【発達障害ASDの長男#5】小学校低学年の頃。いよいよ診断へ・・・

今20歳のASD、発達性協調運動障害、軽度の知的障害のある息子の小学校入学から低学年の頃の様子を思い出しながら投稿します。小1の時に療育センターを初めて訪れ、小1で発達性協調運動障害と診断され、小3の時に正式に、ASD、ADHD(グレー)、知的ボーダーと診断されました。
(この投稿、やや長めとなっています。)

いよいよ入学式。そして学校での様子。

小学校入学式の後、担任の先生の元へすぐに向かった。当時は、療育センターの予約が取れた初診日を待っている状況だったため、「どういう状況かはわからないけど、療育センターへ行く必要がある子供」という宙ぶらりんな状況にあることを説明せねばならないと思った。

事情を話すと担任の印象は、まずまず・・・。ホッとした。30代半ばくらいの熱そうな先生だった。(担任がいかに大事かということを、この担任の先生じゃなくなった時に思い知った。。)

授業が始まると、最初の方は意外に順調だった。
でも、5月の最初の授業参観で顔から火が出そうなほど恥ずかしい事があった。
国語の授業で文字を覚えるために、空に指で字をかくということをみんなでやっていた。先生が、それではノートに書いてみましょう!と言っているにも関わらず、息子だけが、空に字を書き続けている。あげく、その後も、先生が板書するたびに、先生のマネをして、ずっと、空に字を書いている。。

「やめて〜〜〜〜、手をおろして〜〜〜〜〜!!」と近くに行って手を下げさせたかったくらいだった。誰も私の息子だとはわからないが、いたたまれなくなって、抱っこ紐の中の長女をあやすフリをして、そっと廊下へ出た。こんな時に限って、長女はすやすや眠っていた。

それからというもの、授業参観の時には、まるで小道具のように長女を抱っこ紐に抱っこし、いたたまれなくなったら、長女をあやす、というテイで教室を出た。
誰にそんなに気を使っていたのか、今思えば、気にすることもなかったのだが、自分の息子に「障害」があると分かった今、その独特の行動は、個性ではなく、「障害」だからなんだ、と思うと、なんか恥ずかしいというか、微笑ましく見ることはできなかった。まだまだ受け入れてなかったと思う。

1年生の頃は、わからなくても先生が声をかけるとなんとか分からないと言えたり、黒板係の仕事はきっちり授業の後にこなしたりと、周りもまだ幼いので、さほど心配な事はなく、何より、担任の先生がとても親身だった。
細かく声をかけてくれて、どこまで話を聞いているのかを確認したりしてくれていた。友達もまだみんな幼くて、息子のさらに幼い部分もあまり目立たなかった。

小学生の時はまだ、「休み時間」の過ごし方が分からなかった。土曜参観の日は1日中、いつ参観しても良かったから、中休みに行ってみた。どこにいるのかな〜と旦那と探していると、校庭にいた。「?」「何をしてるんだ??」と旦那と顔を見合わせた。とにかく一人で手をあげたりおろしたり、何かやっている。。よくよく見ると、仮面ライダーの変身シーンの再現だった。周りでドッヂボールをしているのに、多分、そこにいると邪魔なのに、、、ひたすら一人で熱心に仮面ライダーになっていた。とにかくすぐにでもそこに行って、邪魔にならないところに移動させたかった。休み時間を見るのが一番しんどかった。

「発達性協調運動障害」と診断される。

療育センターでの初診の日。今までの経緯や状況を医者に話した。医者も何で検診で引っかからなかったのか疑問だったようだ。横浜?と聞かれたので、当時は違いました。と答えた。。。なんだろう、、地域の差なの??横浜だったら、絶対引っかかってた、というニュアンスだった。

まずは、体のこなしを診てみたいとのことだった。いろんな動きの検査をして、「発達性協調運動障害」は、まずあるね、結構強めかな〜と言われた。あまり覚えていないが、ほとんどの項目で最低ラインだった記憶がある。

っていうか、何それ?だった。「すごく不器用で、すごく運動音痴、と言ったらわかりやすいかな〜」と言われたけど、「障害」ってつくくらいだから、そんなぬるいもんじゃないでしょ、と突っ込みたくなったけど、まぁ、実際そういう表現になってしまう。。

