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同じ熱量

他人に自分の推しをあからさまに否定されること
単純に不愉快だ
殺意にも似た感情がメラメラと頭をかけめぐる
こいつ私の目の前で走行車に衝突されればよいのにとさえ想像する

私自身、そんな私を「なんて奴だ」と軽蔑する
決して私の好みに合わせろだとか相手の好みを否定しているわけではない

なんていうか、自分自身の人生そのものを全否定されたように感じるからだ

まだ自分自身に対して直接の悪口や批判のほうがシンプルに受け入れやすい(不愉快ではあるけど殺意は起こらない)

推しが同じ人と話していたときのこと、

「kurumiさんも○○好きなんですね♪」
「はい!(わーい、気が合いそう)」
「でもそんなに毎回ライブ行って飽きません?」
(は?)
「せいぜい一つ行ければ充分でしょ笑」
(なんなのそのあざ笑うかのような笑み)
「聞くのも自分はサブスクだけです」

私「ネットで簡単に聴けるけど、本命のアルバムだけは持っていたくて買っちゃいます」
相手「へぇ」
私(………。)

その言い方からは相手の価値観の押しつけを感じたと同時に、必ずしも推しが同じなら情熱の度合いも同じとは限らないと気づく典型的な例を肌で感じた

推しは違ってもライブに行く頻度やアルバムだけは買い揃えるという、自分と似た人もいる

(パートナーに共通の趣味を重視するのは無意味だと悟った)

これらの経緯を具体的に記してみようと思ったけど面倒になり、それらの事実だけをこうして書いておく

書くのも面倒
人と最低限以上の会話をするのも面倒
なにかと面倒なのはこの暑苦しい季節のせいだ
だけど暑い南国は好きだ
夏空の下で呑むビールが好きだ

さて、炎天下のホコ天へ
そして公園のお祭りで会う約束をしている仲間たちと呑みに出かけよう

全否定されたとしても、残念ながら呑むお酒だけはいつも私を裏切らないのだ