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否定がコワい

「他人に気を遣いすぎてる」
たまにそう言われる

たとえば好きな音楽の話題、私は話し相手が同じ趣味ではないとわかった途端、話したくなくなる

別に好きではないものを聞きたくないわけではない。自分自身が傷つきたくないだけ

アーティストAが好きな相手
私はBが好きで、Aに関してはノーマルな感覚

相手がAの良さを語る
曲の良さ、ライブの楽しさ、見た目の良さetc
私は、そうなんだね・楽しそうだね・若々しいよねetc

決して苦手ではないAに対してどれも本音であり、なにより楽しそうに話す相手を不快にしたくないと思うから、それなりの反応をする

そこで話が終わるならまだいい
「kurumiさんは何が好き?」
・・・
まぁ、ありきたりな展開だよね
私の好きなBは世間的にもメジャーなアーティストだから相手も知らないことは無さそうだが、一瞬躊躇してしまう。なんだろう、相手の反応が怖い

それでも応える
「Bが好きです」

コンマ1秒くらいの間(ま)があった
あ、この人はBは好きではないな(私のAへの思いと同じ程度だろうな)と瞬時に察する

とはいえ、私も相手の話を聞いたのだからそれなりに相槌を打ちながら、適当に聴いてくれる仕草を見せてくれたら嬉しいしラクなのだが…

コンマ1秒のあとにさらっと
「Bってまだ活動してたんだ🤭」
………ん?
末尾に笑顔すら感じるし……

ヤな感じしかしねぇ
Bを、私を見下してる感ハンパねぇ
(と受け取る私はオカシイですか?)

こんなときに巻き上がる独特のモヤモヤといったら…

前世で何かあったのかとさえ感じるくらいに、私は私の好きなものが否定されるとたまらなく相手に対して殺意が芽生える

…実際には殺らないけど(そりゃそうだ)

受け止め方?相手との関係性?
ともかく今回のソレは「否定」とは違うにしても、不快感で胸はいっぱいになった

相手がどんなにステータスやお金や端麗な見た目をもっていようが、不快指数200%の赤札を貼って差し上げた

逆に、私に合わせるかのように笑顔フル活用でうんうんと聞いてこられるのも抵抗がある
そこまで私なんかに気を遣わないでくださいと内心恐縮してしまう…

私自身がそんな自身を面倒くさいと思うのだから、相手からしたら更に私は理解しがたい奴だろう…と、考えてしまう。だから人との交流は疲れる

「相手は私と同じBが好き」
それが予めわかっているほうが、人間関係とにかくストレスフリーだ

だけどそうとも限らないと感じる事柄が起きた
ココロの独り言なのに長くなりそうなので、それはまた今度にしよう