医者には、「他にもありそうだから、定期的に見て、心理検査もしましょう。でも、恐らく、将来的にはこの、体のこなしの部分の方が生活に支障が出るかもしれないねぇ」と言われた。

なんとなく、不器用だな〜とか、なんとなく動きもどんくさいな〜とか思っていたけど、まさか、障害だったなんて、、、しかも、将来に支障・・・?すぐには受け止められる訳もなく、家に帰ってからもしばらく呆然とした。

この頃にやっていた事。大変だった事。

診断を受けた後、月に1回、理学療法士と感覚統合療法が行われた。毎回、1月に生まれたばかりの長女を連れて行った。見てる分には遊んでいるようにしか見えないが、体のいろいろな部分を刺激していくらしい。ぶら下がったり、トランポリンしたり、ボールで遊んだり、積木をしたり、、。楽しそうにやっていたので、良かった。そして、理学療法士の方と毎回お話しする機会もあり、不安なことを相談するには私にとってもちょうど良かった。

トランポリンがとても良いというので、家にも小さいトランポリンを買って、遊ばせた。トランポリンはとても楽しそうだった。少しづつ高く跳べるようになった。

算数も1年の前期には10までの足し算、引き算はできるようになり2年生では九九も覚える事ができた。息子の場合は、繰り上がりや繰り下がりの計算も、紙に、手順を①から箇条書きにして、パターン化する事で、その紙をみながら手順を繰り返していくと、だんだんできるようになっていった。

ただ、ランダムな絵から10のかたまりを○で囲む、みたいなものは苦手だった。目で追いながら、鉛筆を持って○で囲むという、これも一つの協調運動なんだろうなと思う。とにかく、2つ同時に体を使うという事が大変な様子だった。同じような例で音読も苦手だった。目で文章追いながら、読む、というのが難しかった。指で文章をたどりながら読むとなんとか人並みに読めた。

運動会の踊りと長縄大会、これは本当に苦戦した。。でもこればかりは学校で頑張ってもらうしかなく、家では何もしなかった。でも、縄跳び体育の授業でやるらしく、親子で猛特訓した。感覚統合療法の時に練習のアドバイスをもらったりしながら家でコツコツ頑張った。息子の良いところは、とにかく、「コツコツ頑張れる」ところ。それは今もそう。

前跳びで、縄を回すのに、なぜか、両腕を真上に上げる。そこから振り下ろす、で下についた縄を確認する事なく、適当に跳ぶ、という状態からのスタート。
手に縄跳びを持たせ、「ふらなくて良いから、これを持って、こうやって壁に○を書いてごらん」、とか、もう、、そういう状態。。。「跳ぶ」に辿りつくのはいつーーーー?と思った。まずは、腕を真っ直ぐに伸ばして使おうとする息子に、腕を曲げた状態で回すんだよ、ということを教える、、、それができたら今度は、手首を回す、という風に。今思い出しても、疲れる。

とにかく何日も練習して、ようやく2回跳べるようになった。もう、これで勘弁〜〜〜と思った。

それから1年生の終わりから、「お口の体操」にも通った。通級指導だったかな。。これは確か週に1回。小学校を卒業するまで通った。最初は長女を連れて、、途中からは次女も連れて、、、おんぶに抱っこで付き添った。

ここでは、発音、特に「た行」「さ行」「か行」が発音を上手にするための舌の動きの練習をしたり、深呼吸もうまくできなかったので、風船を膨らましたり、ケンケンパしたり、いろいろやった。学校の勉強で分からないところも教えてもらったりした。学習の最後の10分くらいで必ずミニゲームをやった。ここでトランプやUNO、ボードゲーム、いろんなゲームを覚える事ができた。

感覚統合療法は2年間でおわった。劇的に良くはならなかったが、体も少し大きくなり、少しは動きがしっかりしてきた部分もあった。療育センターでは次に心理検査をすることになった。3年生になろうとしていた。ちなみに、感覚統合療法を始めた時、まだ3ヶ月だった長女は2歳3ヶ月になっていた。そして、次女もその間に生まれ、10ヶ月になっていた。

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