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文章練習3[3分短編]

 バラスとコンクリートで作られた民家の塀を左手に河口まで歩いてみる事にした。途中で拾ったスイバの穂で塀の溝をなぞる遊びをした。そうする内にこの塀もいずれは途切れるだろうと思っていたが、それでもこの汚れた塀は、一段低くなり、また高くなりながら、膨らみ剥がれた塗料のあぶくがあちこちに吹いた門扉や、赤茶色く熟れた椿の実のなった細い枝の影を緩やかに左へ降る石段伝いに五十メートル程続き、やがて傾斜のついた五メートル高の木塀に合流したところで途切れるまで私の道標として働いてくれた。
 そこからは、足元の石段を数えて歩く事にした。一メートル幅で二十段ごとにきっかり三歩分の踊り場が設けられた階段。乱形に埋め込まれた鉄平石の上に白く乾燥した鳥の糞がこびり付いている。ヨシノの言葉を借りるならば、うえ、きもい。だ。彼女がこの道を通ったかどうかはさておき、枝に止まり夢遊病者のように尾を上げ下げするイソヒヨドリを見て、ほら見てかわいいと叫び、次にはその糞を見て罵倒する彼女の姿が目の前に浮かんでくるのだった。

  迎えの車が来るはずだったが、ヨシノは待てなかった。私は二度、旅館に電話をかけてみた。送迎車が来る予定だがどうなっているのか問い合わせてみるつもりだったが、しかし、呼び出し音の後、聴き取りづらく籠もった若い娘の声で、はいもしもし、という声が聞こえ、次いで私が口を開こうとすると途端に受話口で布を擦るような音がして回線が切れてしまうのだった。
「壊れてるんじゃない。」と彼女は言った「何もかもね。」
「壊れてるって?ちゃんと掛かるんだよ。ただ、こちらが喋った途端ぷつんと切れてしまうんだ。」ヨシノは、誰も居ない停留所の真っ暗な事務室を覗き込みながら、投げやりに窓を叩いて「私たちは塵みたいなものだから、公衆電話もかまわない。」地面を蹴り反転してこちらを睨んだ。
 いつか宗教学の時間に、ある若い女の助教授に、わざと下品な質問を繰り返した生徒がいて、ついに堪忍袋の尾が切れた助教授は、額に血管を浮き上がらせ、あなた達は塵だ!と叫んで教室を出て行ってしまった事がある。最前列でその様子を眺めていた生徒によると、助教授は、「塵だ!」ではなく「恥だ!」と言っていたらしいが、ほとんどの生徒が塵だと空耳をしていた。それが創世記の「あなたは塵だから塵に帰る」という一節と掛かって教室には大きな笑いが起きた。ヨシノはその出来事をもじったのだった。
   実際に、彼女の所作は本当に面白かった。あの助教授の怒りに震える仁王立ちそのままだった。

 停留所には私たちの他に5人ほどの人たちが居て、あても無さそうにふらふらしながら、ある人は連れと思しき人と会話し、またある人はベンチに座り、7月のページが大きく開かれた革張りの手帳をめくったり閉じたりしながらペンの頭を噛んでいた。私は、彼らと同じ空間にいながら、同時に、全く別の世界に居るような不思議な感覚を覚えた。電車の窓から見える知らない町の民家や庭先の洗濯物。疎遠の従兄弟が送ってきた目も開かない赤ちゃんの写真。大学の壁に掛けられたニカラグアの風景画。まあそんな感じだ。
 「僕たちが塵なのは構わないけれど、だからと言ってこんな田舎の穴ぼこに取り残されるのは筋が合わない。」と私がいうと、彼女はそれもそうねと笑い、ベンチに腰掛け、甲冑姿の魚介類たちが描かれた帽子を正面に被り直して、しばらく地面を見た後「歩いて行ける距離かしら。」と言った。帽子のつばに『イルカの逆襲』と書かれているのが見えた。

 私はこの帽子をよく知っている。大学の卒業旅行で深圳を訪れたときに私がプレゼントしたものだった。深圳での三日間は到底エキサイティングと言えるものではなかったが、それでも私にとってこれほど幸せな時間はなかった。私たちは、蘭桂坊のナイトクラブで、たったいま藻のはった貯留槽から汲んで来たような怪しげな色のカクテルを馬鹿みたいに飲んで、福田の公衆トイレを吐瀉物で一通り汚して回り、やっとの事で部屋に戻ると服を脱ぐのも煩わしく、もつれるようにセックスをした。どこまでが私の腕でどこまでが彼女の脚か分からなかった。私はヨシノを愛していた。

 まとまった休日が出来ると、決まって私たちは旅行に出かけた。大抵の場合、ヨシノがそう望んだからだ。彼女は一つのところに留まることが出来なかった。セキレイが忙しく走り回るように、旅先ではなく、旅そのものを好んだ。移り変わる景色、山、海、街、交差点。どこにも居ない自分を好んでいた。しばしば、そこに私の愛が入り込む余地はないように感じられた。私自身も、彼女にとって一時の逗留先でしかない。ヨシノにとって、この四国の名もしれない停留所と、何ら変わらない退屈な景色の一片でしかないのだと。

 太陽はまだ高い位置にあって、歩くたびに、石段に落ちた私の影が丁寧に並べられた鉄平石の僅かな凹凸に合わせてチラチラと動いた。ヨシノが停留所から居なくなってから、まだそう時間は立っていないように思われた。どれくらい歩いただろうか。私は左手にはめていた時計に目をやり息を飲んだ。時計は大きく砕け秒針が止まっている。その先に垂れ下がる手首から骨が突き出し、指先はてんでバラバラに折れ曲がっていた。はっとして、もう一度よく見てみると、今度は傷一つないG-shockが12月5日16時40分を指していて、手首も指先もいつものように機能している。視界がぼやけ喉の奥に胃酸が込み上げるのを感じた。
 私は階段に腰を下ろし、ヨシノとのやりとりを思い出していた。高知からバスに乗り、停留所に着き、迎えの車が来ないから旅館に電話をかけた。その後は..香川の丸亀からバスに乗った。ヨシノは窓の外を眺めていた。私は何か気の利いた話題はないかと観光誌を見ていて、そうしたらヨシノが宗教学の助教授の物真似をして、私たちは笑って..停留所について、旅館に電話を掛けて..それからどうなったのか。迎えの車だ。そうだ、迎えの車が来ないから旅館に連絡をしなければならない。私は立ち上がり、公衆電話を探して河口に見える公園まで走った。脚が反対に折れ曲がり転びそうになりながら、顎が割れ、乱形の石段に唾液と血液のどろりとした跡を残しながら。ジャケットの裂け目からは縮れた羽毛が飛び出し、リュックはもうどこにも無かった。

  公園に着いたとき、ヨシノは私の隣に居た。どこかから現れたというわけでもなく。ただそこに立って、私の肩を小突いた。「ねえ」と言う。未だ太陽は高く、海風に錆びた遊具が日差しにあてられてじっとり光っている。
「ねえ。今って冬なの?」「分からない。でも椿の実が熟れていたから、たぶん夏の始まりなんじゃないかな。」「やっぱり。バスでの事は覚えてる?」「どうだろうなあ。一瞬のことだったから。」「もう一度あの停留所から居なくなっても、私を探してくれる?」「君が同じ場所にいられないなら、何度だって繰り返そうよ。」

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