも絶対に貸さない」と答えた人はそれほどいなかった。

ところで別の地域にも在日外国人が居て、同じように賃貸物件が借りられなかった。しかし彼が訪ねた賃貸業者たちは事務的に「条件に見合う物件はない」と言うばかりだった。
そこでその在日外国人は「何故この国では我々在日外国人は家を借りることさえ出来ないのか」と憤った。

最後にこの国(日本)においてマジョリティ(日本人)とマイノリティ(在日韓国人)のハーフである私の視点で言えば、マジョリティであれ、マイノリティであれ、ほとんどの人は”元々は”大して悪気はないのだ。しかしそれぞれに相手の面子を潰したがる「活動家」が出てくるから話がややこしくなるのだ。


追記 その1:マイノリティ差別の不思議な点は、被害者ははっきりしているのに加害者ははっきりしないことだ。
私は以前以下の文章を書いた。これは在日韓国人だった亡き母がどれほど大変な思いをして生きてきたかを書いたものだが、別に母をこんな目に合わせたのは誰々だと言うようなことは書いていない。何故なら母自身が生前にそんな他人を非難するようなことは何も言ってなかったからだ。特に「日本人の連中ときたら」というような観念的な言い方はしなかった。

【思い出】私の母は韓国人でしたが、クズではありませんでした。
https://ameblo.jp/toraji-com/entry-12430716515.html

追記 その2:以下は、今回書いた内容の原文。16年前の2005年頃にmixiに書いた文章を2007年6月17日にアメブロに転載したもの。当時はまだ今のような在日外国人に対するヘイトスピーチなどほとんどなく、ただ母親のことを思い浮かべながら書いた。

【社会】被害量と加害量の違いについて
https://ameblo.jp/toraji-com/entry-10036974535.html


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