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レースゲームのマナーについてのお話

 今回はずーっと書きたい書きたいと思いつつも「これ書いちゃうとカド立つからな~」と思って躊躇してたレースゲームのマナーについてのお話。
 グランツーリスモsportをプレイする過程で、ネット上ではありますが多くの方と知り合えまして、それは大変ありがたく、そしてとても楽しかったんですが、実はひとつだけちょっと居心地の悪さを感じていたことがありまして。それがこのレースマナーのこと。

 この辺に関する自分の考えはどうも周囲の方と違うな、と日々感じていたのですが、これでも協調性あふれる日本人の端くれの私、sportでレースに出れば私なりに周囲に合わせていたのですが、内心では違和感をためながら過ごしていたところではあります。

 一番代表的な例をあげると、オンラインレースをしているとき、ある方が前方の車両に追突してしまいクラッシュさせてしまう。すると、追突した方は、された側がレースに復帰するまで待ってから、自分のレースを再開する。よく見るシーンですよね。
 ユーザー主催のイベントレースなんかですと、そのシーンに対して実況や配信を見ている視聴者が「いまのはフェアプレー精神ですね」「マナーがいい」「クリーンですね」なんてコメントしたりする。
 これが転じて、SNSとかのレース結果報告では「自分に追突したのに、順位譲らずにそのまま走っていきやがった。マナーを知らないやつだ」みたいな発言も時折見ます。

 私は、追突したからといって相手の復帰を待つ必要はないと思っています。逆に、私はそういう方たちに聞いてみたいんですね。

 F1をはじめ、テレビでやってるトップドライバーのレースだと、そういった接触の際に、ぶつけた側のドライバーが、自分のミスを素直に認めることなんてまずなくて、たいていは『あいつがおかしい運転をしたんだ!』と逆ギレレベルで相手に責任をなすりつける。ましてや順位を素直に返すシーンなんてまずお目にかからない。場合によってはジャッジの裁定が出ても、無線で不満タラタラなんてことも日常茶飯事。
 ということは、トップドライバーたちはみんなフェアプレー意識やマナーが乏しいのかと。そんな彼らが繰り広げる世界最高峰クラスのレースはそんなマナーに課題のあるドライバーばかりが集まるフェアプレー意識が薄いレースなのかと。
 これは嫌味や当てこすりでなく素直に聞いてみたい。それぞれの意識の中でこのへんの論理的な整合性はどうなっているのかと。

 私が復帰を待つ必要がないと考える理由はいくつかありますが、まずひとつ目として、事故の原因の責任(の割合)をアクシデントの当事者がその場で判断するのは無理ということがあります。

 一般的にしっかりとしたレースになると、第三者であるジャッジが、レースの規模に順じて利用可能な情報(聴取なり、映像なり、走行データなり)を見て判断した上で、ペナルティを決定する。
 それでも、いろんなレースを見ていて、「え、あれでペナルティないの?」「ええ?あっちにペナルティが付くの?」みたいにジャッジの結論に驚くこともしばしばですよね。先日も、富士のSuperFormulaだったと思いますが、かなり物議を醸した追突事例があったと記憶しています。

 ジャッジがいつも正しいわけでもなく、間違った判定を下すこともあるでしょう。ここで言いたいのは、繰り返しになりますが、ジャッジの判断にも異論が出るくらい難しい判断を、当事者がその場でするのは無理ということです。

 単純な一対一で縦関係で発生したミサイル的な追突だと、基本的には追突した方の責任が重いとは思いますが、前のブレーキングポイントが速かったりすると一方的に後ろが悪いと言えるのか(プレイヤーのレベルも影響しますが)というところもありますし。
 普段の日常生活における交通事故なら、追突したほうが(原則)悪いという考え方でいいでしょうが、マージンは残しながらもギリギリを争うレースにおいて単純に同じ考え方をしていいのか。 
 まして単純な追突でない、コーナーでの横に近い接触(尻を斜めから押すとか並走してのコース外押し出し)とか複数台が密集した状況でのアクシデントだと、誰が原因かの判定は相当難しいはず。

 個人ひとりひとりがその場の判断で、フェアプレーとして順位を戻す行為自体は否定しません。けど、そういった行為を他人がした(しない)ときに、それをもって周囲の人間がそのドライバーのフェアプレーやマナーの意識や姿勢を評価することにものすごい違和感がある
 私は、譲ったのを見ても「ああ、なんかすっきり抜けなかったことにこだわりがあるのね」としか感じないし、別にその人のマナーがいいとは思わない。もちろん、譲らないのを見ても特にマナーが悪いとも思わない。そういう意味です。

 もうひとつ、違和感があるのはこういったマナー論の背景に「グランツーリスモは日本人のもの」みたいな意識をすごく感じるんですね。

 私は、元々レースゲームは大好きだったので、ゲームセンターの頃からいろいろやっていますが、国の枠を超えてできるオンラインのレースゲームをはじめてプレイしたのは「Driveclub」というPS4のゲームでした。
 いいゲームだったかと聞かれると首を傾げる部分も少なからずあるんですが、結構長い間、楽しんでやっていたので、私にとってはいいゲームだったと思います。ちなみにグラフィックはとても良かった。

 で、このゲームは日本人が少なかったんですね。一緒に走る日本人のフレンドさんもいたので皆無ではなかったんですが、レースで日本人が大半を占めるということはまずなかった

