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今村昌平『人間蒸発』 ~視線についての映画

今村昌平の『人間蒸発』(1967)をみました。
「視線」をめぐる作品だったのかもしれません。

映画は、失踪した男性を求め、婚約者・親族・仕事仲間を、部屋を、帳簿を探ります。
人間は、まわりの視線からできているのですね。

男性の婚約者は、姉を疑うようになります。映る目がエグい。
対照的なことに、その目が別の出演者に向かう視線は、愛を含むようになります。

婚約者、姉、魚屋の3人は、ステレオタイプなキャラクターです。
次第にその型を演じることに溺れ、無垢な被害者として正義を主張するに至ります。
正義~被害者~演技は、視線をなかだちとして、深く結びつくものみたい(※1)。

製作者たちが探し、問うとき、視線(カメラ)の暴力があらわになります。
闇に消えたひとをみつけようとして、怪物になる。

怪物とたたかうひとは、怪物にならないようご用心あれ。深淵をのぞくとき、深淵もまたお前をのぞいてる(※2)

この映画をみつめる私たちもまた

怪作ですね。


※1 映画『アクト・オブ・キリング』『ルック・オブ・サイレンス』も
また、正義、被害者、演技、視線、暴力を追った作品でした。
※2 ニーチェにくわえ、視線について取り組んだレヴィナスも思い出します。

※追記。2020/11/29。登場人物たちは、弱者にも、道化にも、怪物にもみえてきます。あんまり愛しくみえてはこない。
 しかし、ああ、「道化、怪物にみえ、愛しくみえてはこない」こそ、他者に直面し、おそれるか、わらうしかないありようですね。正義を主張しはじめるまで、あと一歩。

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