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イスラエルとパレスチナと蛍と子ども

 友人が、イスラエルとパレスチナの件で心を痛めている。多くの人が心を痛めているとは思うが、彼女は一所懸命調べたり、問い合わせたり、発信したりして、あまりの惨状に、時々メンタルをやられそうになりながらも、また調べて、思うところを発信している。
 私も、一体何が起きているのかとニュースを見たり、調べて活字を読んだりしたが、激しい動画は積極的に探して見たりはしないようにしている。私には刺激が強すぎて、自分自身の精神がやられてしまうのが分かっているからだ。ときには、ニュースでさえ、気をつけなければならない。
 ゆえに、友人が激しい動画も見たりしていると分かると、つい心配になって声をかけてしまった。私とは違う人間なのだから、友人は、そういった経験を経た上で、多くの人に影響を与える何かを成し遂げるかもしれないのに。そう思いつつも、しかし、この戦争、戦争犯罪をよく調べ、考えることが大きな負担になり、その友人の精神が損なわれはしないかと心配になって、声をかけてしまった。
 その友人は、起こっている事象に大きく心を揺さぶられる、真っ当な人だから。
 止めたいわけではない、私が何を言ったところで、何も変わらないのだが、ただ、とにかく、このことに友人の精神まで破壊されたくないと思った。身勝手な私のエゴとも言えるかもしれない。

 友人と会ってしばらく後、子どもと蛍を見に行った。小さな頃に見せたことがあったかと思うが、本人曰く、小さすぎて記憶にないらしい。蛍は、もう、わざわざ見に行かなければ見ることができない。曰く、初めての蛍に、感動して、自分の持つ語彙を総動員して舞う様子を実況していた。この心揺さぶられる情景を、なんとか表現しようとしているように見えた。
 蛍の光は、黄色のようにも青のようにも、緑のようにも見えた。チカチカと点滅するのではない、ふわぁっと灯り、ふうっと消える。不思議だね、うわぁ、あっちでいっぱい光った!きれいだね!などといいながら、あちこちで光り舞う蛍を忙しく目で追う。あまりに興奮して喋るので、静かにね、と声をかけたほどだ。

 しばらくすると、ある子どもが、蛍を捕まえた。ふんわりと、両手で丸く空洞をつくってその中に捕らえた。そして、指の隙間から漏れる光を楽しんだあと、手を開いて解放した。
 それを見た別の小さな子どもが、別の蛍を捕まえた。その子は、空洞を作ってふんわり捕まえることを知らず、どうやらつまんでしまったらしい。
 美しい光が小さな手のひらの上で、灯ったり、消えたりしている。周りに子どもたちが集まり、順番に手のひらに乗せていた。蛍は、子どもたちの小さな手から小さな手へ、歩いて渡っていく。
 あれ、もしかして、弱っている。周りの大人たちの幾人かが、きっとそう思った。
「さあ、もういいね、早く戻してあげなさい」
 誰も蛍が死ぬところを見たくなかった。その子は、きっと何か圧力を感じて、黙って蛍を葉の生い茂る方へ放った。蛍はしばらく、飛んで行かなかった。幾人かの子どもが、
「飛んでいかないよ。まだここにいるよ」
と言った。
 大人たちは、「そうだね」とだけ言った。
 少しすると、その蛍が舞い上がり、仲間が大勢いる方へ、光を灯したり、消したりしながら飛んでいった。
 私を含めた大人たちは、そっと息を吐いた。
 死ななくてよかった。あるいは、死ぬところを見ずに済んでよかった。そんな雰囲気が漂ったように感じた。

 そのとき、なぜだかイスラエルとパレスチナとそれを調べている友人のことが頭をよぎった。
 どういう文脈で、そのときよぎったのか、よく分からなかった。
 ただ、光って舞っている蛍を見ているだけのときにはよぎらなかった。蛍に対する何か後ろめたいような気持ちが、思い出させたのかもしれない。
 多くのことをなるべく見ないようにしてやり過ごすことで自分を守っている。そうでなければ、簡単に気が狂うであろう自分に、自分自身が一番手を焼いている。正面から、残酷な現実を見据えて乗り越えていくことができない者はどうしたらいいのだろうか。嫌な気配のする問いに潰されそうになる前に、問いを手で掻き消す。
 少なくとも、私はまず自分の精神を守る。そうすることが、この家庭を崩壊させないことに繋がる。そのことは、きっと間違いない。私には、戦争を止める力はないが、一つの家庭の平和を守ることならできるかもしれない。一国の指導者からしたら、蛍より小さく、指先で、いや自らの指先すら使わずに簡単に潰せるものかもしれないが。小さく力無き者なりに、できることをひとつずつやる。巨大なものを見てすぐに絶望しない。ひとつずつ。それしかできないなら、それだけはやる。それすらもできないときには、休む。そして、またひとつずつやる。小さくとも、弱々しくとも、一生懸命に光る。


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