占いと猫とトラジャのコーヒー☆ガネーシャ天との出会い②~vol.8

ガネーシャに出会ったのは、ということを書こうとして、日々やっている日本的な慣習を書いたのがVol.3だった。

慣習を書こうとしたのではないのだ、続きがある。

1年を通して、様々な行事があり、それは多宗教に渡っている。
初詣して、初酉に卵を食べ、豆まきをして、お雛様を飾り、お彼岸にお墓に参り、イースターのお祭りを楽しみ、甘茶をいただく。

春に行うこれだけでもいろんな宗教や信仰が混じっている。

日本はとっても宗教と信仰には寛容である。
そんな日本に生まれてよかったと思う。

私は雑多なものが好きだ。
ごちゃごちゃや、たくさんのものがごったがえす様が、とても好きだ。

一つとして、同じものがない。
一人として、同じ人間はいない。

だから、ぜーんぶまとめて、

「ありだよねー!」

これだ。この感覚が好きなのだ。
ゆるい。ゆるい。
このどこまでもふんわりとしてつつみこむかんじ。

曖昧でいいのだ。
きっちり分けようとするから、問題が起こる。

あなたとわたし。
私のもの、あなたのもの。

「ここからはこっちに来ないで!」
よりも、
「お互いの居心地のいい距離を探りません?」って方が良い気がするのだ。

「ちょうどいい」っていい言葉だなぁ。

あれ、ガネーシャ関係ないね。
では戻そう。

ガネーシャに出会ったのはインドの神様たちに興味を持った頃だから随分前だ。
インドの神様が破天荒すぎて面白いな、と思ったのがきっかけ。

20年ほど前に夢をかなえるゾウという本が大ヒットしたのだが、その表紙にガネーシャが書かれていた。
内容は、トイレの神様みたいな話だし、昔から自己啓発本に書かれているような内容だから割愛。

そのガネーシャはガネーシャじゃない、とずっと違和感を持っていた。
いや、まぁ、ガネーシャは誰にも定義されないから良いのかな。
みんながガネーシャの事を知ってくれることのほうが嬉しい。

で、だ。

インドの神様は面白くて大好きなのだが、私は日本人。
そして実家は曹洞宗。ということで仏教徒だし。と思っていたのだ。

余談だが、
日本の中でかっこいい宗教といえばダントツ真言宗だろ!って思ってて、高野山に登ったときはワクワクしすぎて鼻血出した。
そんで結婚するなら真言宗のおうちに!!なんて考えたこともあったね。

そんなんで選ばないから、旦那の実家に言ったとき、真言宗で驚いたけど。
実際には曹洞宗とやっていることはそんなに違わなかった。
一般家庭における仏教は大体似たようなもんだ、と思ったよ。
ご先祖様の祭り方に多少の違いはあれど、気持ちを込めるということは同じ。
宗教法人としての~~とかは別の話なのでしない。

閑話休題。

で、だ。

実家曹洞宗、婚家真言宗で、私は一体何宗なの??って思ったわけだ。

結婚前も結婚後も怪しげな宗教に勧誘されたり、修行道場に連れ込まれたりまぁ色々あってですね、私にとっての宗教は所属するものではないわけです。
だいたい宗教というのは、心の拠り所となるべきもので、親が曹洞宗だから私も曹洞宗、とは行かない。
「家」が曹洞宗だから、曹洞宗の慣例に従って先祖供養します。という契約でしかない。
実際には、実家のお寺の方丈さんのことをとても尊敬しているし、お念仏はありがたいし(※個人の感想です)大好きだがそれとは別なのだ。

人の心は縛ることなどできない。

逆に言えば、家が〇〇宗でも、自分の中の信仰対象をしっかり持つこと、それが本来の形なのではないだろうか?

これを、仏教用語で「帰依」という。

日本の宗教は雑多で制約が少ない。
曹洞宗などは「入りまーす!」といったら入れるし、「やめまーす!」と言ったらやめられる。
(語弊があるかもしれないが、そこに厳密な意味での制約はない)
他の宗派を知らないのでどうかわからないが、生まれてすぐにお寺で檀家の宣言をさせられる、とか台帳に記入した上では宗教への変更は認めないなどの誓いを建てさせられる、なんて聞いたことがない。

これは、一般家庭の話で、出家はまた違うと思う。
つまり、出家坊主と一般の檀家はわけられているのだ。

キリスト教やイスラム教などは違う。
洗礼があり、1神教を誓う。

本来の信仰とはこういう事を言うのであろうと思うけれど、ゆるい日本においては、あっちこっちの宗教に触れても大丈夫。
最終的に心から信仰できるものに出会えると良いねー。出会えなくてもお寺は受け入れるよ~!てなかんじ。

ゆるくて、優しいね、日本。

まだ、ガネーシャの話に到達しない…。
まぁ良いか。ゆるくお付き合いください。

でね、私は占い師なのでタロットを触るわけです。
未だに不思議なのです。
タロットでいろいろなことが占える、ということが。

誰だったか忘れましたが、タロットさえあれば、牢獄にいても世界の情勢は手にとるようにわかる、とかなんとか。

この事がとても神秘的です。
神の秘された力です。

仏じゃないんですね。

仏の力もすごいです多分。

日本人はなにかとんでもないことが起こると祈ります。
「神様仏様〇〇様~~!!!」(え?いわない?)

私の場合、
「神様仏様ガネーシャ様ー!!」だったのです。
嘘です。

何かあっても神に頼るような言葉を吐く人間ではなかったのです。
そう。
あの瞬間までは。

というわけでやっとガネーシャのことを話せそうだ!

でも今日は力尽きたゾ!
というわけで!また明日っ!

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