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300字小説まとめ/tononecoZine

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300字ショートショートのまとめです
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#ショートショート

【300字小説】花冷えの夜

 残業で帰りがだいぶ遅くなってしまい、コンビニで適当な夕飯を買って家路を急ぐ。春の夜はまだまだ冷える。ふと大学生くらいの男女3人組とすれ違う。なんとなくあのボブの彼女は、学生時代のわたしに似ている気がした。  とたん、過ぎた日々に意識が引っ張られる。訪れなかった未来を懐かしみ、いたずらに想いを馳せる。恋人同士になれなかったわたしたち、選ばなかった仕事、引っ越さなかった街。始まらなかった物語は、ふとした瞬間そのしっぽを思わせぶりにちらつかせる。それらは永遠の憧れとしてわたしの

【300字小説】人さらいの季節

 春はひとを連れ去る。あまりに容易に、その風の強さに任せ、次々と連れて行ってしまう。  残されたわたしたちは突然のことに泣いて泣いて、あまりに泣いて涙が枯れて、ただ呆然とするばかり。ぼんやりしたまま天を仰いで、春に消えたあの人を想う。  するとやがて流した涙のお返しみたいに、春の雨が降り注ぐ。それはあたたかくやわらかく、地上のわたしたちの頬をなぜる。何かしなくてはと、ほんのり甘いお茶を淹れて、喉を潤し息を吸う。  戻らねばならぬ生活が、ほらまたすぐそこに在る。ほんのひと時

【300字小説】酔山の華金さん

 調子に乗ってしまった飲み会の帰り、たいてい終電に間に合わずひと駅ほど歩くはめになる。自宅まで幹線道路沿いを30分くらいかかるのだけど、わりとその時間が嫌いじゃない。アルコールでぼやぼやになった頭に、冷たい夜風がちょうど心地良い。お気に入りのロックナンバーをイヤホンで聴きながら、ひんやりとした夜の空気の中歩く。  しかもスペシャルなことに、今宵は桜並木を独り占めだ。  たった独り、自由で、そしてわたしは無敵である。酔いに任せた足取りで、全能感に浸る。夜風に散る桜吹雪を背負

深海23区

 大江戸線がまるで深海のよう。  深く深くへ潜らされ、オフィスへ向かうサラリーマンたちは、さしずめ鰯の群れである。それを横目に戸惑いつつも微笑むインバウンドの観光客たちは、横歩きのカニか、波にそよぐイソギンチャクか。  もちろんわたしも鰯の群れの一員となり、水流に身を任せれば、狭い車内へと瞬く間に吸い込まれた。だがあまりのうるささに耐えきれず、ノイズキャンセリングイヤホンを装着する。  瞬間、世界は静まりかえる。  その静寂が無いはずの記憶を呼び起こす。ここがまだ深く静か

箱庭で待つ

 念願だった手のひらサイズの箱庭を手に入れた。  手入れされた植木と群生する愛らしい野生の草花、そしてちいさな小川が流れている。不思議な造りで、天蓋のようなドーム型の天井を有していた。わたしはそれを家に飾って、仕事の合間に青々と繁る緑や風にそよぐ草花を眺めては癒された。  ある日ちいさなちいさな野鳥が、箱庭の小川で水浴びをしていることに気がついた。開け放した窓の近くに置いていたから、いつのまにか入り込んだらしい。植木で少し羽を休めた後、すぐまたどこかへ飛び立って行った。

【300字小説】美しい靴底

 近所に新しく靴屋ができた。けれどまだ開店しているところをみたことがない。いつも「皮をなめしています」とか「靴紐を紡いでいます」とか、何らかの理由で店を閉めている。  その店が気になりすぎてとうとう昨晩夢をみた。店主であろう人物が接客をしてくれて「新作の、哀しいけれど美しいレインブーツがおすすめです」と言う。  差し出されたのは、こげ茶色の上品なレインブーツだった。靴底を見るように促され、そっと裏返すと一面うすピンク色だ。よく見るとそれは無数の桜の花びらを模しているようで、

モタル

わたしが愚痴りながら「モラル」と言ったのを、あなたがいきなり「蛍」と聞き間違えるから、怒りがどこかへ消えてしまった。 「え、蛍?なんで急に蛍の話しになるの?まぁ田んぼに見に行ったりしたいよな〜」   わたしは思わず笑ってしまう。驚いた様子で発した最初の言葉を、そっくりそのままあなたに返してあげたい。  わたしのことを好きらしいこの彼は、ちょっとどこか抜けていて、いわゆる「おしい」人だ。でも職場であった嫌なことを、一瞬ですっかり忘れさせてくれるくらいには、その「おしい」と

【300字小説】折りたたみ症候群

 平成の中頃、折り畳み式の携帯電話が一世を風靡し、そのトレンドは業界で瞬く間に主流となった。また、局地的なムーブメントだったがある地域ある界隈では一時期、猫も杓子も折り畳み、という行き過ぎた事象が観測されていた。  折り畳みネイルから始まった流行は、あっという間に常軌を逸した広がりをみせた。折り畳みデパート、折り畳み恋愛、折り畳める実家…と、もはや節操がなかった。しかし躍起になって自らの身体を折り畳もうとする輩が出てきたあたりで、誰かが声をあげた。「そのままの方が美しいので

郵便ポストは贈りたい

 3丁目の郵便ポストはすこし変わっていて、そこから手紙を送ると届く頃には何でも贈り物になってしまうという。  手紙なのにリボンが掛けられているとかは可愛いもので、勝手に「のし」が巻かれていたり、時にはデコデコのラッピングが施されていたりするらしい。  この素っ頓狂な事態に、さすがに誰かがやんわりとクレームを入れた。最近では目に見えた贈り物にこそなっていないが、それでもまだ隠れてこそこそやっているようだ。  今日届いた手紙は、なんだか春の陽みたいに暖かく、ほんのりと白く発

春の日に

夏至は冬至に出逢いたかった。真冬の夜、あの凍てつく濃紺の星空を従えるその人はどのようなお方なのか。いくら憧れ慕っても、決して逢えはしないのだけど。 冬至も夏至に出逢いたかった。あの光り輝く灼熱の太陽に、夏の盛りを照らされ続けるその人はどんなお方なのだろう。いくら想い焦がれても、決して逢えはしないのだけど。 一年のちょうど真ん中の日、それぞれに彼らは互いを想い合った。 やがて孫の孫の孫の代。家系図からとっくに名前が消え去った頃、彼らの子孫は偶然高校のクラスメートとなった。

くるるが鳴るとき

クルルルルル…いつのまにかおばあちゃんの家の庭に迷い込んだ仔猫は、ミルクをもらって安心したのか、小さなからだいっぱいに喉を鳴らした。だから、 ついた名前は「くるる」。おばあちゃんは、くるちゃんと呼んで可愛がった。膝に乗せあごを撫でてやると、猫が鳴る。クルルル…。 幼い私はふざけて聞く。「ねぇくるちゃん、何が来るの?」するとおばあちゃんは「この子はあったかい気持ちを連れて来るんだよ」と。たしかに、あのクルルル…を聴いていると胸の辺りがじんわりあたたかくなる。それはとても不思議