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ひとつの時代の節目。松戸。

きっと誰にとっても変化の年だった2020年。

ご多分にもれず自分は全く順調ではなかったけど、なんとか無事に年を越せそうだな〜と思っていた矢先、個人的に大きな出来事がありました。

前職のMAD City時代に大変お世話になった松戸本町元自治会長、稲葉さんが亡くなったことです。

きっと稲葉さんは自分のことを覚えていないと思います。自分が一方的に「すげー!!」と尊敬していただけです。

だから勝手に稲葉さんのことを書いてもいいか、悩むところもありますが、今の気持ちが消えてしまう怖さと、新しく松戸に関わっている人に稲葉さんのことを伝えたくて、書くことにしました。

20代の頃、正直、愛着を持っていたとは言えない地元松戸を「面白い」と思ったのは稲葉さんに会ってからと言っても過言ではないです。

同世代には決して現れないような豪快さ(そして周りにいる大変な思いをした自治会のみなさんのお話しとセットで)には何度も笑ったことがあります。

中でも自分が一番びっくりした発想は、「街は自分たちのもの」と心から思われていることでした。

「市役所ってのはよ、俺らより後からやってきたんだ。俺らの言うこと聞いて当たり前なんだ」

と稲葉さんが吠えているのを見た時、衝撃だったのを覚えています。

街というのは自分は全く関わることができない遠い存在で、市が決めたことを守るのが普通と無意識に思っていた自分。

だけど稲葉さんは、それは順番が逆であることを当たり前のように仰っていたからです

(稲葉さんのインタビューがyoutubeに残っていました。)

てめえ暮らしは、てめえでつくる。
てめえのまちは、てめえでつくる。

商店街の馴れ合いも好きじゃない。個店として磨く努力をして、そのあと連帯してこそ意味がある。

そう仰る稲葉さんは実業家でもありました。

言葉通り経営されているお店は、親族経営も含めて、どれも松戸では個性的なお店ばかりです。

お店前の道路の花壇に植えられたパンジーが気に入らなければ自分で好きな花に植え替えてしまったり笑 

というエピソードもたくさんあって、どれもこれも、てめえの暮らしと街はてめえでつくる精神の塊。

本当に豪快に実践されている方でした。

稲葉さんに貸して頂いていた元MAD Cityギャラリーも無くなっていました。

ここは本町の御酒所であり、稲葉さんが買い戻して所有していたとお聞きしています。

(今はビルが立ち、ラーメン屋さんが入っています。こうして街の記憶は消えていく。)

稲葉さんだけでなく、自治会には家業を営みながら個性を爆発させてまちで暮らしている先輩方が沢山います。 

今も指摘をいただいて、たくさん守っていただいてます。

だから自分もバトンを次の世代に渡していきたいし、守れる実力を身につけたいなと思います。

本当にありがとうございました。

(昨年書いたnoteになります。)


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