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意識を向けるとやたらにそればかり

例えばFIATのチンクエチェントが欲しいな、となる。当然メーカーのカタログなどでそのラインナップやスペックなどを調べる。
頭の中はチンクエチェントだらけ。

二三日後、気が付けばいたるところでそれと出くわす。
いつもよく通る往来で、GSで、スーパーの駐車場で・・・。

「おや? こんなにユーザーがいたっけ?」

それを、「こいつが、シュレデンガーの猫ってやつか?」「一種のシンクロニシティだ」「引き寄せの法則かしら」ととらえる人は少ない。

大方は、「いや、俺は不注意だな。こんなに同じ道をいつも走ってるのに気が付かないでいたなんて。認識不足だな」などととらえる。


注意したいのは、二通りとも当人がそのように思っているだけの話である点。その(FIATを)何度も見始めるという現実は一緒。

繰り返すと、ひとたび何ごとかに傾注し、それに意識を向けると、その当人の周囲には不思議にその物事やそれに関連した事象が現れ始める。
理屈は何であれ、そのこと自体は「現実」である。


マンホールの意匠に興味のある人ならば、あなたが踏んでいる足元のマンホールが重要だし、大理石に含まれる化石に興味のある人は、デパートであなたが踏みつけている足元を見ていたりもするだろう。

それは興味のない人には一切無関係で、”見えてこない”世界。

キノコやタケノコ狩りに長けている人は、私たちの目には単なる藪か雑草の生い茂った風にしか見えないエリアに、ピンポイントでそれを発見するし、野鳥観測などでも、初心者は、老練のバードウォッチャーに、「ほら、あのブナの木の枝の先のほう・・・」などといわれても、目を白黒させるばかり。


楽しいことやうれしいことばかりに関心を寄せている人は、楽しいことやうれしいことばかり身の回りに生じ始めるし、自分を責めたり自信を持てなかったりする人は、ますます落ち込んだ自分を招来する。

「一念岩をも通す」という人は、他の追従を許さない偉業を成し遂げるし、

夢や希望があっても、「そんなことが叶うわけがない、まさかね」と思う人は、「叶わない夢や希望」を実現させる。

「そんなうまい話があったら誰も苦労しないよ。思ってもうまくその通りに運ばないのが現実だ」と”信じている”人は、そのような面白みのない人生を送る。

「信念の魔術」は、それが必要であれ、不要であれ、あなたが「そう思う」ところのものを実現させる。同時に、「そう思わない」ことまでも実現させる。


東洋哲学に触れて40余年。すべては同じという価値観で、関心の対象が多岐にわたるため「なんだかよくわからない」人。だから「どこにものアナグラムMonikodo」です。現在、いかなる団体にも所属しない「独立個人」の爺さんです。ユーモアとアイロニーは現実とあの世の虹の架け橋。よろしく。