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寺田和代「本と歩く アラ還ヨーロッパひとり旅」 第2回 ジョージア篇(12)

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ジョージア篇(12)
ぶどう棚下の古い部屋で暮らすように旅する〔トビリシ〕

 再びトビリシ。旅の後半4日間の滞在先はリバティスクエア駅から カハの宿とは逆方向へ徒歩約5分の古い集合住宅の一室。
表通りに面した建物のいかめしい鉄扉をくぐり、その先へとおずおず進むと、真ん中に大きな木がある中庭、その向こうにメールで指示されていた通り、黄色い自転車とその横に小さな扉が見えた。
ここだ! 呼び鈴を押すと 手を振って出てきてくれた優しそうなシニア女性が、大家さんのエレナだった。

ぶどう棚下の扉から入るエレナの貸部屋

 私が借りたのはエレナ宅の隣、集合住宅1階の端っこ。
扉の上にはぶどう棚、エレナ宅の前にはちょうどたわわに実をつけた大きなザクロの木。
その時点でこみ上げたよい予感が、部屋に案内されるや確信に変わった。
全体で40平米ほどの1ルームを 移動式の棚でリビングダイニングと寝室に分け、ミニキッチンまでついている。
窓の向こうに見えるのは、いま通ってきた中庭とぶどう棚だけだ。

ワンルームを収納棚で仕切ったリビング側のスペース
ミニキッチンも付いた貸部屋のダイニングスペース


 エレナによれば、アパートが建てられたのは1907年。
ソビエト時代はグルジア・ソビエト連邦の財務省の事務所として使われていたそう。現在はすべて住居用アパートで、住人の多くはーーエレナや別の部屋に住む妹ニノもーー30年以上住んでいる。

その後の4日間で少しずつ分かったことだけど、住人同士には緩やかなつながりがあり、中庭のベンチではいつも住人同士がおしゃべりしたり、ワインを飲んでいた。
といっても決してうるさくない。中庭がそれなりに広いこともあるだろうけど、そこそこ快適に住み合う許容範囲を長い共同生活のなかで誰もがわきまえているのだろうと感じた。

 エレナは簡単な掃除に来るたび、毎日なにかしら差し入れてくれた。たとえばトルココーヒーチュルチュヘラというぶどう果汁をとうもろこし粉で固めたジョージア菓子、庭のザクロなど。
温かくて、時々お節介な気遣いは、ノダル・ドゥンバゼ「僕とおばあさんとイリコとイラリオン」児島康宏訳に描かれた、語り手の "僕” が大学生活を送ったトリビシの貸部屋の大家、マルタおばさんそっくり。

 田舎のおばあさん、イリコ、イラリオンという2人のおじとのはちゃめちゃに楽しい暮らしのなかで育った “僕” が、やがてトビリシの大学に進学し、卒業後は帰郷し……、という成長譚は 時に声をあげて笑ってしまうほど可笑しく、時に文字が涙でにじんでしまうほど胸をかきむしられる。
突き抜けたユーモアにあふれた自伝的小説の奥底に、著者自身と同時代の多くの人がソビエト圧政下で味わった深い悲しみと苦難が横たわっていることを感じ、結末の余韻はひときわ深い。

同じ著者の短篇は、ジョージア小説の最新(2021年刊行)翻訳本『20世紀ジョージア(グルジア)短篇集』児島康宏編訳にも。
『僕とおばあさんと…』と同じくソビエト連邦時代に書かれたジョージアを代表する作家6人の12篇を集めた短篇集。
1918年にようやく国の独立を勝ち取りながら わずか3年後に再びソ連に組み敷かれ、小説や映画は厳しい検閲が行われるなどの制約を受けつつ、自国の文化や言葉を懸命に守りながら生きた人々の多様で数奇な人生。
いずれの作品も随所にため息が出るほど詩的なことばや、唯一無二の表現がちりばめられ、見たことのない情景の中に連れていかれる。

エレナがくれた庭のザクロ。窓の外では彼女の愛猫が常時パトロール中

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