見出し画像

再会と現実

四ヶ月ぶりに母親が病院から退院した。

去年の十一月に転んで頭に血腫ができて手術をしてそのまま入院。面会もインターネットで行わなければならないとのことで行ってはいない。もともと認知症気味だったので、久しぶりに会っても僕のことを覚えているのだろうか? 介護が四級という認定が降りたということは兄が以前、言っていた。

早朝、雨が降りしきるなか実家へ兄を迎えに行き、指定された時刻に母が入院している病院へと向かった。兄が病院へ入り、僕は駐車場の車の中で待っていた。その間も病院の出入り口からは老いた母親が乗った車いすを押す息子さんであろう方が出てきたり、ゆっくりと辛そうな顔をして歩く御年配の方が病院の中へと入っていく。そんな姿を見るたびに心の中でため息が漏れる。

一時間ほどすると、病院のスタッフの方に車いすを押された母親が正面の入り口から出てきた。髪が伸び少し痩せた母は車いすから立つことも車に乗り込むことも、よくわかっていないといった感じだった。なんとか兄と二人で母を車に乗せると車を実家へと走らせた。

車の中で僕や兄が話しかけても母は心を何処かに置いてきたような返事をする。実家についても車から降りようともせず、玄関で倒れるように横になってしまう。二人がかりで母をなんとか部屋まで運び、昨日届いたばかりだという介護ベットに横になってもらった。

そのとき、ちょうど母を担当してくれるケアマネジャーという方と介護ベットなどをリースしたり手すりを取付けてくれる業者の方がいらっしゃって、そのまま話をした。兄が書類に判を押す。

お二人が帰られて母親とあらためて話をした。と言っても会話は続かず、話は「眠くない?」だの「寒い?」だのと僕が一方的に尋ねるだけで、母はうなずくか首をふるだけだったが、掃除をしたときに見つけた母親の古い写真を見せたときに
「これって、いつの写真?」と僕が尋ねると、母は写真を見て
「小学生のとき」と答えた。どうやらわかってはいるようだ。少しだけ安心した。

ゴミ屋敷だった家を片付け、少しずつ綺麗になっていく様を見て、どこか心に安らぎを感じていたが、父が居ない現実と母親の姿を見て、誰しも時間には抗えない。ということを痛烈に感じた。

母と話していると、泣きそうになってしまい、母と兄には「また来るから」と、兄には悪いが早々に実家をあとにしてしまった。

家に着いてすぐに、弟からも良くない報告が届く。

実家からの帰り道、まだ雨が降っていたが車の中で見た桜は八分咲きといったところだった。また一緒に桜を見にいけると良いのだが……。

次に実家に行くときには気持ちを強くしていかないといけない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?