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林浩治「在日朝鮮人作家列伝」07   李恢成(りかいせい/イ・フェソン)(その9)

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李 恢成──日本文学に斬り込んだ在日朝鮮人作家のスター(その9)

9.韓国訪問


 1972年、韓国日報の招待による韓国訪問を受けた。この件で韓国日報社日本支局長と会った際に李恢成の作品を韓国で出版する話が出て、同年、韓国で刊行された。

 6月13日より15日間の訪韓で済州島まで赴いたが、自由な取材ではなかった。当時の韓国は朴正熙軍事独裁政権によって支配されていた。韓国日報のプレス・カーで体制の立場に立つ記者が同行し、中央情報部員もつかず離れずに同行した。

 韓国日報社がスケジュールを立て文公部長官や芸術総同盟会長礼訪も入っていた。テレビ出演、国立劇場での仮面劇観覧など、夜は宴席に招かれた。
 国際ペンクラブ韓国本部、ソウル大学、梨花女子大学で講演し、国家は二つでも民族は一つだという民族主義の立場を語った。

 戦後初めての訪韓とされた2回目の訪韓のとき、李恢成は朝鮮籍であった。
 この年の5月、大韓民国の李厚洛中央情報部長と朝鮮民主主義人民共和国の朴成哲第二副首相が極秘裏に相互訪問をして7月4日、祖国統一に武力行使を行わず南北間で自主的に行っていくなど7項目の南北共同声明を発した。

李厚洛(イ・フラク)韓国中央情報部長(1973年6月1日)**
朴成哲(パクソンチョル)朝鮮民主主義人民共和国第二副首相(1973年6月1日)***

 李恢成の訪韓は、朝鮮民主主義人民共和国支持の総連に属する在日朝鮮人知識人に対する韓国政府の工作といった面が大きいが、朝鮮半島南北の平和統一への機運が作用したとも言えるだろう。

 しかしその後、李恢成は長期にわたって韓国政府当局から入国を拒否される。ふたたび韓国入国ができたのは、1995年11月のことだった。

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※本文の著作権は、著者(林浩治さん)に、版権けいこう舎にあります

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◆写真について

ヘッダー写真:乾燥中のアカトウガラシ
韓国民俗村(ミンソクチョン)の赤唐辛子、水原、京畿道、韓国
撮影:2006年6月3日
撮影者:朝鮮ビンボー
出典:https://www.flickr.com/photos/46616429@N00/159247073/
CC 表示 2.0
ウィキメディア・コモンズより(ファイル:Korean.Folk.Village-Minsokchon-02.jpg)

**李厚洛
ウィキメディアコモンズ(ファイル:I Hu-rak, June 1973.jpg)
경향신문사 - http://db.kdemocracy.or.kr/isad/view/00716716
パブリック・ドメイン

***朴成哲
ウィキメディアコモンズ(ファイル:Pak Sŏngch'ŏl, June 1973.jpg)
경향신문사 - http://db.kdemocracy.or.kr/isad/view/00716716
パブリック・ドメイン

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◆参考文献




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