3日目 人間はもはや鬼なのではないか

今日は読書していたら1日が終わった。
ダラダラな日常を過ごす中で、読書は意外と何もしていない自分を肯定してくれる。

鬼と人間

鬼と異形の民俗学」という本を読んだ。
なんとなく手に取ったが意外と面白かった。

どうやら鬼は元々、人間に災害が起きることを知らせに来てくれる「予兆」の存在で、本来は姿が見えないのにわざわざ人間の危機のために姿を表してくれるなんて、とても可愛いではないか。

しかし、いつの日からか人間は鬼を「予兆」ではなく「原因」として考えられるようになった。
つまりは、「災害を鬼が知らせに来てくれる」のではなく、「鬼が来たから災害が来る」という風に転換されてしまった。
なんとも解釈の違いが得意な日本人らしいが、とても可哀想である。

鬼は他にも可愛らしい一面があって、優秀な文人の音楽の才能に感嘆して特別な笛をプレゼントしたり、姿を現し天皇の葬儀を山の上から眺めたり、人間っぽい一面がある。

で、読み進めて思ったのは、鬼が人を食べたり、殺されたりするのは大体人間からふっかけたことから始まる。
勝手に森や土地を所有物として、そこに住んでいた鬼(酒呑童子)が追い出されたりなど人間の私利私欲で因縁が生まれている。

「鬼」は「人間の『反対概念』」としての造語という説があるが、この説に則れば人間が悪のようにも見える。
重罪人以外を見逃したり、笛をプレゼントしたり、優しさを持つ鬼の方が善のイメージがある。

書物にはあれだけ登場していたのにも関わらず、恐怖や不安を与える存在としての「鬼」が現代では全くみられなくなった。
それは、私たち人間が鬼の代わりに恐怖や不安を与える存在になってしまったからなのでしょうか…

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