 そうやって毎日毎日、外国人とばかりレースしていたんですが、sportをどっぷりやった後のいま思い返すと、やはりレースに対する感覚が違うんですね。やっぱりアグレッシブだし、ルールの範囲ギリギリをついてくる。そして、上手い人ほど狡猾だし、狡猾な走りをできるだけのテクニックと多彩な引き出しを持ち合わせている。

(ちょっと話がそれますが、このゲームにもまともに走らず妨害行為ばかりしてくる、いわゆる嵐と呼ばれる有名な悪質プレイヤーがいて、私も一緒になると手を焼いてたんですが、上手い人は絶妙なフェイントを入れてからのケツ押しなどのテクニックで、嵐を実にスマートにコース外に叩き出すんですね。私が同じようにコーナーとかで押し出そうとしても、悔しいことに嵐もなかなかうまいので、交わされて失敗ばかりでした。その辺の狡猾な走りができるかどうかの引き出しの違いは大きかったですね)

 私も真面目な日本人なので(笑)クリーンな走りをしてたんですが、上手い人にはあしらわれるし、ラフファイトも辞さない相手(決して悪質なプレイヤーという意味ではない)にはいいようにやられる。クリーンな走りでぶっちぎって勝てればよかったんですが、私にそこまでのセンスはなく。

 で、そのゲームで学んだのは身も蓋もないですが「やられたらやり返せ」でした。
 車体をこすりながら抜いていく相手には、こちらもこすりながら抜き返す。スペースを残さない相手には、こちらもスペースをぎりぎりまで絞り込む。鼻を強引にねじ込んでくる相手には、こちらもきっちり締め返すか逆の立場になったときはきっちりねじ込む。

 そう意識を変えて、時には接触上等のバチバチにやり合うレースを展開していると、レースの後でPSメッセージ(sportみたいにチャットはなかったので)が頻繁に飛んでくるようになりました。
「いいレースだった、また会おうぜ(good race,see you again)」
 あれだけ激しくバトルしたのに、相手はいいレースだったという。仕掛けてきたラフファイトにこっちもやり返したようなレースなのに、それでも相手は私を褒める。でも、そうなんです、私にも楽しかったという充実感があった。
 「楽しかった、お前はフェアなプレイヤーだ。」というのもよくいただきました。それを見て「フェア」の捉え方が違うんだなと痛感したのもよく覚えてます。

 そういうレースを繰り返す中で実感したのは、やはり日本と外国の文化の違い(正確に言えば「日本の文化」の特殊性)です。「ルールを守る」ことの捉え方が非常に違います。日本人は一言で言えば「正々堂々」それに尽きます。
 一方、外国人は、ルールの範囲内でやれることは全部やる、ルール違反にならないことは全部やる。そういう考えが非常に強いです。F1で言えばマシン開発でいかにレギュレーションの抜け穴をついてアドバンテージを得るかみたいな発想。
 で、せっかくレース(競争)してるんだから、全力であらゆる手を使って相手を叩きのめしに行こうぜ。お互いそういう姿勢でやらないと面白くもなんともないだろう?という意識です。
 DriveClubでは、アメリカ、ヨーロッパ、韓国などの東南アジア、ブラジルなどの南米などいろんな国のプレイヤーとあたりましたが、その辺は共通してましたね。

 で、レースマナーの話に戻るんですが、私はそういった自分の経験から、sportをプレイしていて、日本人ユーザーが展開しているようなレースマナー論って、本当に世界に通用するの?という疑問をずっと持っていたわけです。

 私も、日本人の「礼儀正しさ」「マナーの良さ」は素晴らしいと思います。
 また「郷に入っては郷に従え」なので、日本人だけでプレーするなら「順位を返しましょう」もありだと思います。だから、私も日本人だけが参加するユーザーイベントでは、それに合わせて振る舞っていたつもりです。
 でもグランツーリスモは、少し前はともかく、もはや日本人だけのゲームではないのです。作っているのは日本の会社かもしれないですが、それでも相当な外国人スタッフも働いているでしょうし。
 レースでも、デイリーレースでは悪名高い(爆笑)オージーと一緒になりますし、ロビーを開いていれば欧州などの外国勢が入ってくることもしばしば。そして、頂点を目指すなら、世界を相手に争う舞台が用意されている。

 最後にご紹介したいのは、現在もハースでご活躍されている小松礼雄さんの少し前の著書「エンジニアが明かすF1の世界」のあとがきにある言葉です。以下に引用します。

 何年も前に、ヨーロッパのカート選手権のイギリスラウンドを見に行ったことがあります。そこには日本からも3人の子が参戦していました。(中略)そのうちのひとりは予選3、4列目からスタートして、3レースともにスタート直後の1コーナーでぶつけられて、泣いていたように覚えています。そのときに日本から来ていた大人の方と話したら「ああいうのは日本のレースの常識ではあり得ない」と。でも、それでは日本以外ではレースできないですよね。日本人の良さを持ち続けながら、状況に応じた柔軟な対応―自分がいままで思っていた「常識」にとらわれないことも、ときには必要かなと。

小松礼雄「エンジニアが明かすF1の世界」

 グランツーリスモは圧倒的に日本人ユーザーが多いですし、普通にプレイしていれば日本人が多数を占める環境でのプレイばかりになってしまいます。
 ですので、グランツーリスモがはじめてのレースゲームという方や、グランツーリスモだけプレイしている人にはなかなか伝わりにくい感覚かもしれませんが、私の考えはここに書き残しておきたいと思います。

 拙文にお付き合いいただき、ありがとうございました。