寿命差がもたらす切なさに心が震える物語『葬送のフリーレン』『私の神様』

(※この記事は、2020年8月に書いたものの再掲です)


はじめに

2019年版の「世界保健統計」によれば、現在の世界全体での平均寿命は72歳だそうです。世界屈指の長寿大国である日本では男性が81.7歳、女性が87.45歳。年々その数字は伸びていっています。しかしながら、言い換えれば大半の人は100年足らずの間にその命を終えることになります。

限りある命のその終わりに、人は何を視て何を想うのか。それは人間の永遠のテーマのひとつでしょう。

命という題材に触れる物語においては、人間よりも長命な存在が配置されて一段俯瞰した視線が織り込まれ語られることがしばしばあります。

『火の鳥』では、あらゆる時代で永遠の命を持つと言われる火の鳥やその血を飲んで不老不死になった人間が登場し、人間や人間が滅んだ後に栄える他の生命の営みが鳥瞰されます。

『ポーの一族』では、永遠に少年の姿で生きることになった少年エドガーら吸血鬼「バンパネラ」と、定命の人間との関わりを通して味わい深い物語が紡がれます。

『超人ロック』や『ファイブスター物語』といった名作では、普通の人間からすれば永遠に等しいような時間を生きる主人公たちによって壮大な世界観のストーリーが展開されます。

『鬼滅の刃』では永き命へと変わった鬼に対して、限りある命の人間たちが死しても残るものを伝え受け継ぎ続け、力を合わせて戦う姿が描かれました。

同じ時を異なる感覚で生きる者たち。そして訪れる必然的な別れ。そこに生じる切なさや儚さに胸を焦がしながら自分の人生へと立ち返った時、自らの刻限を改めて意識させられると共に日々何気なく当たり前のように接している存在への愛おしさが増します。

今回は、そんな限りある生を受けているからこそ抱くことのできる想いを喚起してくれるふたつの名作を紹介します。

出逢いと別れ、終わりと始まりを糾うエルフの抒情詩『葬送のフリーレン』

この作品の第一話は、絵もストーリーも2020年に読んだ新作の中でも群を抜いて秀でたものでした。

人間の勇者ヒンメルと僧侶ハイター。そしてドワーフの戦士アイゼンと、エルフの魔法使いフリーレン。通常のファンタジーの物語であれば彼ら4人が魔王を倒すまでの苦難の冒険が描かれるところですが、本作は彼らが10年の旅の果てに魔王を倒して凱旋するところから始まります。

人間であるヒンメルやハイターにとって10年は長い時間ですが、長命なエルフのフリーレンにとっては10年というのは人間における1年にも満たないほんの僅かな時間に過ぎません。故に、ヒンメルたちにとっては「人生の長い時間、苦楽を共にした仲間」であっても、フリーレンにとっては「少し前に知り合って少し同行した、まだよく知らない人たち」程度の感覚であることが描かれます。

こうした種族間に生じる感覚の差を鋭敏に掬い取り物語に仕立て上げる手腕がまず優れており、非常に上質なファンタジーを形成しています。

また、作画を担当するアベツカサさんが描く絵がとにかく素晴らしいです。冒頭から物語に強く引き込まれる一因は、間違いなく絵の魅力によるものでしょう。

キャラクターの造形はもちろんのこと、彼らが息衝く世界も非常に魅力的です。「半世紀流星」や「蒼月草」など私たちが住む世界とは違った世界に存在する光景の美しさ、そしてその光景を見つめる者たちの想いも重なり心を揺さぶられます。

エルフの時間感覚に合わせてセリフのないコマが連続して半年や数年が経過する描写が数多く登場しますが、言葉に頼らず絵だけでさまざまな情報が伝えられるその瞬間にも心地よさが溢れています。

フリーレンはかつて旅をした仲間が遺した少女・フェルンと新たな旅に出ることになります。優秀な魔法使いでありながらだらしないところもあるフリーレンとしっかり者のフェルンの対比は時に笑いも誘い、シリアスな物語の合間に適度な弛緩ももたらされます。しかし、定められた寿命を全うするのであればフェルンもまたフリーレンより先に逝くことになるでしょう。

ヒンメルを看取った時にはまだ人間の寿命が短いと知識としては知っていても実感として解ってはおらず、もっと人間のことを知ろうと決意したフリーレン。彼女がフェルンの死に立ち会う時にはどんな想いを抱くのだろうと想像すると、今から涙がこみ上げてきます。

いつか訪れる終わりを予感させられながらも、彼女たちの優しさと慈しみに満ちた旅をずっとずっと眺めていたくなる、そんな物語です。まだ1巻が発売したばかりですが、ぜひ今から注目してみてください。

刹那に宿る幸福は永遠へと至る愛『私の神様』

この作品は、永遠に人間の少年の姿で生きる呪いをかけられた神様と、神様に恋した呪われた少女の二人を主軸とした物語です。

流れる時間の異なる二人にかけられた呪いが無上の切なさを生み出しながらも、日本の原風景のような片田舎を舞台にあまりにも緩やかに穏やかに流れる煌めくような日常の時間が描かれます。

柔らかく優しい絵柄と妙なる言の葉は、するすると沁み入ってきて読んでいると癒しすら感じられるほど。どこまでも深い愛情と慈しみに溢れており、読む度に心が洗われるような気持ちになります。

しかし、美しい夢のような日々の裏にも常に解けない呪いが存在し続けており、いつか絶対的な終わりが訪れてしまうのだということを、愛する人を置いて旅立たねばならない日が訪れてしまうのだということを予感させられ続けます。

あるシーンでは、女性たちによって
「イチョウは葉が落ちる時だけ黄色くなるらしい。ずっと黄色ければ綺麗なのに」
「でも期間が短いからこそいいのかも」
という会話がなされます。

また別のシーンでは桜は散るけれども花が咲いていた事実は確かであり永遠である、と語られます。

移り変わる四季の中で繰り返される描写は神様たちの行く末を暗示しますが、それはいつか必ず死んでしまい大切な人と別れねばならない瞬間がやってくる私たち人間の本質とも通ずることです。

栄枯盛衰、諸行無常、すべてはいつか消えてしまう。だから虚しいというのではなく、だからこそ美しい刹那を大切に愛しんで生きたい。そう感じさせてくれる作品です。

またこの物語で面白いのは、人間の姿となった神様が幾年幾代にもわたり情報や感情を伝えていく役割を持つ「書物」に大きな興味を持ち、自らも文章を紡ぐ小説家となって生きることです。

現実においても、誰かが作った作品がその人物の死後も人々に伝わり感動や大きな影響を与えて人の世界は回り続けています。それはしばしば、人が存在する限り永遠の命を持っているのに等しいことだと言われます。限りある命の人間が、永遠性に触れられる営み。その何と尊いことでしょうか。

創作に限らずとも、人間がこの世に何かしらを残して伝えていくということについて改めて考えさせられます。

全2巻という短い巻数の中に人間にとって大切なことが凝縮されている、人生の宝物となる素敵な物語です。ネタバレを避けるためあえて語っていない魅力もあるので、ぜひ読んで確みてください。


この記事が参加している募集

#マンガ感想文

20,191件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?