マラソンとは脳を騙す競技である

今更ながら、2022年6月12日(日)に岐阜県高山市で開催された「飛騨高山ウルトラマラソン」の出場について書くことにする。コロナの影響で3年ぶりの開催らしい。

参加距離は100km。タイムは11:14:24で、2018年に参加した四万十川ウルトラマラソン(100km)より1時間ちょい短縮できたのは嬉しい。

マラソン前々日から名古屋に前入りし、ウェルビー今池店に宿泊、マラソン翌日はウェルビー栄店で疲れた身体を癒す。サ旅と掛け合わせてトータルでの体験価値を高める。これはやめられない。

今回行けなかった大垣サウナと田辺温熱保養所、臥龍の郷はまた次の機会に。

さて、マラソンを走りながらいつも感じるのは、「脳を騙さないととてもじゃないが走ってられない」ということだ。

便利な日本に住んでれば、日常で100kmも走る機会なんてない。少なくとも意図的に100km走る機会を作り出さないと、一生その機会はやってこない。

つまり、100km走っている最中は脳とっての緊急事態なのである。

脳にとっての最重要事項は「生存」である。

マラソンを走っていると必ず「もうやめたい」と思うポイントが何回かやってくる。身体が疲れているという感覚は後付けで、まずはやめたいと思うからやめたいのだ。

おそらくこの現象が心理的限界ってやつだ。つまり、精神が折れる分水嶺である。

スポーツの文脈で心理的限界と一緒に持ち出されるのが肉体的限界である。肉体的限界は怪我やエネルギー枯渇の分水嶺であり、肉体的限界でやめたいという感情に襲われるのは納得がいく。

冒頭の脳を騙すとは、「意図的に心理的限界を引き上げる」ということだ。脳は「生存」が最も大事な行動規範なので、死ぬ前に肉体を守ってあげる必要がある。

心理的限界はゴールの80%くらいのところでいつもやってくる(と個人の経験から感じる)。不思議なことに、100kmだろうが、10kmだろうが距離に関係なく全力を出していると残り20%くらいで確実に苦しいというに襲われる。

10kmであれば、脳を騙さず肉体を酷使してゴールできるが、100kmとなるとそうはいかない。残り20%でも20kmあるわけで、2時間以上。脳を騙さないと100kmも走っていられないのだ。

そこで「脳はゴールまでの80%で心理的限界を発令する」という仮説を検証すべく、飛騨高山ウルトラマラソンでは、5月に参加した富士五湖ウルトラマラソンの距離である118kmを仮想して距離をカウントしていった。

仮説が正しければ心理的限界がやってきたころには、ゴール目前だ。

結果は、なんと70kmくらいの地点で既に心理的限界がやってきた(笑)。受け入れ難い現実ではある。

無意識の中で100kmのレースと思っていて、脳を騙せなかったことが原因なのか。それとも80%限界説が間違っていたのか分からない。

なので、今後もこの仮説を検証し続けることにする。

ともあれ、今回の検証過程でマラソンの本質は意志の限界の閾値を高めることにあるのではないかと感じた。意志が限界を感じる閾値を上げると、仕事においても焦らなくなるので、よいことだらけ。

飛騨高山ウルトラマラソンに話を戻すと、今後もリピートしたい大会。その理由を要素分解してみると以下の通り。

・大自然の中を走れる(非日常感)
・起伏の多いコース設計(刺激・達成感)
・歴史ある街並み(文化)
・郷土色のあるエイド(グルメ)
・地元民の認知(応援)

都会に住んでいると、田舎に魅力を感じる。一方で田舎に住んでいると都会に魅力を感じる。脳はいつでも無いものねだりだ。

今後もマラソン大会に参加する度に、その大会の魅力を要素分解してストックしていこう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?