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私と ヒトリエ というロックバンド

2014年冬、高校3年生だった私はセンター試験を終え、1人家にこもっていた。

この年は全国的に大雪が降り、関東でも場所によっては駅の屋根が潰れるほどの降雪量があったほど母の実家がある秋田にも例年以上の雪が降った。元々降雪量の多い地域故に、緊急事態と言って良いほどの積雪だったのだ。

高齢の祖父母を手伝うため、両親が秋田へ向かうと私は1人になった。指定校推薦で周りより早く受験を終えた私は、センター試験が終わるとしばらく登校する必要もなかったのだ。当時高1の弟と中1の妹はもちろん学校があり、部活で遅くまで家には帰ってこない。

突然静かになった部屋で1人。特別やることもなかった私は、ニコニコ動画を開き時間を潰していた。そんな時に出会ったのがヒトリエだった。

1. ヒトリエとの出会い

当時好きだった奏者(っていう言い方であってるのか?)ロボメガ氏の演奏動画を見たのがきっかけだった。この動画を初めて見た時、ドラムテクニックよりも楽曲のかっこよさに衝撃を受けてしまった。失礼すぎる。

※ちなみに現在ロボメガ氏はjuJoeなど複数バンドのドラム、キタニタツヤ氏などのサポートドラムを担当しており、非常に多彩な人物である。

この時初めて聞いたヒトリエの曲が「SisterJudy」。この曲は「モンタージュガール」という曲と繋がるよう作られていた。

なんやこれは。カッコ良すぎる。

まさに一目惚れに近い感覚だった。歌詞もメロディーも全てが衝動的に走り抜けいて、今まで出会ったことのないようなものに出会ったような感覚になったのを覚えている。

それからの私は早かった。すでに品薄になっていた「ルームシック・ガールズエスケープ」の在庫情報を聞きつけ、下北沢のヴィレッジヴァンガードへ走った。その後に発売されたメジャーデビューシングル「センスレス・ワンダー」、EP「イマジナリー・モノフィクション」もすぐに購入し、その勢いでライブのチケットもとった。それが私にとって初めてのライブハウスデビューにもなった。

生で感じるヒトリエの演奏はCDで聴くよりもずっと感情的で衝動的で、心へダイレクトに訴えかけられているような感覚があった。

特に、ボーカル・作詞作曲を務めるwowakaの複雑で巧妙なメロディーに乗るシノダのギターは常に唸るような音を鳴らしていて、奇妙ながら妙な一体感があった(後にテレビ番組に出演し、インタビューで「シノダの考えるギターフレーズがダサくて最高」と嬉しそうに話すwowakaが印象的だった)。そして、ベースのイガラシ、ドラムのゆーまおが安定感のある演奏で均している。「ああ、このバンドはこの4人の音があって初めて成り立つものなんだな」と気付いた時、ワクワクして心が高揚していくのを感じたことを覚えている。

ヒトリエに出会う以前の私はポルノグラフィティの大ファン(今も大好きでファンクラブにも入っているが)で、ポルノグラフィティを好きな理由は「ボーカル岡野昭仁の声が好きだから」という単純なものだけだった。それゆえに「メロディーも好き」「歌詞も好き」「メンバーも全員好き」という、好きな理由が一つではない感覚は初めてのものだった。

こうして、見事に箱推し状態になった私がヒトリエにハマらない理由が無かったのであった。

2. ヒトリエと共にあった大学4年間

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2014年5月から、地元埼玉県で「VIVA LA ROCK」という音楽フェスが始まった。これに参戦したことをきっかけに、私はヒトリエ以外のロックバンドや様々なアーティストにのめり込むようになった。でもやっぱりヒトリエは特別だった。

ヒトリエがツアーを開けば、授業やアルバイト、定期試験期間やレポートと被っていようが、なんとしても折り合いをつけてライブに足を運んだ。

ライブ、発表する楽曲・アルバムごとに、ヒトリエというバンドはどんどん磨かれ、変化していくのが目に見えて分かったからである。

初期の楽曲には、苦悩する少女が描かれることが多く、バンドの象徴はボブヘアーの少女「ヒトリエちゃん」だった。

悩む少女が楽曲内で自らの殻を打ち破り成長する、というスタンスのものが多かった。それ以外の楽曲でも「鬱屈とした・もやもやとした思い」を表現したものが多かったように感じる。これは、wowakaがボカロP時代に制作していた曲にも通じるものが多い。

wowakaの制作する楽曲に明確な変化があったのは、2016年に発売されたアルバム『IKI』だったのではないかと思う。

楽曲のテーマが今までのような「感情」ではなく、「生そのもの」になったものが多かった。「ヒトリエちゃん」に感情を表現させるのではなく、wowaka自らが「生きている自分」を表現しているようだった。この頃のライブでも、wowakaはよく「今を精一杯生きていこう」と言っていた。これらを聞いて、私も精一杯生きてみようと日々自分を奮い立たせていたものである。

