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甘塩っぱかった、さとうのふるさと。

首都高湾岸線を走らせ東京方面にベイブリッジを進むと、左側に目立つ「横浜・さとうのふるさと」という屋根に書かれた建物が目立つ。

2004年に閉館した「さとうのふるさと館」の看板だ。
私、実は「さとうのふるさと館」のヘビーユーザーだったんです。

大黒埠頭の工場街を下道を車でしばらく走ると、出てくる、さとうのふるさと館は全く人がいなかった。

たしか、10年来の悪友のYくんが車の免許取ったからドライブに行こうと声をかけられて、行く宛のないドライブに連れて行ってもらった時に偶然立ち寄ったのがさとうのふるさと館だった。

面白半分で入ってみると、倉庫の中が見れて中には黄金色のとてつもなく大きい原料糖の山があり、屋根からキラキラと原料糖が落ちてきて、その頂点から音も立てずに山に吸い込まれていく様子は、さながら砂時計の中にでも入ったような風景だった。

砂糖になる過程が展示されたりして、一通りみて回ったあと横浜を一望できる展望スポットがあった。

そこは、ベイブリッジからみなとみらいまで一望できる場所で、しかも自分達以外は誰もいない超穴場スポットだった。

夕暮れ時も重なり、綺麗な景色をなんで男と見なきゃいけんのだろうと若干の恥ずかしさを覚えつつ、当時好きだった女の子とこれたらいいなって思っていた。

その時Yくんが、口を開いた。
「俺Nさんと別れたんだ」

Nさんとは、N君が21だったのに対し、37歳の女の人で一緒にバイト先で知り合って付き合った歳の差カップルだった。

「私じゃ、Yくんは勿体なさすぎる」
と言われてNさんから別れを切り出されたそうだ。

Yくんは、Nさんに心底惚れていて結婚も考えていたがあまりYくんのご両親はいい顔もしていないのは知っていた。

考え直してほしいと伝えたが、決心は変わらず結局別れを選んだようだ。

何も言えなかったけど、夕暮れのみなとみらいはすごい綺麗だった。

しばらくして、帰路に着くと我々のために館内の人がポン菓子を作る用意をしていた。
「今からポン菓子作るんで、ぜひ食べって言ってください!」

ポン菓子を作る機械を館内の人がクルクル回す。
しばらくして

ポン菓子。

ドーン!!!

と大きい音が鳴りポン菓子が完成をした。
2人でポン菓子を食べながら横浜さとうのふるさと館を後にした。
とてもおいしかったけど
もしかしたら、Yくんは少し甘くて塩辛かったかもしれない。
Yくんは、その後何も変わらない様子で運転してた。
私は、2人が別れる理由もなんとなく理解できると同時に、虚無感を感じながら助手席に乗っていた。

その後、私も免許を取り何度か「横浜さとうのふるさと館」を好きな子を連れて行き、ひらしまの鉄板横浜の知る人ぞ知るスポットになっていた。

今そのことを思い出しながら、ポン菓子を食べたら少し甘くて、塩っぽい味がしそうなのでやめておくことにした。

おわり。

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