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幸せバリアフリー


何を持って成長とするか、幸せとするか、その定義は非常に怪しいものだなぁと思う。


中身の全くない発言の最後に結局は、と前置きした上でしばしば用いられる、「人による」という締めの言葉に甘えてその意味を深く考えることは今までなかったけれど、私はいつしか苦いコーヒーをゴクゴク飲めるようになった。これを成長と呼ぶのは語弊がある気がするが、幸せと表現するのは間違っていないのではと感じる。



月一目標で書こうと決めていたけれど、いろんなことを言い訳にして、また誰も待ってないことをこれ幸いとし更新の間隔が大分開いてしまった。

自身がついさっきまで考えていた「成長とは?」という疑問を爆笑しながら踏みつけていくかのような勢いと表現力で、息子は「これが成長なんじゃボケ」と言わんばかりに毎日暴れている。


彼が昼寝をしている背中にそっと手を当てると、自分とは比べ物にならないくらいのリズムでビートを刻む心臓の力強さに驚かされ、私が思っているよりもおそらく、そして彼が思っているよりもきっと、時間の流れは早いのかもしれないなと物思いに耽る。


1LDKの借家住まいは、これからはいはいを始める彼には狭いだろう。広いスペースが必要だろうと、家賃の支払いを幾許か増やし、そして通勤時間に聞くコテンラジオをちょっと長くして、ほんの少しだけ広い住まいへと移りすむやいなや、はいはいをすっ飛ばして歩き始めた彼は、ひょっとしたら親の庇護という傘でさえも、その下に飽きてしまいさっさと出て行ってしまうのではないかと少し寂しく思うこともある。


できないことがどんどん増えていく30代半ば。
できることがガンガン増えていく1才の彼に、人間とはできないことができるようになる生き物だということを毎日思い出させてもらっている私はもしかしたらとても幸せなのかもしれない。



暗中模索が故に光と影が強調され、見えるものも見えていない気がするのだが、成長と幸せの解像度を上げていきたいと思う中央線の帰り道。

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