林浩治「在日朝鮮人作家列伝」07 李恢成(りかいせい/イ・フェソン)(その8)
↑ 砧を打つ朝鮮女性(1910-20年)(*詳しくは文末へ)
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李 恢成──日本文学に斬り込んだ在日朝鮮人作家のスター(その8)
8.芥川賞受賞
1971年春、後に金史良の研究や韓国文学の翻訳で知られるようになる文芸評論家安宇植(アンウシク)の斡旋で松戸から福生市に転居した。格安の好条件だった。
ところがそこは借家の又貸しであることが判明して4ヵ月でまた引っ越すことになってしまった。
次の家は国立駅から徒歩10分足らずの間取り3Kの家だった。
この家で短篇「砧をうつ女」を書き上げ『季刊藝術』に送付すると、送られてきたゲラには古山高麗雄の丁寧な感想が書き添えてあった。同誌18号(1971年6月)に掲載され、翌72年に日本文壇初の外国人として芥川賞を受賞した。
「砧をうつ女」は、戦争末期、当時日本の領土だったサハリンを舞台に、植民地朝鮮から日本の最北端まで流れてきた母の33年の生涯を、少年の視点から描いた詩的で絵画的な美しい小説だ。
情緒的でありながら滑稽味もある。気丈でモダンな母、協和会の役員を務める横暴な父、朝鮮の民族衣装を着ている母の祖父母という構造は、サハリンの風景とともに李恢成文学の原点となった。
母の死後その生涯を、リズムをつけて語る祖母の身勢打鈴(シンセタリョン)は李恢成の作家魂に影響を与えただろう。
芥川賞受賞を契機に李恢成はもう一度祖国と向き合うことになる。
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*ヘッダー写真:砧を打つ朝鮮女性
撮影:1910-1920年
撮影者:No known restrictions on publication.
出典:「この画像はアメリカ合衆国議会図書館の印刷物・写真部門から入手できます。デジタル識別子は cph.3a29985 です」
パブリックドメイン
ウィキメディア・コモンズより(Korean women-ironing with sticks-1910s.jpg)
※本文の著作権は、著者(林浩治さん)に、版権はけいこう舎にあります。