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自分にできることがなぜ他人にできないのか理解出来ない事がある(欅坂46と乃木坂46)

noteの記事を読んでいると、乃木坂が現在のようなトップアイドルになり、それを継続してきたひみつについて「仲の良さ」を上げている方がいらっしゃいました。それについては全くの同意です。
そのなかで以下の引用にあるとおり「乃木坂の成功ノウハウが欅坂でうまくいかなかった事」について、その理由が「乃木坂ほどメンバー同士の仲が良くなかったから」というニュアンスがあると感じられました。

“プロダクトの成功をプロダクトやマーケティングで説明することはある程度は可能。でも、成功し続けていることの説明はうまくできないと最近思っている。例えば乃木坂46の場合、その成功ノウハウを踏まえて立ち上げられた欅坂46があまりうまくいっていないことからも、乃木坂46に関わるプロダクトやマーケティングを分析するだけではその成功をうまく説明できないように思える。”

でもそんな事ないと思うんだけどな。ドキュメンタリー映画「僕たちの嘘と真実」で画面から伝わってくるちょっとギスギスした雰囲気とか、インタビューで泣いてしまうメンバーの姿が見られるのは、決してメンバー同士の仲が悪かったからではないと思うんですよね。逆に仲が良いから他のメンバーに対して気を使いすぎてああなったのかもしれん。

平手友梨奈という存在

欅坂が乃木坂モデルを踏襲していたにもかかわらず、うまく運営できなかった理由ついて私見を述べれば、その原因は
「平手友梨奈が一人だけ、想定外にあまりにも早く目覚めて成長してしまったから」
ではないかと睨んでおります。

成長過程を愛でるのが日本式のアイドルの応援の仕方だと思います。メンバーごとの凸凹はあるものの、努力することで徐々にそれぞれが個性を開花させていき、グループ全体として上昇するって姿が見られるのがベストなんだろうけど、欅坂の場合は平手友梨奈だけが特出して早く目覚めて成長してしまったんじゃないか。その状況に他のメンバーがうまく対応できなかったんじゃないかと。

その結果、メンバーたちは平手友梨奈が見せる(自分の役割を全うしようと必死な)パフォーマンスに圧倒されてそれを称賛することしか出来ず、それに比較して自分の出来なさ加減に劣等感を持ってしまった。それが「平手友梨奈が絶対視されたかのような楽曲やパフォーマンス」に繋がってしまい、結果として当の平手友梨奈自身も「自分がやりたいことをなぜみんな理解してくれないの」とか「自分がやってるダンスをなぜ他のメンバーはやろうとしないの、できないの」などという疑問や不安に苛まれ、結果どうすればいいのかわからない状態に陥ったことから、自分の感情の赴くままに突っ走ったのが突然の脱退劇につながったのかなと勝手に想像しています。根拠はドキュメンタリー映画を見た印象だけですけど。
もちろん悩み苦しむメンバーへのサポートが十分ではなかったことや(おそらく)乃木坂との差別化のために笑わないクールなアイドルグループにしようとした運営サイドの対応が、その後の欅坂の悲劇を生み出した大きな理由の一つだとは思いますけどね。

無邪気な乃木坂

一方 成功例として上げられている乃木坂も、目標に向かってひとりで突っ走ってしまいがちな生駒里奈や、天才で変人の生田絵梨花をグループに包含していたにも関わらず、周りのメンバーたちがそんな二人の尖った部分をいつの間にかふんわりとした空気に包み込むことで、結果としてメンバーみんなが「グループとして」一緒に成長できたことできた。それが実現されたのは齋藤飛鳥が指摘していた「グループの中心だったお姉さんメンバーの無邪気さ」が大きな要因ではないかと。
髙山一美が「まいやんと初めて会ったとき、こんな綺麗で優しい人が本当にいるんだと驚いた(大意)」と話している動画を見たことがあるけれど、そんなまいやんが率先して無邪気にはしゃいでたりすることが、乃木坂にとって重要だったわけですね。

それに加えて生駒ちゃんはAKBへ交換留学、生ちゃんは音楽大学への進学やミュージカル出演など乃木坂とは別環境で活動し、そこで自分よりもっとスゴイ人たちがたくさんいることが実感できたことがグループとして良かったのかなとも思います。もちろんそんな彼女たちを真剣にそして邪気なく(悪い感情や気持ちを持たず)応援し、受け入れた他のメンバーたちの存在も大きかったんでしょうけど。

そういう意味では欅坂メンバーはみんな真剣で真面目すぎたのではないか、と。また他の世界を見る余裕がなかったんじゃないか、と。そんな環境では彼女らも無邪気さを出すことができなかった(出せなかった、出す余裕がなかった)。だからあんなぎくしゃくした関係となってしまったのではないかと考えました。
ワシはあの時代に今のような元気な山﨑天ちゃんがいて、その最年少という立ち位置からくる無邪気さで「私はてちとWセンターをやりたいです」などと言いつつ頑張っていたら、欅坂のその後の展開も変わっていたかも知れないと夢想します。今の櫻坂をみると、みんな笑顔で空気も柔らかくなっている感じを受けるし、それってやっぱり天ちゃんの無邪気さが好影響を与えた結果ではないかと。

無邪気な天ちゃん

山崎天ちゃんといえばオーデションのときに
天は頂点の天。欅坂46を頂点に導きます!
と発言して叩かれたという事があったらしい。

たかが中学生のコムスメが調子にのって言ったことを叩くってのはどういう風潮だ。大人への反抗を売りにしてた欅坂のメンバーなら、そういう発言はある意味大歓迎じゃないか。グループのポリシーに心を動かされたファンにとっては、自分の力で世界を変えるという意気込みは称賛されこそすれ、非難されるようなもんじゃない。そんな発言には「おうおう、やれるならやってみろや」と生暖かく見守りつつ影で応援するのがファンってもんでしょう。そんなことやってるから、平手友梨奈は脱退し欅坂は分裂してしまったんだぜとワシは当時のファンに対して怒ってる。ときにはメンバーから閉塞感をぶち破るような無礼だと思われるような発言もあったりするのは、欅坂っぽくていいじゃんかと思う。(全くの門外漢でありイメージだけで語っているワシの勝手な考えだけどな)

さいごに

「乃木坂の事例が欅坂では成功しなかったことについて」というテーマで書き始めたけれど、結論としては「無邪気最強説」を唱えて終わります。
でも結局なんだかよくわからん内容になってしまったのはいつものことですね。 

無邪気最強。そして努力、感謝、笑顔を大切に。

現場からは以上です。

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