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グランツーリスモで速くなるために本当に必要なもの

 またお前が言うなシリーズではありますが。

 学問やスポーツなど世の中のほとんどの物事の上達は 素質✕練習 で決まるのは言わずもがな。

 練習は(質✕量)であるのももちろんですし、練習の質と量を裏打ちするのは、根気よく練習できるとか探究心旺盛といったパーソナリティだったりもしますが、この辺までは別に私が改めて言うまでもないところ。

 で、グランツーリスモでも、タイムトライアルはほぼこの数式が当てはまりますが、レースとなるとこの数式だけでは説明できないと思っていて。

 結論をずばっと書いてしまえば ストレス耐性 がどれだけあるかというのが非常に大きいというのが長年レースゲームをやってきた私の考え。

 これを読んで「そんなのみんなわかってるよー。あえて言わないだけ」と感じる方も多いでしょうが「???」となる方も一定いるんじゃないかというのが私の偽らざる実感。

 グランツーリスモ以外のレースゲームやリアルのレースも含めて、そもそも理不尽なことが多すぎるのがレースだと私は思っています。ここでいう理不尽とは、自分の責任でないアクシデントと言い換えられます。

 私の拙い人生経験を振り返っても、他の分野でも理不尽なことは起きなくはないですが、レースと比較したら圧倒的に発生率は低い。

 例えば、サッカーでワールドカップの決勝のような大一番。自身のキャリアの集大成、ここに至るまで膨大な努力をこのときのために費やして、いざ本番に臨む。
 そこで開始5分で、自分に全く否がない状況で、相手チームの悪質なタックルで負傷とか、信じられない誤審をされてゲームから退場。そういうことも稀にはあるでしょうが、起きる確率としては相当低い。

 ところがレースだとそういうことが結構な頻度で起きるわけです。準備に多くの時間を費やして臨んだレース本番、オープニングラップの1コーナーで他車に当てられてクラッシュで終了。
 F1などのリアルレースでも、予選で上位グリッドを手にしたり、展開の妙で上位進出の大チャンスというときに、理不尽なアクシデントやトラブルに遭遇した例を、皆さんもこれまでに何度も見ているのではないでしょうか。

 リアルでもゲームでも、自分の力ではどうしようもないことが起きて結果を大きく左右するのがレースというもののひとつの本質であり、本質である以上、レースを走っていれば誰でもそういう理不尽な経験をするものなのです。

 なら、そのときにどう対処するか。
 結論は、切り換えるだけです。方法は人それぞれでしょうが、自分なりの方法で、気持ちをリセットし、次のレースに向けた準備に集中する。
 ところが、ストレスを受けることが得意でない人は、なかなかこの切り換えができず、理不尽な出来事に遭遇した気持ちを引きずってしまう。

 その現れとしてよく見るのが、晒し行為ですね。如何に自分が理不尽な思いをしたかを、そのシーンの映像と一緒にSNSにアップして、他人の責任を明らかにしようとする。
 他人の責任であって自分のミスではない、今回の結果が自分の実力ではないことを周囲に認めてもらうことで、理不尽なアクシデントに遭遇したストレスを消化しているのはわかるのですが、このプロセスに一定のエネルギーを費やしている時点で、切り換えができているプレイヤーとは色々な差がつくと私は思っています。

 自分に責任や原因が一部でもあるのなら、そこを突き詰めることは、同じミスやトラブルを防ぐために意味ある行為だと思います。自分がこのときこういうラインをとっていればアクシデントに巻き込まれずに済んだかもしれない、と考えてみるとかですね(ただそれはひとりで内省的に行うものではある)。
 他人の責任(原因)をいくら追求しても、自分の速さの向上には何の影響もないということ。

 念のためですが、ストレス耐性というのは反射神経とかと同じ一つの能力であって、このひとつの能力のみを持って、その人の総合的な力とか人間性が判断されるものでは決してないということは書いておきたいと思います。

 私がここで伝えたいのは、ゲームによって、持っていたほうがいい能力は違ってくるけれど、レースゲームに関して言えば、ストレス耐性は(認めざるを得ない現実として)大きなウェイトを占めるということ。
 他の様々なゲームと異なる、レースゲームならではの特徴と言ってもいいと思います。

 こういうことを書くと「自分はメンタル弱くてストレス耐性がないので、レースゲームに向いてないということですね」みたいなリアクションが返ってきそうですが、私が伝えたいのは、このことを理解した上で対処を考えることが大切ということ。

 自分なりにストレス耐性を上げる努力をしてみるもよし(F1ドライバーだってメンタルトレーナーをつけているわけです)、性格的に変えられないということなら、練習の部分で差をつけることを意識するとか、自分の資質を踏まえたアプローチをとることが大事という話。

 上達というとたいていは 素質✕練習 の枠組みの中で語られがちで(間違いではないのですが)、グランツーリスモでも効果的な練習法みたいなのは多く解説があるのですが、ここで言ってきたような理不尽なアクシデントにどう対処するかといった話は、ナイーブなものになりかねないので真に親しい関係以外ではあまり触れられない。

 なので、こっそりと。ここに書いておくのです。