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『神様の友達の友達の友達はぼく』 最果タヒ


人は、笑顔をなんでそんな良いことのようにいうのだろう、
人生における笑顔の大半は、コミュニケーションを円滑にするためにやる演出じゃないのか?
むかしチンパンジーの授業を受けたら赤ん坊は保護してもらうために本能で微笑むようになっている(人間もそう)と教えられて、
社会のものでしかない笑顔の存在にほっとした。

神様の友達の友達の友達はぼく 最果タヒ

笑顔でいる必要のない関係性は、心地よいよね。
自分勝手とはまた違うが、。


友達が多い人間とは酒やタバコをやめられない人間と同種なのではないか?そろそろ怒られてしまいそうだけど、ぼんやりとそう思った。

神様の友達の友達の友達はぼく 最果タヒ

これだいぶ多くの人を敵にまわしそうだけど、笑
なるほど、と思った。


ぼくは人と話したくないし、できる限りコミュニケーションを取りたくないと思うけれど、それこそが「鈍感」であるとわかっているつもりだ。繊細とかいわれると痒くなってしまう。
誰のことも傷つけずに話し続けられる人こそが繊細なのは当たり前のことで。そういう人たちが、リア充だとか満たされた人たちだとか悩みもないはずだとか、言われているのを見るとなぜかとても傷ついてしまう。彼らが本当に思っていることはなんなのかなんてわからないし、本当に何も考えずに、全てうまくできてしまう人もいるのかもしれないが、でも基本、気を使わずに誰のことも傷つけずに済む、なんてことはなかなかないだろうと思う。自分を面白い人間だと思っている人はどこか鈍感です。
誰かを傷つけてしまうかもしれないと恐れながら、それでも相手のために話をやめないでいるひと。最初から話をやめて黙り込む、ぼくみたいなのは沈黙だって暴力であることを、わかっているくせに行使しているからロクでもありません。話し続ける明るいひとびと。そういう人たちの繊細さに気づいてほしいと、どの立場からかもわからないまま祈っています。

神様の友達の友達の友達はぼく 最果タヒ


僕はロクでもない人間です。
あの人がいるから、会話頑張らなくていいや〜って思ってました。

本当にごめんなさい。
これからは、繊細なあなたに少しでも休んでもらえるように、
これ以上あなたの心がすり減らすことのないよう。

ロクでもない人間を卒業しようと思います。

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