林浩治「在日朝鮮人作家列伝」07 李恢成(りかいせい/イ・フェソン)(その12)
↑ 図書新聞1980年11月1日号
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李 恢成──日本文学に斬り込んだ在日朝鮮人作家のスター(その12)
12.日本国内外の運動に積極的に参加
1982年6月西ドイツで開催された「国際文学者会議’82」に参加。以降、度々ヨーロッパを訪れる。
特に1983年3月在独の韓国学術研究院(KOFO)招待でフランクフルトでのセミナーに参加して、20歳年下の韓国人女性と恋愛関係に陥り、ドイツで同棲してからはドイツ訪問が頻繁になった。
翌84年5月には妻と別居して一人暮らしを始めた。
李恢成は文学を媒体に政治にコミットしていき、日本の国内外の大小の集会に参加した。
「アジアの平和と文学-核、貧困、抑圧からの解放を求めて」をテーマにした会議が、1983年7月27日から30日まで広島市で開催された。参加した在日朝鮮人文学者は、李恢成をはじめ、金泰生、金秉斗、劉光石、梁石日らだった。
その会議に先立ち李恢成は、祖国における核の危機の現況を在日朝鮮人の立場から訴えるために、金秉斗、劉光石、李丞玉、梁民基、梁石日らを糾合し、金泰生、姜舜を顧問格とした〈在日朝鮮人文学者有志の会〉を結成していた。
在日朝鮮人文学者有志の会は87年には解消されるが、『在日文芸 民涛』の発行に繋がった。
『民涛』は1987年11月に創刊号を発行し、1990年3月発行の10号で終了するまで、在日朝鮮人の文学を考え新しい書き手を発掘するのみならず、韓国の作家評論家たちも登場させ、在日朝鮮人文学と韓国の民族文学との関係をも論じた。
李恢成は『民涛』の発刊準備と同時にマダン劇などの民衆芸術運動にも関わらなければならなかった。
韓国の反体制作家黄晳暎(ファンソギョン)が来日し「マダン戯クッ」を行う同胞文化グループ「在日文化牌ハンウリ(ハヌリ)」とウリ文化研究所を発足していた。
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