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27

エレベーターは青色に光ったまま、
ゆっくりと上がり、また下っていった。

煙草を吸い終わると、ナンパ中の男と青いボックス煙草を吸う女が隣に来ている。

男が何かをしゃべりまくり、女が何かを受け答え、何か話題を示した。

だが、もしかしたらただの友達か弟姉かもしれない。

「悪党の詩Remix」を爆音で聴いており、会話の内容は分からなかった。

酒に酔っているのは飲み会の帰りだったからで、職場の飲み会というのが自分には適していないと思う。このジャンルを楽しめる人間がいていい、けどおれは苦手みたいだった。

気が付くと、スマホのメモアプリに「帰りたい…」と原稿用紙400字くらいの泣き言を書いていた。新入社員の歓迎会だった。

イライラしていた。酔いは冷めない。
コンビニの喫煙所は野ざらしで、屋根など無く、隅っこで吸っていられる。パカパカ吸う。
隣ではまだ、男女が何かを話している。こいつめっちゃ吸うやん、と思われてもよかった。

悪党の詩が心地よく、自分まで作曲者みたいな
気持ちになっていく。

「悪党が奏でるこの詩 笑われたってかまわないさ」

「今に見てろってずっと思ってた」

「自殺大国のこの国で 今から生まれてくる君へ
 こんな世の中でごめんよベイベー」

喫煙所で聞くにはいい曲だと思う。
こわもての人たちとも話ができる気がして、
話しかけられないかなあと思ったりした。
でもそんなことはなく、話しかけられたところで話すこともなく、ただエレベーターの上下を見、空間をだるく、にらんでいた。

きっと疲れているのだろう、と思う。
明るい歌を聴く気分にはならなかった。

キャメル3本を残して、あ、充電が切れると思ってふらふら歩き、床がピーナッツ殻だらけのバーに行った。




サイモン&ガーファンクルの明日に架ける橋が流れ、サイモンとガーファンクルはなぜ目を合わせないのか、彼らは仲たがいしてしまったうんぬん。スタン・ゲッツのジャズ界への貢献はボサノバとジャズの融合に成功したことでプロデューサー的役割を担っていもいた、エトセトラエトセトラ。

フィッシュマンズというグループの音楽は
歴史的に見たらどこにもつながってはいないが、熱心に聞きこむファンが多い、、なるほど。

セロニアス・モンクがお通しみたいに少し
流された後、カラヤンや小澤征爾の演奏が
流れ、ロシアの有名な音楽家のピアノが鳴った。

松原みきの真夜中のドアがすごく良くて、
憶えて帰ろうと思った。マスターが「ステイうぃずみー」とうなった。

隣のおじさんはすごい肩書の人だったが、どうでも良くなった。
肩書より人間の方が面白い大人、かっこいい大人というのがいるんだと分かった。音楽が好きな人の中にそういう大人を見出したのは不思議なご縁だ。

おれはこの世の大人はほとんどきらいだったけど、彼らは愛があって、人を傷つけることに鈍感でなかった。

おれは終始、過保護に、説教され、アドバイスを受け、音楽の面白さを背景込みでうんうんと教わった。

作家になりたい、と夢を打ち明けたら、
ごうごうの非難を受けた。

しんどい気分になりそうだったが、それは冷静さへ変わった。

結局、今の自分が何を書いたとしても、いいものは書けはしない、というのが自分なりの結論だった。人間のスケールが小さい気がした。

「おじさんたちの趣味に巻き込んでごめんね」、と言われた。

いえ、こうやって音楽を楽しむ場所があって良かったです、と答えた。

「おまえは死に憧れているんじゃないか」、と言われた。

「デカダンだ」、と言われた。太宰治の顔が浮かんだ。
「生まれてごめんなさい、みたいな」
急に太宰の弁護をしようと思ったが、やめた。
太宰はそんな一言で表していい作家だったのかな。なんか悲しかった。

「中二病だ」、とも言われた。
「そして俺たち3人とも中二病だな」、と。
大人になっても中二病ってあるらしい。
おれには中二病の意味すら分からなかったが、
自分のことを中二病だと言ってくれてほっとした。

そんな軽い言葉で自分をラッピングしてくれるのなら、とてもありがたいなと思った。





27は楽しくなかった。
でも、今浸っているカルチャーが、
未来の自分の滋養、原点になるらしいと聞いた。

母さんが死んで10年が経った。
おじさんたちは47歳だった。
27日には近場でライブがあると言っていた。

「深い話ができた」とマスターは言った。
でももっともっと深い話がしたかった、と思った。が、言わなかった。

きっとそれにはお酒とか何かが足りてないのだ。

隣のおじさんはおれがそろそろ早死にするんじゃないか、と思っているみたいで、何度も生きろ、と言った。

ピアノが鳴って、ギターが鳴って、シンガーが歌って、「生きろよ」、とおじさんは言った。
(サイモン&ガーファンクルの)
「まずはサイモンみたいなアフロヘア―にしろ」とも言った。

無理です、と答えた。

生きていて楽しいですか、と聞くと
「生きていた方が楽しい」、と言われた。
「当たり前じゃん」とおじさんは言った。

27にそれを感じるのは、難しい気がした。

その人とはブラザー、じゃあな、みたいな感じで別れた。
別れ際、「生きろよ」とブラザーが言った。

生きます、とおれは言った。
気持ちのいい朝だった。


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