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飽きたのだ何かに

飽きた。まじで飽きたと思う。が、何に飽きたのかよく分からない。
そういうことって皆さんはあるのでしょうか?僕は最近、理由もなく「飽きたなあー」と思っています。例えば、オードリーの若林さんが「仕事に飽きたと言ってしまうと信頼関係のあるスタッフたちに申し訳ない」という風なことをNetflix「ライトハウス」でおっしゃっていた。それでも「飽きたのよ」と公に言える若林さんは稀有なお人だと思う。(いつかお会いしたいなあ、なんて夢だよね)僕は今、無職で失業給付をもらっている身なので、そもそも仕事をしていない。だから、飽きるのは別の要素のはず。

・決まった時間に勉強&帰ってご飯作りぼーっとスマホ見て早起きのルーティンに飽きた

・27歳という年齢的な立ち位置が我慢と勉強の時間であり、なんか飽きた

・地元での生活、変わらない人間関係、目新しい出来事や刺激の無さに飽きた、刺激が欲しい

・飽きたと思うことで何か別の欲求を満たしている、満たしたい

・自分の人生が小さくまとまっていくような気がして、そんなの嫌だと思うから「飽きた」と思うことで状況を変えたい

・東京が俺を呼んでいる、または海外が俺を呼んでいる、聞こえないのか?君にはこの声が、、、

きっとこのうちのどれかだろう。
そして、心が不安定である。
家庭外ではまあまあの人間関係だが、
家庭内では傷つけ合ってしまっている。

就職したら、また何かが変わるのだろうか。

疲れていないと思っても、人間関係で誰かを傷つけてしまう。
それも家族とか身近な人ほど大切にしにくい。難しい。
まだまだ勉強中だ。

心がつらい時、何を求めるのだろう。みんな。
自分は、小説かもしれない。
エッセイでも漫画でもアニメでもない。
心がすり減った時、僕はなぜか最終的に小説を求めるらしい。

小説を読みたい。
ブコウスキーの小説「勝手に生きろ!」を読んでいた日々は悪くなかった。
not badだった。本の中に特別なメッセージなど読み取れなかったし、読んでいる時も幸せって感じはしなかった。だけど、not badくらいが今の僕にはちょうどいいのかもしれない。うん、悪くないね、って感じの小説を読んで心を自由に遊ばせたい。「飽きた」がどう変わるかは分からないけれど。

明日は朝勉強して、本屋に行こうと思う。
買うならブコウスキーの小説かな、たぶん。

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