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枚方市の学校教育における公益性とは


枚方市の学校教育の場において、教職員が子どもたちを「親がPTAに入っているかいないかで選別する」という状況であることは非常に憂慮するべきことです。

そして、そのことについて学校も教育委員会も「疑問すら感じていない」ことに恐怖すら覚えます。

教育委員会の理屈では「枚方市学校園安全共済会」が「親がPTA会員である子ども」に限定した共済サービスをしているから、市や学校はその手続きを代行しているだけというスタンスです。

だから現実の学校現場で、学校の教職員が直接子どもたちを「親がPTA会員であるかどうか」で選別したところで問題はないとのことです。

いや、その理屈だと、

「いじめっこに命令されたから、いじめました」

と言うと、いじめの実行犯は枚方市では無罪放免なのでしょうか?

しかも「枚方市学校園安全共済会」の方が「枚方市」よりも立場が上ということになります。

枚方市学校園安全共済会については、過去の記事をごらんください。


PTAとは無関係の組織が、「PTA会員限定事業」を。教育委員会に事務局を置いて、学校の教職員が費用を徴収しているって、本当に正常な状態なんですか?

任意団体が自分たちの会員サービスをやりたければ、学校外で自分たちの手で費用を徴収し、自分たちで事務所を借りてやればいいのではないのでしょうか?

半分の事業は全児童を対象としているから大丈夫?

枚方市教育委員会の理屈では

「枚方市学校園安全共済会の半分の事業(共済保険以外の部分)は全児童を対象としているから問題ない」

とのことです。

枚方市内の単位PTAのみなさん朗報ですよ。

枚方市では「半分の活動が全児童を対象としていれば、半分はPTA会員限定でもいいそうです。

いや、安全共済会は枚方市から事業費の半分にあたる補助金が出ています。

ということは補助金をもらっていないPTAは「すべてPTA会員のためでもいい?」

もう無茶苦茶です。

枚方市は、学校教育における「公益性」というものを理解していないようです。

これって、たとえば「書道セット」を販売する業者が「PTA会員限定で購入できます」っていったら、それでもOKってことですよね。

なんなら「学校の授業中に負った怪我にかかる費用についての保険」なんて、「書道セット」よりももっと、学校教育に直結しているように思うのですが。。。

教育機関としての学校と、公立施設としての学校

ここで、論点のずれた反論を避けるために確認しておきます。

そもそも「子どもの教育を行う教育機関」としての「学校」と

教室や運動場、体育館などの施設そのものを指す「学校」では意味合いがかなり異なります。

よく、「学校では子どもたちが平等に扱われなければいけない」とか「学校における活動はすべての児童を対象とするべき」などというと、

「放課後に地域のサッカー愛好会が使ってますよ」とか「地域の囲碁クラブも使えますよ」と言う人がいます。

前者は当然「教育機関として機能しているとき」の話で、後者は「施設を利用するとき」の話です。

「教育機関としての学校」の話をしていることに対して、「施設としての学校」の話を持ち出すのはナンセンスです。

以前にも書いた「論点・視点のずらし」の一種ですね。

PTAの活動に公益性が求められるのも「教育機関としての学校」に関わる活動をしているからです。

「教育機関としての学校」というのが分かりにくいのであれば、少し下世話な言い方になるかもしれませんが

「学校の営業時間内」の活動と考えてもいいかもしれません。

子どもたちに対して教育を行っている(もちろん休み時間や給食、登下校時も含めて)「学校の営業時間」に、学校の運動場が空いている時間があるからと言って、地域のスポーツクラブが使えるはずはありません。

(もちろん、災害時などの緊急事態では「教育機関としての学校」よりも「公立施設としての学校」が優先する場合もあるかもしれません。)

多くの学校において単位PTAは「PTA室」を無償で使わせてもらい、プリント配布などに教職員の先生の労働力を利用させてもらっています。

それはPTAという組織が「教育機関としての学校」に寄与していると考えられるから許されていることです。

教育機関としての学校における平等

そして「教育機関としての学校」においては、当然すべての子どもたちは平等に扱われます。

これも平等を取り違えている人がよく、なんでもかんでも全く同じにするという意味に解釈しますが、「平等」=「まったく同じ」ではありません。

たとえば学年が違えば、対応が異なることはあります。

性別が異なれば、対応が異なることがあります。

何らかの配慮するべき事情があれば、個別に配慮することもあります。

そういう「区別」をとって

「親がPTA会員じゃないから、子どもを区別します。差別じゃありません」

と学校長が平気で発言する学校。

差別とは「本人の意思では変えることが困難な事象に基づいて区別されること」に基づいたものです。

親という別人格の人間が、PTAという任意団体に参加しないからといって、「子どもを区別」するのは、明らかに「差別」です。

少なくとも「親がPTAという任意団体に参加していないこと」は、子ども本人とは何の関係もありません

教育機関としての学校の中で、「親がPTAという任意団体に参加していない」ことを理由に子どもの扱いを変えることは、子どもの人格を独立したものとは考えておらず、子どもの人権を無視した差別行為です。

だからこそ、今PTA適正化として、多くの保護者が「子どもたちを親がPTA会員かどうかで区別しない」と自覚して活動しているのではないのでしょうか?

大阪府PTA協議会の会長さんにメールでお話をきいたところ

「PTAは会員サービスをする団体ではありませんし、PTAはPTA会員の子どもたちだけの活動をするのではなく、その学校のすべての子どもたちのために活動する団体であると思っています。もし、学校内の一部のこどもが対象外となるような活動をする団体であれば、学校という施設でいうと不適切な利用となり、もはや学校側の協力を得ることは難しくなる場合もあると認識しています。」

との返事をいただきました。

納得です。

さらに大阪府PTA協議会が運営されている保険制度は、その学校のPTAに参加していなくても加入ができるそうです。

(もちろんPTAそのものが大阪府P協に参加していなければいけませんが)

PTAという組織が、「学校のすべてのこどもを対象とした活動」をしようと奔走しているのにも関わらず、

PTAとは無関係な「枚方市学校園安全共済会」が「PTA会員限定サービス」を行っている

そんなPTAよりも明らかに「公益性の低い」事業に対し、枚方市は多額の補助金を供出し、学校の教職員の方々の労働力を使って手続きを代行している。

本当にそんな補助金の使い方、市職員の労働力の使い方を「学校教育の場」で行っていいのかどうか、きちんと考えてほしいと切に願います。

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