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ゴミの城〜026~夏休みの宿題はギリギリまでやらなかった

久しぶりにパソコンを開いた。夏前に両膝を痛めて、あっという間に十一月になってしまった……。夏が終わってしまった。

久しぶりに文章を書いてみる。

現在は右の膝がときどき痛むので、膝は右だけサポーターをしている。「膝は」と書いたのは別のところにもサポーターをしているからだ。

腰が痛い。

少し前に腰をやってしまった。いわゆる「ぎっくり腰」というやつ。仕事中に屈んだ体制から立ち上がろうとしたら腰がパキンとして、……激痛。帰りにドラッグストアに寄って、店内を少しずつ歩き「腰のサポーター」を購入した。翌日も腰にサポーターを巻いて仕事へ出かける。

実家へは毎週、顔をだして少しずつ掃除をしているが、少し前に今度は死んだ父親の弟が亡くなってしまった。葬儀や諸々は親戚の方が済ませてくれたのだが、叔父は独身だったので遺された家の片付けを僕がしている。叔父の家は同じ県なのだが往復で五時間くらいかかる。幸い、父親と違って叔父は生前にある程度の物を処分していたので物は少ないが、それでも一軒家なので整理するのは少し時間がかかる。

最後に叔父に会ったのは三年くらい前だった。まだ元気だった父親から「弟が肺を悪くして寝たきりだから、見舞いに連れて行ってくれ」と頼まれたときだ。叔父は同じ県に住んでいたが叔父に会ったのは二、三十年ぶりだった。初めて訪れる家の部屋の真ん中、介護ベッドに寝ている叔父は何やら機械を付けていて、ゼイゼイと苦しそうに言葉を話していた。

それでも、先に亡くなったのは父の方だった。父と叔父は一卵性の双子だったから、父が亡くなったのは特にショックだったことだろう。

人は歳を取り老いていく。

実家では母親は何も話さず、ずっとベッドに横になっているし、弟の奥さんも今年、若くして亡くなってしまった。

僕は体中にサポーターを巻いて仕事へでかける。夜中には尿意で目を覚まし、体中の痛みを押してトイレにトボトボと歩いていく。

仕事を変えてから、時間の余裕もなくなってしまった。仕事もハードだし、仕事から帰って、ご飯を作って食べて食器を洗って、シャワーを浴びて筋トレをすると夜の九時を過ぎている。九時すぎにパソコンのスイッチを押すのはさすがに億劫だ。動画も全く作っていない。

これが現状。

叔父の遺品を整理していて思うことがある。
何年も疎遠だったが、叔父が生活していた場所に叔父を感じる。本棚に並べられた本に叔父の思考を感じ、箱やタンスの中に入れられた物や丁寧に書かれたプレートやらを見つけて叔父の几帳面さを垣間見る。
父にそっくりな叔父の写真の整理をすれば、見たことのない小さな叔父がいた。これは両親の写真を整理していても感じたことだが、誰しも子供の頃がある。両親の子供の頃など写真を見ないと絶対に想像ができない。

写真は子供の頃の写真より、大人になってからの写真の方が笑顔が多い気がする。子供の頃は写真を撮られて照れくさいのだろうか? ムスッとしていたり、スカした顔をしている。それでも子供の頃の写真は、笑っていなくとも、それが白黒の写真でも、そこに希望が見える。

叔父は何十年もこの家で一人で暮らしてきて晩年は寂しくなかったのだろうか? 

たまには顔を出すべきだった。父親と一緒に行ったときも久しぶりだったのに喜んでくれた。

父と同じように釣りの道具があった。釣りをしたのかな? 大きなスピーカーもレコードプレーヤーもあった。夜は音楽でも聞いていたのだろうか?

月日は、あっという間に過ぎていく。もっと前に色々とやっておけば良かった。

久しぶりに動画も作ろうかな……。

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