中学受験高校受験全て失敗した話

中学受験に至る経緯(幼稚園~小5まで)

幼稚園~小学校低学年まで

僕の親は僕とは対照的なタイプで学生時代から勉強をかなりしっかりやっている人でした。なので子供にも勉強をさせようと僕は幼稚園のころからZ会の通信教育をさせられていました。

小学校4年生

僕の住んでいる市は全体的に中学受験が盛んで、小学校も高学年になると周りの子にも中学受験のために塾に行き始める子がかなり増えてきます。僕は周りの友人が塾の話題をしているのについていきたくて親に言って近くの塾に入れてもらうことにしました。この時に塾で出会ったのがA君です(後でまた出てくるので覚えておいてください)。このA君はネットミームや下ネタが好きで、僕はA君から淫夢やセ○○スの意味など様々なことを教えてもらいました。まさに今の自分の原点となった存在と言っても過言ではないかもしれません。

ちなみに肝心の塾内での成績ですが、この頃は親に言われて真面目に勉強していたのもあってぐんぐん伸びていきました。

小学校5年生

この頃になると成績も塾内でもかなり上位になり模試でもよい成績を出すことが出来ていました。この頃塾の同じ校舎の先輩にはかなり濃いメンツが集まっていたので一部紹介します。
B先輩&C先輩・・・双子の兄弟でどっちも灘中学志望。
D先輩&E先輩・・・授業中にケツを出してダンスしてよく怒られていた。両方とも地頭がとても良い。
こんな感じの面白い先輩がいたので(授業は一緒だった)、塾には全く退屈せずに行くことができました。


小学校6年生

小学校6年生の時の話は少し濃いので分けて書こうと思います

塾を掛け持ちするようになる

塾を掛け持ちするようになりました。新しく行き始めた塾は浜学園という塾(関西の中学受験業界最大手)で、この塾はかなり独特の文化があったのでこちらも一部紹介します。

合格宣言・・・教師が○○中学校に絶対合格するぞ!と拳を突き上げて叫んだら、それに続いて生徒も絶対合格するぞ!と拳を突き上げながら叫ぶ。これは後述する学校別模試、正月特訓、そして受験当日も行います。

学校別模試・・・正式名称は覚えていません。どういうことをするかというと、朝9時に集められてそこから3時間自分の第一志望の学校の入試問題の形式の模試をやります。一時間弱の休憩をはさんだ後、午後からはその模試の解説が6時間ほどあります(もちろん教科ごとの間に10分程度の休憩はあります)。そして最後にあるのが合格発表というイベントです。実はこの朝やった模試は自分たちが解説を聞いている間に爆速で採点が行われており、この合格発表ではその採点結果をもとに現時点で合格ラインに達していると判断された生徒の受験番号を読み上げ、読み上げられた生徒は順番に立っていくという競争心を煽る内容になっています。

正月特訓・・・こちらも正式名称は覚えていません。内容としては模試をした後解説を聞くだけなのですが普段と違うとこが一つだけあります。それは合格祈願をするということです。この合格祈願というのは浜学園西宮校の近くにある廣田神社というところに教師の先導のもと全員で行き、お参りをしたあと先述した合格宣言をするというものです(普通に迷惑)。

他にもハチマキをまく(受験前になると教師にメッセージを書き込んでもらう)などとてもクセの強い塾でした。

成績推移

話を戻します。この頃元から通っていた塾で僕は一番上のクラスに入ることが出来ました。このクラスで僕はFくんという人と知り合いました(こちらは後で重要人物として登場するので覚えておいてください)。成績も五木模試で全国40位になるなどかなり良く、完全に調子に乗って甲陽学院中学校を第一志望にすることに決めました(関西以外の方は分からないと思いますが、毎年東大京大合わせて70人程度合格している超難関中学です)。

受験結果

函館ラサール・・・合格
甲陽学院・・・不合格
高槻・・・不合格
六甲・・・不合格
池付・・・不合格

結論ほぼ全落ちしました。ほぼと書いたのは前受け(関西の中学受験は統一受験日があり、ほとんどの中学はその日に入試を実施することが多く併願を自由にすることができないので、受験会場の雰囲気に慣れるために前受けとして入試日が早い中学校を行くつもりがないが受験する)として受けた函館ラサール中学だけは受かっていたからです。

