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ジンクスと留年と

僕はジンクスというのを信じているタチで、中学、大学と受験の時は、使わなくともいつも決まってhi-uni 4Bを持って行っていた。それに、大切なことがある日は左足から家を出た。小学生の頃、テストで良い成績が取れた時に偶々そうしていたのだ。
だから空が青く、雲が黒い、今日みたいな日には軽い筋トレをする。そして、スーパーで買ってきた安いステーキ肉をコーラと一緒に胃に放り込んで、オナニーする。そうして僕の体に、よい精子を出しやすい日というのを覚え込ませておく。ジンクスは自分から進んで作り出していくモノである。これも、以前そうした日に出した精子が、偶然甘かったので、そうすることに決めた。甘いものが好きなのだ。
その上、こうしておけば、将来子供を作るという段になった時困らない。空が青くて雲が黒い日というのは、一年のうちに何度もあるし、何より何となくかっこいいので、神の導きだという感じがして厨二心をくすぐられる。
そうして、出来た子には「空」と名づけることも決めている。「そら」であれば男の子にも女の子にも付けられるし、心が広い優しい子に育って欲しいとかいうくそみたいにありきたりな名づけの理由づけも出来る。人は何でも理由を欲しがるからだ。もしこれが、雪の日となると中々そうはいかない。僕の住む地域だと雪の日は珍しいから、中々オナニー出来なくなってしまうし、そのために降雪地帯に引っ越すというのもなんだか癪である。その上、「ゆき」だと男の子には少し可哀想だ。
小学生というのは、他人と少し違うという理由だけで簡単に人を傷つけてしまう生き物である。だからといって、それが良い悪いという話ではない。小学生なんていうのは、ほとんど、まだ動物的なモノでしかなく、おおよそ本能の赴くままに生きている。人間がもつ特性の一つである理性なんてものは生憎持ち合わせておらず、気に食わないことがあれば癇癪を起こし、他人を糾弾する。中には大人になってまで、そうした人があったりする。よく大人になるのはいつであるかみたいな議論があるが、私はそれは理性が伴った瞬間であると思う。それが、例え小学生だろうと還暦であろうと。この論でいくと、人の気持ちを考えることが難しい所謂アスペルガー症候群的性質を持った人たちはいつまでたっても大人になれないということになってしまう。けれども、私は必ずしもみながみな大人になる必要はないのではないかとも考える。私だって死ぬまで子供でいたいし、きっと人類みなそう思っているのではあるまいか。そうした時に、そういう人たちがいてくれれば、私たちが無くしてしまった子供のイデアを彼らを通して再認識し、少ないながらも、多少の不快感を伴って思い起こすことが出来るというものである。
私は、つい自分の産まれた意味というものを考えてしまう。そんなもの考えたところで何も明確な答えを出せないことなどわかっているが、考えてしまう。暇を持て余しているのだ。だけれども、私がひとつ、何か産まれた意味があるのだとしたら、それは、娘のバレエ発表会を家内と観に行くことである。幸せな家族ごっこここに極まれりといったところだ。この世のみんな、ステレオタイプの幸せを求めて、そんな幸せごっこを通して、人生の幸福度、産まれた意味を追い求めていく。人生には幸せになるための台本があり、みなその配役に従って生きている。辛いことや悲しいこともあるが、最終的には笑って終わって大団円。僕は楽観主義的で、予定説も信じているので、自分の人生は大丈夫だろうと、留年が決まった今もそう甘く考えている。
はぁ…親になんて言いだそう…

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