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全てあいつが教えてくれた

空気を読むことが正解という教えを受けて幼少から大人まで生きてきた。そんな日本人は多いのでは無いだろうか。
漏れなく私もその1人だ。

空気を読むと大人は喜ぶと言うのが、小学生の私が抱いていた気持ちだ。
自他共に認める生意気な大人びた子供だった。
ただそんな子供は大人には都合が良い。
そして子供たちには少し疎まれた。
勉強も嫌いではなく、外で遊ぶのも好き。ゲームに染まる子供を外に連れ出してくれる私は、友達の親にも評判が良かった。
空気を読むと大人が喜ぶ。喜ぶ顔は見ていると気持ちが良い。辞める理由が無かった。

高校卒業後、渡米した。日本は少し窮屈だった、なんていうとかっこ良く聞こえるが、本心だった。早く世界が見たかった。私は自由を見つけた。空気を読まない民の国、アメリカだ。

環境が変わったからと言って急に空気を読まなくはなれない。やはり読んでた。そしたら大人に喜ばれた!アメリカ、お前もか。ホストファミリーとはお陰で上手く付き合えた。空気読むって最強。

授業はそうでも無かった。中身がなくても即答する事が好まれる気配があった。ただそれは後から勘違いだと気がつく。
毎日が空気を読まない大会だった。私以外の外国人も多かったが、兎に角、即答、空気読まない祭りだった。それは楽しかった。浅いアイデアもあったが、それを咎めたり否定したりする輩はいなかった。当初私は、浅はかな意見をする人たちにもう少し考えてから発言すればいいのに、とは、思っていた。
これこそ、心理的安全性が保たれた空間なのだった。アメリカ人はそうして自信をつけているに違いない。なんてクリーンで清らかな空間なのだろう。どうした、日本人、と思わざるを得なかった。

空気を読まないのは楽しい。その価値観が今の私を作っている。

空気を読まないとは、人に迷惑をかけて良いとか、人を傷つけて良いとか、そういう価値観とは違う。解放されたアイデアの放出である。これからもそう生きていきたい。

心理的安全性の中でのみ、これは可能になるだろう。心理的安全性、、、これが日本社会の課題だ。

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