全落ち後の心境

正直全落ちは予想していなかったのでかなりショックで落ち込んでいました。しかし受験後親にスプラトゥーンを買ってもらった後はメンタルが回復していきました。


余談

ここまでかなり濃い話だったので少しだけ別の話をしようと思います。それは大手学習塾の合格者の人数を合計するとなぜかその中学の定員を大きく上回るということです。これは以前からネットでも度々話題になっていて合格者数の水増しだ!などと騒がれていますがこれは断言します、水増しではないです。ではどういうカラクリなのか説明します。

先述した某塾では〇冠制度といものがありました。これは灘や洛南などいわゆる超難関中学に合格した生徒を対象に行われるもので、例えば灘中学に合格+須磨学園後期合格+六甲学院後期合格なら三冠など併願校に合格すればするほど〇冠の〇の部分の数字が増えていくというものです。〇の中の数字が大きくなればなるほど大きなトロフィーがもらえるようになっており、難関中学を受ける小学生は大きいトロフィー欲しさにどんどんと併願として受ける中学校を増やしていきます。もちろんそういった子は併願している中学校には行かないので併願されている中学側もそれを予想して定員よりもはるかに多く合格者を取ります。こうして先述した合格実績の人数を全て足すとその中学の定員を大きく上回るという現象が起きるわけです。


中学時代

中学入学前

この頃になるとメンタルは完全に回復して、僕はリベンジとして灘高校を受験することを決意します。ちょうどその時自宅に馬渕教室の創駿会(一学年に一万人弱いる生徒の内数毎年30人弱のみが入ることのできる最上位クラスで、三年生までいることができれば9割灘高校に合格する)のチラシが入っていて、試しに入塾テストを受けてみたところなんと合格してしまいました。しかもそこには小学校の時から塾が一緒だったA君(小学校4年生のところで先述)もいました。

そして、制服採寸の日、初めて中学校に行ってみたらなんとA君とF君(小学校6年生のところで先述)がいました。正直落ちたのは自分だけかと思っていたので仲間がいて嬉しかったのを覚えています。

中学1年生

学校では成績は結構良かったです。しかし、塾では完全に落ちこぼれていきました。周りは駿台模試で全国1位や2位を平気で取るバケモノばかりで僕は次第に自身をなくし今まで真面目にやってきた勉強も手がつかなくなりました。そしてなにより授業がかなり厳しかったので少し紹介します。

英語の授業では女教師がスパルタ授業を行っており、授業中に問題が答えられないとすぐに怒鳴られました。また、テストで間違った単語や文はノートに20~30回書くように言われ、もし出来ていなかったら次の授業で机を蹴られました。宿題のチェックもかなり厳しく、毎回丸付けがきちんとできているかなどを隅から隅まできっちり確認され、もしミスが多かった場合もまた机を蹴られました。

こんなことが続き次第に成績も低下し二年に上がった直後に僕はこのクラスをクビになります。

中学2年生

塾をクビになった僕は家の近くの塾に通いだし、目標もなく無気力に生きていました。そうして一年が経とうとした三学期、僕はふと同じ部活で部長をしていたF君(ちなみに僕は副部長だった)にどこの学校に行くつもりなのか聞いてみました。するとF君は高専に行きたいと言いました。正直僕はその時高専のことを全く知らなかったのでとりあえず調べてみようと思い高専について調べてみることにしました。それが高専との出会いです。

中学3年生

高専を調べていくうちにその自由な校風に惹かれ、僕は次第に高専を第一志望の学校として考えるようになりました。この頃には手がつかなくなっていた勉強もそれなりに頑張るようにはなっていました。
そして第一志望を電気情報工学科、第二志望を都市システム工学科、第三志望を建築学科にすることを決めました。

高専受験

受験当日、終わった後の感触としては正直受かったなという感じでした。自己採点をしてみたところ600点中約540点(英語×1.5数学×1.5の傾斜配点で計算しています)取れていて完全に調子に乗っていました。

受験結果

僕とF君は同じ電気情報工学科を志望していました。受験の結果は卒業式の練習中に先生に呼び出され二人で同時に先生のスマホで見ました。
結果は僕だけ第一志望に落ちていました。

余談ですが先述したA君は灘高校に受かったそうです。おめでとうございます。


高専に入って

正直入った当初はあまり第一志望に落ちたことを気にしていませんでした。しかし、専門の勉強をしていくにつれなぜやりたくもない分野の勉強を自分はしなければならないんだろう、この先就職してやりたくもない測量とかさせられるのかななどと考えていくうちに次第にまた勉強に手がつかなくなっていきました。


最後に

この言葉は今の自分が言うことが一番説得力がなくて、そしてあると思っています。
皆さん、後悔のないようにしっかり勉強しましょう。


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