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自分の過去に対して悲観的になる必要なくね?

教員採用試験を機に自己分析という名の、自分と強制的に向き合わされるイベントを現在進行形で行っている。

自己分析ちょっとしんどいかも…笑

自分の内にある、どす黒く汚い部分や醜く目を覆ってしまいたくなるような性格を目の当たりにする。
(また逆に普段は気づかないような自分自身の良さや、自信を持てるようなことも見せつけられることもあるが…)

そんな自己分析の中で、「今後人生をどのように生きていきたいか?」「背普段生活しているうえで心がけていること」など人生単位で自分が考えていることを問う質問があった。

正直、あんまり考えたことはなかった。

めんどくさいし、答えはないのだから考えたって分かりっこない、と感じていたから…

この質問に対してパッと考え付いたのは「納得のいく人生を送りたい」ということ。
自分に納得のいかないことを半ば強制的にやらされている状況、はっきり言ってストレスだ。そして何か大きな圧力に迎合した感じがして嫌だ。

その圧力は所属している組織のものかもしれないし、もっと大きい視座で全体をみたときの社会通念のようなものかもしれない。しかし、自分がこれから社会に関わっていく以上、そんな甘えは通用しない。いくつになってもそんなことを飽きもせずに言っていたら鼻で笑われるだろう。許容しなければいけない。

次に考えたのは「過去に囚われず今を生きていきたい」ということ。
今俺が考えていることも、過去の自分が作り上げたものだし、刻々と過ぎていく現在も過去という連続した点に過ぎない。そして未来の自分も現在の自分に選択権はある。自分の考え次第でいくらでも変えていける。

そう考えると、ほとんどの人がこれまで生きてきて様々な経験や情報を社会から与えられ、それを自分の中で解釈・処理して、「こうやって生きたら、よりよい人生を送れるのではないか」と、考えて実行しその論理に従って生きているだけなんだなあと実感。

「何であんなことしたんだろう…」「過去に戻れるなら…」とか、過去に対する懺悔や贖罪の念に駆られることもあったけど、その行動自体にはあんまり意味なかったかもしれない。
結局その失敗も未来に対しての改善に生かす、経験という名の材料だ。だからそんなに重く考えなくてもいいんだと思えて、過去に対する執着も自然に薄くなっていくような気がした。

そんな感じで肩の力を入れすぎないで、しなやかに生きていきたい。

あと、この記事を書いている途中、映画「君たちはどう生きるか」をふと思い出した。昨年の夏にスタジオジブリから公開されて半年以上たっているが、もう一度見たいと思った。

ではまた!

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