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残酷な「生半可な優しさ」

おはようございます、後輩に「近くにめっちゃ似てる犬いましたよ!」と言われたトラです。
#それって褒めてますか

今日は、タイトルにもある通り、生半可な優しさについて僕の考えを書き殴っていきたいと思います。
周りの言動や動作を見てふと思いました。

「優しい」とは?

モテる男性ランキングの1位である「優しさ」(裏の1位は「顔面」)ですが、その「優しさ」は本当に「優しさ」なのかと思うところが多々あります。
この間、ある会議を見ていた時、女性が出した提案に「いいね!」と返す男性がいました。しかし、その女性は本当に大丈夫なのかと納得いっていないような様子に見えました。
その場はその女性の案が通ったんですが、僕はこの光景にふと疑問が生まれました。

誰もが肯定してもらえると嬉しいと思うんですよ。
「肯定」はその人の居場所を作る機会を与えることであり、与えられた側も自分はここにいてもいいと思うことができる。

ハッピーに見える構図ですが、なぜその女性は納得できず不満が残る形になったのか?
意外と考えたことがなかったので、アイマスクを着け寝たふりしながら、ちょっと考えてみました。

「生半可な優しさ」とは?

結論から言うと、「生半可な優しさ」を受け入れられないからだと思います。
胡散臭く聞こえるかもしれませんが、この生半可な優しさを振り撒いていると後々大変で、自分の信頼が落ちてくるんじゃないかと考えています。

先ほどの話に戻りますが、男性が取った行動は「いいね!」と言うだけなんです。
「何がいいのか?」「なぜ、いいと思ったのか?」「どこが良いと思ったポイント何か?」には全く触れず、全肯定していたのです。

全肯定は発言した人にとっては優しさを表しているかもしれませんが、相手の立場で考えると思考の機会の損失です。
もし、その人の提案が絶対の自信を持っているなら全肯定を受け入れてもらえるかもしれませんが、自身のない提案に全肯定は危ないなぁと思いました。
提案した側にとっては全く全肯定は優しさではなく、とりあえず「いいね!」を言う信用ない人と印象付けられてしまうかもしれません。

当の本人がそこまで感じているかわかりませんが、信頼関係の構築に全肯定は必要ないのではないかと思います。

ドッジボールでは全力で女子を狙う

先日、男女混合でドッジボールをすることがありました。
外野にいて暇をしていた時、みんなの行動を見てこの話に近いものを感じました。

男から男に向けて投げる時、もちろんガチンコで上投げの全力投球です。しかし、男から女に向けて投げる時はチョウがフワフワ飛んでるようなボールを投げ、簡単に取れるようなシーンが何度もありました。

おそらく、あの時、男女関係なくボコスカ当て、女の子を外野送りにしていたのは僕くらいです。
(そして全力で喜ぶのも僕です。)
(ついでに言うと、女の子を盾にしていました。)

()は置いといて、側から見ると僕はひどいやつに見えるかもしれません。
何度も僕が外野送りにした女の子からは「ドッジボールでみんなの性格がわかる」と言われたので、実際にその場にいるとなお、そう見えるのでしょう。

僕が男女関係なく全力投球するのは「あなたを対等に見ている」という僕なりの「優しさ」です。
緩い球を投げるのは、なんだか差別のような気がして僕が女子の立場ならきっとつまらないと思ってしまいます。
全力投球の中で遊ぶからこそ、本当に楽しいし、その場にいる一人として居心地良く感じられると思います。
優しさを履き違えて取れる球を投げることこそ、「生半可な優しさ」になってしまうのではないのかと思ってしまうのです。

この考えを誰かにわかってもらおうと思って書いているわけではありません。ヒール役を買って出ると思う人が大半なのかもしれません。
でも、僕は僕なりの優しさを履き違えないためにこの姿勢は崩さないでいようと思います。

最後まで読んだ頂きありがとうございました。
良い1日を!

p.s.
帰り道、「ドッジボールでみんなの性格がわかる」と言った女の子が「トラのことは信用できる」と言われました。
どうしてか?はなんだか恥ずかしくて聞きませんでしたが、対等な関係っていうのが伝わったんじゃないかと勝手にニヤニヤしています。

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