ヒトリエと共にあった大学4年間はあっという間に過ぎていき、私は社会人になろうとしていた。

3. wowakaの死と私自身の停滞

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私が社会人2年目を迎えた2019年4月、ツアーの真っ最中にwowakaが心不全で亡くなってしまった。本当に突然の訃報だった。

訃報を聞いた当日は全く信じられず、仕事終わりに浴びるほど安酒を飲みながらライブDVDを見た。そしてふと我に帰り、メンバーからのコメントを見てひたすら泣いた。

「ヒトリエは続ける」という言葉を聞いても、にわかには信じ難いことだった。今までヒトリエの曲を作っていたのはwowakaだったし、私が惹かれて好きになったのもwowakaが作る曲と、一緒にいるメンバーの奏でる音が好きだったからだ。

ヒトリエのライブに行かなくなると、ヒトリエの曲を聞くことすらできなくなった。遂には他のアーティストのライブに行く気力もなくなり、気まぐれに行くこともあれば、チケットを取っていたとしても行かずに無駄に時間を過ごしたりした。喪失感って、生きる気力をこんなにも削ぐものなんだなとぼんやり考えていた。

無駄に時間を過ごすようになると、時間がある分いろいろなことを考えるようになった。楽しいと思ってやっていた仕事も、実は好きだと思い込んでやっていただけだと気付いたり、今までなんの疑いもなく従ってた父が毒親だったことに気付いたりした。そうして気付いたらwowakaが亡くなってから1年が経ち、私は自律神経失調症と鬱で仕事を長期休職し、随分遅めの反抗期を迎え父と毎日喧嘩を繰り返すようになっていた。

通っている心療内科の担当医からは、「熱中できるものを失うと、失ったものを埋めようと今まで見えなかった(あるいは自然と見ないようにしていた)色々なことが見えるようになったり、わかるようになったりする」と言われ、至極納得した。私はヒトリエのおかげで、見なくてもいいものを見ないように、あるいは見えないようにできていたのだ。

自分が鬱になった原因はヒトリエのせいではない。自分に合っていない仕事、親との関係性に悩んだことが主たる要因だ。とはいえ、確実に一つの要因ではあったと思う。好きなもの・生きがいを失うことは私にとってとても大きなことだった。

4. ヒトリエの再始動と私のこれから

2月17日にヒトリエがアルバムを出すことになった。リリース前だが、新曲が3曲ほど公開されている。

まさか3人で新曲を作ってアルバムを出すなんて夢にも思わなかった。しかしながら、全ての曲が今までの曲調に寄せているという感じもない。全部が新鮮、でもやっぱりヒトリエの曲だった。

そして、シングル「curved edge」が発表されるタイミングで、無料配信ライブが開催された。wowakaの追悼イベント以来、初めて見るライブだった。

「HITORI-ESCAPE」は過去にも開催されてきたライブの冠名で、アルバムを引っ提げたツアーとは異なり、毎回テーマを元にしたセットリストを一貫したものとなっている。今回の「HITORI-ESCAPE」に際し、メンバーは特にテーマやコンセプとについて触れることはなかったものの、私にとっては新しいヒトリエからの「宣戦布告」のように見えた。

「てめーら、ぼーっとしてんじゃねえぞ。俺らはやるぞ」

そんな風にシノダが中指を立てているような、挑戦的なライブだった。セットリストの中でも特に印象的だったのは冒頭で歌唱した「ポラリス」だった。

「ポラリス」はwowakaが亡くなる前、最後に出したアルバム「HOWLS」に収録されている曲だ。

ひとりきりのこの道も 冷めない夢の行く先も 誰も知らぬ明日へ行け 誰も止められやしないよ また一歩足を踏み出して あなたはとても強いから 誰も居ない道を行ける 誰も居ない道を行ける

これを吠えるように歌うシノダを見て、開始1曲目にして号泣してしまった。

「ヒトリエはまだ生きようとしている。wowakaはまだ言葉で生きろと伝えてくれている。」

その時、私も生きたいと思った。立ち止まっていては駄目だと思った。

「ポラリス」以降も過去曲、新曲を含め立て続けに披露する3人を見ていると、不思議と安心するのを感じた。今思い返せば、ライブ当日までどうしても過去の曲を聞く気持ちになれなかったのは、wowakaのいない3人のヒトリエが想像できなかったからなのだろう。3人のヒトリエをイメージできるようになった瞬間に、「私はやっぱりこの人たちだから好きだったんだ」と思った。wowakaがいなくても、3人はヒトリエなのだ。

この日をきっかけに、今まで服用していた抗不安薬や睡眠薬などの薬を少しずつ減らすことができるようになり、約2ヶ月経った現在、職場と調整して復職の準備を行っている。

見えるようになってしまった苦しい現実からはもう逃れることはできないが、今ならきっと前に進んで行けると思う。前に進めた状態で、またヒトリエに会いに行きたい。


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