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寺田和代「本と歩く アラ還ヨーロッパひとり旅」 第3回 ブルガリア篇(7)

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ブルガリア篇(7)
カザンラク──トラキアの遺跡

さくらんぼを食べながら、紀元前の遺跡へ


 翌日の朝食は、バラ博物館の帰り道で買った山のようなさくらんぼ。
ちょうど旬で、スーパーのレジ袋半分くらいで円換算300円もしなかった。地元の人たちはみな、公園や道沿いのベンチで種をプップッと飛ばしっこしながら食べていた。日本のさくらんぼより大粒で、アメリカンチェリーより食感が柔らかく甘み濃厚。
一度にこんなにたくさんのさくらんぼを食べたのは生まれて初めて。この先あるとも思えない。
ソロ旅は人や出来事や景色同様、味も一期一会の宝庫だ。

 まとめた荷物と鍵を扉の外の荷物ボックスに放り込み、街歩きに出た。
昨日あれほどおそろしげに見えたアパート入り口の風情にさえ親しみを感じるから不思議。旅の印象を最終的に左右するのは出会った人なのだ。

アパートのベランダで、山のようなさくらんぼを朝食に

 歩いて15分ほどのクラタ民族学博物館は、18〜19世紀にローズオイルで財をなした富豪の屋敷。コプリフシティツァで見た豪商の屋敷群に似た、民族復興期とよばれる豪奢な建物に、エキゾチックな色と柄のファブリックや、私の目には西洋とも東洋ともつかない、おそらくトルコふうの生活道具が当時のまま保存・展示されている。
管理人の女性が、カザンラク名物のローズリキュールとローズジャムの試食をさせてくれた。
バラの芳しさにうっとりし、思わず目をつぶってしまう。吐く息までバラの香りがしてきそう。

クラタ民族学博物館はローズオイルで財を成した富豪の屋敷
トルコ時代の生活様式を再現した展示。幾何学模様のファブリックがモダン


 博物館から続く遊歩道を5分ほど歩くと、バルカン半島の先住民であるトラキア人の墳墓だ。
市内に数ある墳墓のなかでも、ここで公開されているのは紀元前3、4世紀に作られたヘレニズム期の壁画として世界的にも知られるもの。
1944年、軍隊が防空壕を掘っていた時に偶然発見され、ユネスコ世界遺産にも登録された。

 墳墓入り口から狭い通路をおそるおそる進んだ先にぽっかり開けた玄室のドーム型天井には、黒、赤、褐色、黄、青、白などあざやかな六色が精巧に再現された天井画(レプリカ)が。
ヘレニズム期の特徴と説明された人や馬の小さな頭と、手足の長い造形はなんともモダン。なんとなく日本の少女まんがふうでもある。

 中心部の戦車競技の図をぐるりと囲む着飾った人たちは、亡くなった王(写真=円の左端、座った男性)の弔いの宴に集まった近親者や関係者。
王と手をつなぐ女性は、王の死に伴って殉死した妃だ。
野蛮な慣習には違いないけど、命の再生を信じていた古代トラキア人は、そうすることで来世では夫婦そろってよりすばらしい生に生まれ変わると考えられていたそう。
静まり返った玄室でその姿をひとり見上げていると、レプリカとはいえ中央部の円に吸い込まれ、想像もつかない過去に連れていかれそうな力を感じて鳥肌がたった。

紀元前3〜4世紀に描かれたトラキア遺跡の天井画。王妃の手をとる王の姿(左側)
世界遺産「トラキア人の墳墓」入り口を守るニャンコ。サボって昼寝していた

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